コンチーノ・コンチーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。えのきだたもつ (会話 | 投稿記録) による 2022年8月3日 (水) 07:16個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (「コンチーノ・コンチーニ」を保護しました: sockpuppetによる問題投稿の繰り返し ([編集=自動承認された利用者のみ許可] (2022年9月3日 (土) 07:16(UTC)で自動的に解除) [移動=自動承認された利用者のみ許可] (2022年9月3日 (土) 07:16(UTC)で自動的に解除)))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

コンチーノ・コンチーニのポートレート
アンクル元帥の暗殺

アンクル侯爵コンチーノ・コンチーニ: Concino Concini1575年 - 1617年4月24日)は、フランス王妃マリー・ド・メディシスの寵臣。イタリアフィレンツェトスカーナ大公国)出身。

フランス王アンリ4世に嫁ぐマリー・ド・メディシスに従い、フランスに移住。王妃の侍女レオノーラ・ドーリ(ガリガイ)(1568-1617)と結婚し、アンリ4世暗殺後にマリーが息子ルイ13世摂政として実権を握るや、瞬く間に元帥の地位に昇りついた。

しかし、王太后と結託して国王を蔑ろにする政治体制が反感を買い、国王自らのクーデターにより失脚、殺害された。妻のレオノーラも魔女として処刑され、王太后はブロワ城に幽閉された。

外部リンク