イザベル・サルリ

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Isabel Sarli
イザベル・サルリ
イザベル・サルリ
本名 Hilda Isabel Gorrindo Sarli Tito
別名義 Coca Sarli
生年月日 (1935-07-09) 1935年7月9日
没年月日 (2019-06-25) 2019年6月25日(83歳没)
出生地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン エントレ・リオス州コンコルディア
職業 モデル女優
配偶者 アルマンド・ボー
 
受賞
2008年 アルゼンチン映画批評家協会功労賞
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イザベル・サルリIsabel Sarli, 1935年7月9日 - 2019年6月25日[1])は、アルゼンチンモデル女優である[2]。本名イルダ・イサベル・サルリ・ゴリンド・ティトHilda Isabel Sarli Gorrindo Tito)。原音に忠実な表記はイサベルであるが、日本では本項目名で知られる[3][4]

そのグラマラスな肢体からポップアイコン、ゲイアイコン、セックスシンボルとされた。サルリの作品は、エロティック、キャンプキッチュグロテスクな表現により、後に再評価され、結果、カルト映画としてラテン諸国を中心とした映画ファンに愛されるようになった。

来歴・人物

1935年(昭和10年)7月9日、アルゼンチンのエントレ・リオス州コンコルディアに生まれる[2]

La leona 撮影中のイザベル(左)とボー、1964年。

1955年(昭和30年)、同年度の「ミス・アルゼンチン」のタイトルを獲得、イルダ・イサベル・サルリの名で、同年度のミス・ユニバースミス・ユニバース1955)に出場する[2][5]。同大会は、スウェーデン代表のヒレヴィ・ロンビンが第1位、日本代表の高橋敬緯子が第5位を獲得した年である[5]

俳優から監督も手がけるようになったアルマンド・ボーに抜擢され、1956年(昭和31年)、『女体蟻地獄』にボーとともに主演して、映画界にデビューする[2]。以降、ボーの監督作を中心に女優として活躍、時期は不明であるが、ボーと結婚した[2]

1980年(昭和55年)に公開されたボーの監督作 Una viuda descocada に出演したのを最後に、映画界を退く[2]。1981年(昭和56年)10月8日、ブエノスアイレスでボーが死去し、同作はボーの遺作となった[6]

1996年(平成8年)、ホルヘ・ポラコの監督作に出演、16年ぶりにカムバックした[2]。2008年(平成20年)、アルゼンチン映画批評家協会功労賞を受賞した[2]。2009年(平成21年)にもボラコの監督作に出演している[2]

フィルモグラフィ

特筆以外はすべて出演作である[2]。劇映画の出演作に関してはフルリストである[2]

関連事項

  1. ^ “Tenía 83 años Murió Isabel “la Coca” Sarli” (スペイン語). clarin.com. (2019年6月25日). https://www.clarin.com/espectaculos/murio-isabel-coca-sarli_0_VEZ8YTAR7.html 2019年6月28日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k Isabel Sarli, Internet Movie Database (英語), 2010年10月18日閲覧。
  3. ^ イザベル・サルリ、キネマ旬報映画データベース、2010年10月18日閲覧。
  4. ^ イザベル・サルリ、allcinema ONLINE, 2010年10月18日閲覧。
  5. ^ a b Universe 1955,pageantopolis.com (英語), 2010年10月18日閲覧。
  6. ^ Armando Bo - IMDb(英語), 2010年10月19日閲覧。

外部リンク