クイーンズベリー公爵
クイーンズベリー公爵(クインズベリー公爵/クイーンズベリ公爵; 英: Duke of Queensberry)は、イギリスの公爵位。スコットランド貴族。1684年に初代クイーンズベリー侯爵ウィリアム・ダグラスが叙位されたことに始まる。継承法の違いによりクイーンズベリー侯爵とクイーンズベリー公爵の保持者は4代公を最後に別人となり、以後公爵位はバクルー公爵に相続されている。
歴史
初代クイーンズベリー公爵となるウィリアム・ダグラスは、初代クイーンズベリー伯爵ウィリアム・ダグラスの孫で[1]、1680年から1682年までLord Justice General[訳語疑問点]を、1682年から1686年までスコットランド大蔵卿(Lord High Treasurer of Scotland)[訳語疑問点]を務めた政治家であった。1685年の議会ではLord High Commissioner to the Parliament of Scotland[訳語疑問点]としてスコットランド王ジェイムズ7世(イングランド王ジェイムズ2世)に仕えたが、翌年に公職から追放された[1]。しかし晩年にウィリアムとメアリーの即位を支持し、王室からの信頼を回復している[1]。彼は1671年に父親の第2代クイーンズベリー伯爵ジェイムズ・ダグラスからクイーンズベリー伯爵を相続し、1682年にクイーンズベリー侯爵[1]に、1684年にクイーンズベリー公爵[1]にそれぞれ叙された。
第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラスは、初代クイーンズベリー公爵の息子である。彼は名誉革命においてオラニエ公ウィレム3世(イングランド王ウィリアム3世、スコットランド王ウィリアム2世)を支持してスコットランド枢密顧問官となった[1]。1695年に公爵位を相続すると、Extraordinary Lord of Session[訳語疑問点]およびスコットランド王璽尚書(Keeper of the Privy Seal of Scotland)[訳語疑問点]に、1700年に国務大臣(Secretary of State)[訳語疑問点]に指名された[1]。1703年に彼は初代アサル公爵ジョン・マーレイに対する対抗心からジャコバイトの第11代ロヴァート卿サイモン・フレイザーの計画に参加したが、この陰謀が発覚して解任された。しかし後に赦されて1705年にスコットランド王璽尚書に復し、1707年連合法の成立へ向けて尽力。統合後の1708年にドーヴァー公爵へ叙され、1709年にスコットランド大臣へ任命されている[1]。
第2代クイーンズベリー公爵の長男であったジェイムズは早世したため、次男のチャールズ・ダグラスがクイーンズベリー公爵とクイーンズベリー侯爵およびドーヴァー公爵を相続した。彼はLord Justice Generalやスコットランド王璽尚書を務めた政治家で、襲爵前の1706年にソルウェイ伯爵に叙されていた。
1778年に第3代クイーンズベリー公爵は死去したが、彼の二人の息子もすでに子のないまま歿していたため、ドーヴァー公爵とソルウェイ伯爵は断絶した。一方クイーンズベリー公爵とクイーンズベリー侯爵は第2代クイーンズベリー公爵の弟の孫にあたる第3代マーチ伯爵ウィリアム・ダグラスによって相続された。「Old Q」と渾名された彼は、競馬・演劇・美術のパトロンとして有名であり、また浪費家としても悪名高い[1]。未婚であった彼が1810年に死去すると、クイーンズベリー公爵はドラムランリグ城などの財産とともに第2代クイーンズベリー公爵の娘の子である第3代バクルー公爵ヘンリー・スコットが、クイーンズベリー侯爵は第2代クイーンズベリー伯爵の弟の来孫にあたるサー・チャールズ・ダグラス準男爵がそれぞれ継承した[1]。なお第4代クイーンズベリー公爵が父親から相続したマーチ伯爵は初代クイーンズベリー侯爵の娘の玄孫であるフランシス・ダグラス(後の第8代ウィームズ伯爵)が継承し、母親から相続したルグレン伯爵は断絶した。
以後、クイーンズベリー公爵の称号は代々のバクルー公爵が帯びている。
ギャラリー
クイーンズベリー公爵 (1684年)
- ウィリアム・ダグラス (初代クイーンズベリー公爵) (1637年 - 1695年)
- ジェイムズ・ダグラス (第2代クイーンズベリー公爵) (1662年 – 1711年)
- 1708年、ドーヴァー公爵に叙位
- チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵・第2代ドーヴァー公爵) (1698年 – 1778年)
- ウィリアム・ダグラス (第4代クイーンズベリー公爵) (1724年 – 1810年)
- ヘンリー・スコット (第3代バクルー公爵・第5代クイーンズベリー公爵) (1746年 – 1812年)
- チャールズ・モンタギュー=スコット (第4代バクルー公爵・第6代クイーンズベリー公爵) (1772 年 – 1819年)
- ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット (第5代バクルー公爵・第7代クイーンズベリー公爵) (1806年 – 1884年)
- ウィリアム・モンタギュー・ダグラス・スコット (第6代バクルー公爵・第8代クイーンズベリー公爵) (1831年 – 1914年)
- ジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット (第7代バクルー公爵・第9代クイーンズベリー公爵) (1864年 – 1935年)
- ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット (第8代バクルー公爵・第10代クイーンズベリー公爵) (1894年 – 1973年)
- ジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット (第9代バクルー公爵・第11代クイーンズベリー公爵) (1923年 – 2007年)
- リチャード・モンタギュー・ダグラス・スコット (第10代バクルー公爵・第12代クイーンズベリー公爵) (1954年 – )
- 公爵位の法定推定相続人は、当代の長男であるダルキース伯爵ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット(1984年 - )
系図
ウィリアム 初代クイーンズベリー伯爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジェイムズ 第2代クイーンズベリー伯爵 | ウィリアム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム 初代クイーンズベリー公爵 | ジェイムズ 初代準男爵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジェイムズ 第2代クイーンズベリー公爵 初代ドーヴァー公爵 | ウィリアム 初代マーチ伯爵 | ウィリアム 第2代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ 第3代クイーンズベリー公爵 第2代ドーヴァー公爵 | ジェイン | フランシス 第2代バクルー公爵 | ウィリアム 第2代マーチ伯爵 | ジョン 第3代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランシス ダルキース伯爵 | ウィリアム 第4代クイーンズベリー公爵 | ウィリアム 第4代準男爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー 第3代バクルー公爵 第5代クイーンズベリー公爵 | チャールズ 第6代クイーンズベリー侯爵 | ジョン 第7代クイーンズベリー侯爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ 第4代バクルー公爵 第6代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウォルター 第5代バクルー公爵 第7代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウィリアム 第6代バクルー公爵 第8代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョン 第7代バクルー公爵 第9代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウォルター 第8代バクルー公爵 第10代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョン 第9代バクルー公爵 第11代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード 第10代バクルー公爵 第12代クイーンズベリー公爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出典
- ^ a b c d e f g h i j Chisholm, Hugh, ed. (1911). "QUEENSBERRY, EARLS, MARQUESSES AND DUKES OF.". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 730–731. 2011年5月8日閲覧。
外部リンク
- Buccleuch Scottish Estates. (英語) - バクルー・グループ