アンドラーシュ・コーロディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。YiFeiBot (会話 | 投稿記録) による 2015年8月7日 (金) 23:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 1 件をウィキデータ上の d:q516032 に転記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アンドラーシュ・コーロディ(András Kórodi, 1922年5月24日 - 1986年9月17日[1]は、ハンガリー指揮者

ブダペストの生まれ。リスト音楽院でマルギット・ヴァロとミクローシュ・マースにピアノ、ラースロー・ライタに作曲、ヤーノシュ・フェレンチクに指揮法を学ぶ。1946年にハンガリー国立歌劇場合唱指揮者としてキャリアをスタートさせたが、1956年のハンガリー動乱の際にソ連に行き、1957年にハンガリー人として初めてボリショイ劇場に客演した。1962年に東京交響楽団の招きで初来日を果たしている。1963年にはハンガリー国立歌劇場の音楽監督となり、1967年にはブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任し、亡くなるまでその任にあった。

1957年より母校で教鞭を執り、門下にアンドラーシュ・リゲティ等がいる。

トレヴィーゾにて死去。

脚注

  1. ^ [1]