アネット・ミューヴィセン

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アネット・ミューヴィッセンAnnette Meeuvissen1962年4月12日 - 2004年12月5日)は、ドイツの女性レーシングドライバー[1]ドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦していたことで知られており、エレン・ローアベアテ・ノードと共にDTMで活躍した女性ドライバーの1人として知られる。ローアがメルセデスの、ノードがフォードのドライバーであったのに対し、ミューヴィセンはBMWのドライバーとして活動した。

キャリア[編集]

アネット・ミューヴィッセンは、1980年にスラロームでモータースポーツのキャリアを始めた。[1]1982年、彼女は運転したフォード・フィエスタXR2で新しく設立されたフォード・フィエスタレディースカップに参戦。ヴンストルフ航空基地でのオープニングレースで勝利した後、彼女はシーズンの6レースの後、1位でディーラ・スタゲマンと同ポイントになった。[2]しかし、ステゲマンはもう1回勝利を収めることができたため、チャンピオンと宣言された。[3]

1985年のシーズンにフォードゲルストマンレーシングチームに参加し始め、ヨーロッパツーリングカー選手権に参戦。ヨルグ・ファン・オーメンと共に、彼女はフォード・エスコート RS1600iで2つの表彰台を得た。[4]

1987年にツーリングカーレースに復帰。メルセデス・スターミッツと一緒にBMWシュニッツァーチームから世界ツーリングカー選手権のDiv.2クラスに参戦。スパ・フランコルシャン24時間レースにも参戦を経験している。ヨーロッパツーリングカー選手権では、ザントブルク戦に参戦。500 kmレースで行われたこのレースでは、7位で完走した。[1][4]

1988年から1991年まで、ミューブセンはドイツツーリングカー選手権(DTM)にも出場した。

1992年にドイツのツーリングカートロフィー(DTT)に移籍した[5]ハイナー・ワイスとマーク・ギンドルフと共に参戦。スパ・フランコルシャン24時間レースにも再び参戦。総合17位で完走している。[4]1992年のシーズン後、モータースポーツのキャリアを終え、BMWのドライビングインストラクターとして活躍した。[1]

ナミビアで慈善活動も行っており、ホームレスや負傷した動物のための農場を開設した。1995年にドイツに戻り、1996年から2002年までフライトアテンダントとしても活躍。[1][5]しかし、を患っている事が判明。幼稚園の教員免許の取得中であったが、断念せざるをえなかった。2004年12月5日、長期に渡る闘病生活の末、癌の悪化により死去した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e "Annette Meeuvissen". raceladys.ch. 2019年5月1日閲覧
  2. ^ "Annette Meeuvissen". www.driverdb.com. 2019年5月1日閲覧
  3. ^ "Ford Presseerklärung: 25 Jahre Ford Fiesta". 2012年3月31日閲覧
  4. ^ a b c "Complete Archiv of Annette Meeuvissen". www.racingsportscars.com. 2019年5月1日閲覧
  5. ^ a b "Annette Meeuvissen nach schwerer Krankheit verstorben". www.dtm.com. 7 December 2004. 2019年5月1日閲覧