Wikipedia:秀逸な記事の選考/横須賀海軍施設ドック 20120205

横須賀海軍施設ドック[編集]

賛成/条件付賛成/保留/反対 5/0/0/0 この項目は選考基準の賛成のみ3票以上を満たしています。2012年3月12日 (月) 13:57 (UTC) (2012年3月12日 (月) 22:57 (JST))までに異論がなければ、この項目は秀逸な記事となります。

(ノート) 《推薦理由》記事全体として土木関係の記述が多く、歴史面では幕末から明治にかけてのウエイトが大きく、またこれまでほとんど関わっていなかった軍事関連の記述も多いという、私としては本来あまり得意な分野の記事ではないのですが、これまでにほぼ現在入手できる資料を用いてまとめましたので、主執筆者として秀逸な記事選考にかけたいと思います。 どうかよろしくお願い致します。のりまき 2012年2月5日 (日) 10:20 (UTC)[返信]

賛成  この記事ではたくさんの文献が使われていますが、その中でも主要な文献
  • 東京大学生産技術研究所「横須賀市文化財調査報告書第17集」『米海軍横須賀基地内洋風建造物調査報告書』横須賀市教育委員会、1988年
  • 寺谷武明「近代日本の造船と海軍」成山堂書店、1996年 ISBN 4-425-30131-5
  • 横須賀市『新横須賀市史、別編文化遺産』、横須賀市、2009年
  • 横須賀市『新横須賀市史、通史編・近世』、横須賀市、2011年
の4冊を国会図書館で実際に読んで脚注の一つ一つ一文一文を査読いたしました。記事と参考文献の間に齟齬はなく、また資料のまとめ方もケチのつけようのない見事なものでした。はっきり言って参考文献とこの記事を見比べながら執筆者としてののりまきさんの力量に脱帽いたしました。ドックという一般人の生活の中では目にすることのない施設で、船を作ったり修理したりするところだろうとは知っていてもそれ以上のことはなかなか分からないものです。しかし、のりまきさんのこの記事でドックの構造や諸条件が事細かに理解でき、さらに日本の海運や海軍の歴史を土木施設の面から見ることが出きます。極めて秀逸な記事だと思います。--ぱたごん 2012年2月5日 (日) 11:32 (UTC)[返信]
賛成 とても優れた記事だと思います。これらのドックが建設されはじめた経緯から、戦艦等の大型化に対応するため、徐々に規模の大きなドックが建造されていくあたりは、開国から第二次大戦へと突き進んで行った日本の近代史と重なり、建築土木の観点からも当時の社会情勢を伺うことが出来るのかと、非常に興味深く読むことが出来ました。参考文献、出典も脚注でしっかり付けられていますし、記事の内容を理解、イメージするのに有益な画像も豊富です。全体の構成も可読性に優れ申し分ありません。--さかおり 2012年2月6日 (月) 14:51 (UTC)[返信]
コメント査読依頼の方で、各ドックでの代表的な建造・修理艦艇を挙げて欲しいと依頼したのですが、結局挙げない方が良い、あるいは資料が無いと判断されたのでしょうか。三号ドックは雑艦艇だと査読依頼の方に返答を貰いましたが、他は特に記事の修正も行われていないようです。--Tam0031 2012年2月17日 (金) 17:21 (UTC)[返信]
Tam0031さん、いつも丁寧に読んでいただきどうもありがとうございます。この部分は私としても一番気になっている箇所の一つで、査読依頼の際も書きましたが、『新横須賀市史、別編文化遺産』に記述はあるのですが、内容的にやや疑問があります。横須賀海軍工廠が発行した『横須賀海軍工廠史』には、各ドックに入渠した艦船リストが年度ごとに記載(昭和8年以降の分のリストは無いのですが…)されていますので、これを当たれば書けるには書けるのですが、一次資料である横須賀海軍工廠史の内容をまとめて書くのが良いことなのかどうか判断がつかず、今年度発行予定の『新横須賀市史、別編軍事』での記述も参考にして、最終記載方法を決めてから載せようと思っておりました。ご意見を頂いたように各ドックの修理艦艇については私も載せるべきと考えておりますので、とりあえず『新横須賀市史、別編文化遺産』の記述を書くか、または一次資料の『横須賀海軍工廠史』記載のリストから書くか、または『新横須賀市史、別編軍事』の発行を待って記載を行なうか、ご意見を伺えればと思います。--のりまき 2012年2月18日 (土) 00:05 (UTC)[返信]
この場合だと、『横須賀海軍工廠史』は一次資料ではなく二次資料になるのではないでしょうか。艦船の建造や修理を行う際に直接記録した資料が一次資料で、それを基にまとめて出版した『横須賀海軍工廠史』は二次資料の気がします。単なる一覧表にまとめてあるだけなら、「他の情報源から取得した情報やデータの概括、分析、総合、解釈、評価を行うもの」にならないのかもしれませんが…。また、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源を見ても、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料を見ても、一次資料をまったく使うなと言っているのではなく、注意して扱うべきとしているので、単純な事実関係を示す(ここでは建造・修理艦艇の例を挙げる)ためならば一次資料であったとしても問題ないのではないでしょうか。『新横須賀市史、別編軍事』を待ってもよいですが、『横須賀海軍工廠史』を基に記述してもそれで構わないと私は思います。--Tam0031 2012年2月18日 (土) 05:02 (UTC)[返信]
横から失礼致します。この件に関しては私もTam0031さんと同じ意見です。『横須賀海軍工廠史』が一次資料なのか二次資料なのか難しいところではありますが、年度ごとの入渠した艦船リストを記事に記載する出典に使用する目的であれば、それほど一次資料二次資料の違いに神経を使わなくても良いのではないでしょうか。一般論ですが一次資料を慎重に扱うべきものは存命人物や営利団体などに対してであって、個別の近代建築史の出典に使うのであれば問題は無いと思いますし、今年度発行予定の『新横須賀市史、別編軍事』など新たな出典はは随時追加していけば良いと思います。--さかおり 2012年2月18日 (土) 06:09 (UTC)[返信]
ご意見どうもありがとうございます。とりあえず私の手元に、戦前に発行された横須賀海軍工廠史の中で大正7年から昭和7年についての各ドック入渠船舶リストと、戦後にまとめられた昭和8年から12年にかけての入渠船舶の種類別表(昭和13年以降は資料なし)があります。『新横須賀市史、別編文化遺産』の記述も参考にしながら記述をしたいと思いますので、今しばらくお待ちいただければと思います。--のりまき 2012年2月19日 (日) 09:37 (UTC)[返信]
『横須賀海軍工廠史』を更に調べ、とりあえず明治41年から昭和7年まで1号から5号ドックに入渠した艦船のリストを入手できました。これから記載内容を検討し、加筆を行ないます。--のりまき 2012年2月25日 (土) 09:32 (UTC)[返信]

インデント戻します。手元の資料で各ドック入渠可能艦船について加筆いたしました。いかがでしょうか?--のりまき 2012年2月25日 (土) 22:01 (UTC)[返信]

賛成 ありがとうございます。表組されて各ドックの諸元が大変見やすくなりました。大和や武蔵が横須賀で入渠したことがあるというのは目からうろこでした。また注釈で示されている、ドックでの建造は信濃だけというのも驚きました。現在の建造ドック全盛の時代に慣れているからか、溶接を全面適用したことで有名な大鯨や、関東大震災で破損して空母への改造が取りやめになった天城などは、ドックで建造されたと思い込んでいましたけど、船台建造だということなんですね。--Tam0031 2012年2月26日 (日) 06:44 (UTC)[返信]
Tam0031さん、どうもありがとうございます。表組についてはそのような作業が不慣れな私ではなく、氷鷺さんがやっていただいたようです。この場を借りてお礼申し上げます。あと昭和13年以降は入渠艦船の記録が全く残っておらず、大和と武蔵は横須賀で入渠しているかどうか確実なことは言えません。表組の題に「入渠可能艦船」と書き、各ドックに各資料から確認できる入渠可能な最大規模の艦船を記述する旨を脚注に記しましたが、わかりにくかったでしょうか?もし読者に誤解を与えるようならば大和、武蔵、あと4号ドックの飛龍は省きたいと思います。あと確かに横須賀ではドックでの建造は信濃のみで後は全て船台建造です。これは資料から確認できます。--のりまき 2012年2月26日 (日) 08:25 (UTC)[返信]
ああ、そういう意味だったのですね。どちらかというと、入渠可能艦船を示すよりは、入渠実績のある艦船を示した方が良いように思います。--Tam0031 2012年2月26日 (日) 16:54 (UTC)[返信]
やはりそうですよね。では大和、武蔵、飛龍はとりあえず外しておきます。--のりまき 2012年2月26日 (日) 20:56 (UTC)[返信]
条件付賛成 既に他の方が多く述べられているので重複は避けたいと思いますが、多くの資料を駆使して丹念に記載されているこの記事は全く以って驚嘆に値するものであり、最早のりまきさんの執筆力には脱帽と申す他はありません。歴史について江戸時代から現在まで詳細かつ分かり易い内容は、私も土木(河川・ダム)分野を書く者として大変参考となりました。
ここで一点注文というにはおこがましいのですが、これだけの先鋭的かつ大規模なドックは恐らく当該施設が特に建造当時から戦中に至るまでは日本随一と考えますが(港湾関係には疎いので間違っているかもしれません)、このドック建造が日本の港湾建設に与えた影響について、分かる範囲で加筆いただければさらに内容の濃いものとなるのではないかと考えました。私はダム記事を主体に記載してますが、例えば佐久間ダムは以降の日本土木技術・ダム建設技術に多大な影響を与えました。ですから当該施設もその後の日本港湾建設技術に何らかの影響を与えたような気がしてなりません。歴史については十分過ぎるほど満たされているので、後世土木技術に与えた影響が是非知りたく、失礼とは存じますが条件付賛成とさせて頂きました。--河川一等兵 2012年2月27日 (月) 11:16 (UTC)[返信]
いつも河川やダム関連の素晴らしい記事を拝読させていただいています、河川一等兵さんに高く評価していただき光栄です。ただご希望の後世の港湾建設についての影響については、私が見た限りあまり資料になかったような印象ですが、改めて資料を読み直し、加筆を検討してみたいと思います。--のりまき 2012年2月27日 (月) 13:19 (UTC)[返信]
お褒めに預かり恐縮です。件のことについては恐らく資料的に厳しいものと推察いたします(これだけ緻密に書かれているので・・・)。ですから資料があればで結構です。心象としては限りなく賛成に近い「条件付賛成」なのですが、河川・ダム関連の記事を書いておりますとどうしても後世の評価というか影響について避けて通れない部分がありまして、ダム以外の大規模土木施設はどうなのかという知的好奇心からお願いした次第です。資料が有れば是非加筆をお願いします。--河川一等兵 2012年2月27日 (月) 15:45 (UTC)[返信]
(追記)本記事と横須賀海軍工廠の記事を見て、ふと思ったのですが横須賀海軍施設ドックと横須賀海軍工廠は戦後はともかくとして終戦までは不可分の関係ではなかったのではないかと素人目には感じました。ドックの歴史は即ち工廠の歴史でもあるかと・・・。従って横須賀海軍工廠の記事と本記事を統合して記事名を「横須賀海軍工廠」とし、戦後の内容などを再構築すれば、歴史のみならず港湾・船舶技術や各方面に与えた影響などをより加筆し易くなるのではないかと思いました。というのは相模ダムを始めとする相模川河水統制事業はドックを拡張する横須賀海軍工廠への電力・水道供給を目的に開始されたもので、ダム建設に反対する住民に対して陸海軍が圧力を掛けたという事実がありまして、間接的に県民に影響を与えております。本来の選考内容とは隔絶した提案ですので勿論今回の選考には関係しませんが、今後本記事をさらに充実させる一つの拙い提案としてお気に留めて頂ければ幸いですし、内容の充実に私も別角度からご協力できます。--河川一等兵 2012年2月28日 (火) 15:48 (UTC)[返信]
とりあえず影響項を新設し、現状わかる範囲の内容を記載いたしました。また横須賀海軍工廠と統合させ記事内容の更なる充実を図るというご提案について、どのようにお返事すればよいかずっと考えておりました。おっしゃるように1号から6号までの各ドックは横須賀海軍工廠と密接な繋がりがありますが、横須賀海軍工廠の前身である横須賀造船所、そして現在の米海軍艦船修理廠(SRF)とも切っても切り離せない密接な関係があります。私としては当記事でドライドックを通して幕末の横須賀造船所から現在の米海軍艦船修理廠に至るまでの歴史を俯瞰するというもくろみがあったので、皆さんの評価を大変嬉しく感じていたのですが、現状では横須賀造船所、横須賀海軍工廠の記事ともにやや寂しい内容であるのは否めず、米海軍艦船修理廠の記事に至ってははまだ未作成です。以前私は九条塚古墳内裏塚古墳群で同じような指摘を受けたことがあり、やはり本記事となる横須賀造船所、横須賀海軍工廠の記事充実も考えていくべきではないかと考えました。
そこまで考えたところで、いったいどのような記事構成とすればよいかについて悩みました。横須賀造船所、横須賀海軍工廠、米海軍艦船修理廠は私が見る限り施設としての継続性が高く、思い切って同一記事として技術史、軍事史、労働史等、様々な視点からの歴史の流れをメインとして記述していくというやり方が良いような気もしますが、そうするとあまりに大きな記事となって見通しが悪くなる可能性も高いです。また扱う分野もぐっと広くなるので果たして私の手が廻るかどうか…正直不安も多いのですが、横須賀海軍施設ドックよりも更に色々な面から歴史を考えることが出来る良い機会であり、やはりどうしても歴史好きの血が騒ぐ上に、もし河川一等兵さんのご協力を頂けるとすれば本当に有難いことだと思い、まずは試作をしていこうかと考えましたがいかがでしょうか?--のりまき会話2012年3月4日 (日) 05:26 (UTC)[返信]
賛成 「影響」節を拝読いたしました。やはり、港湾技術の先駆となっているようですね。またセメント技術の発展にも寄与したとのことで、ダム技術にもドック建設はセメントという面で影響を及ぼしているようです。日露戦争の戦局にも少なからず影響を与えたのは驚きました。私としては満足できる内容であると判断し、賛成票へと変更させて頂きます。お疲れ様でした。
横須賀海軍工廠への統合提案ですが、ご検討頂き恐縮です。海軍工廠と相模ダムの件ですが、ドック拡充に伴う海軍工廠への相模ダムの利用は戦時体制下の河川行政のみならず住民への軍部の圧力という社会問題のほか、背景に日本発送電などの電気事業国有化政策や国家総動員法などが関係するなど奥が深く、河川事業史・電気事業史・神奈川県史・戦前政治史といったものが関連しているようです。ただ、統合作業はのりまきさんが仰られるように「大仕事」になると思いますので、私としてはまず本記事の秀逸選考通過を行った上で今後のことを図ってゆくのが混乱も無く良いと考えます。その上で軍事面に精通する執筆者の方などにもご協力を頂きながら、記事内容を練って行くというのは如何でしょうか。大きな記事に対する懸念についてですが、本記事で技術史・軍事史は相当程度網羅されていると思いますし、私も利根川で悩みましたが結局興味のある人は記事全体を読むのではなく、興味のある節を見るでしょうから、そこまで懸念する必要性も余りないように思います。今後「横須賀海軍工廠記事拡充プロジェクト」として、でき得る限りのご協力をさせて頂く所存です。Wikipediaの理想たる「多くの人が関与して一つの記事を作り上げる」という趣旨にも合致するのではないでしょうか。--河川一等兵会話2012年3月4日 (日) 14:37 (UTC)[返信]
(追記)すみません。「横須賀海軍工廠」ではなくて関連施設全てを統合という意味でしたね。失礼しました。従って「横須賀海軍施設関連記事拡充プロジェクト」と修正させていただきます。勿論(仮)です。しかし名前長いな・・・。--河川一等兵会話2012年3月4日 (日) 14:45 (UTC)[返信]
条件付賛成 素晴らしい記事であるのはもはや私などが言うまでもないのですが、気になった点をいくつか。
  • 全体的に時系列にしたがって記述されており、「横須賀海軍施設ドックの歴史」とも言うべき内容となっています。それが記事名であればいいのですが、ドックの記事であるからには、それぞれのドック「個別」の記述がもう少し必要だと思います。大きさの数値だけでなく、どういう付属施設があるとか。そして、全部で6つのドックがあるわけですが、これがどのように使われるのか、という記述があまりありません。単純に艦船の大きさだけで使い分けるのか、各ドックの役割や機能、分担、もしあれば連携など。実際に船を入れる段階でもそれぞれ何かしら書くことがあるように思います。
  • 概要の節では、(いずれも詳細が後述されているためか)出典が省略されているようですが、こちらにも(主要なところだけでも)出典をお願いします。
  • すぐ上でもご指摘がありますが、このドックが港湾建設や海軍のあり方に与えた影響や意義について、詳しく言及があると良いかと思います。あとは…、研究や保存について、一般公開などの情報、もしあれば映画などでのロケでの利用、そういった方面からの情報もあった方が良いです。
よろしくお願いします。--氷鷺 2012年2月27日 (月) 17:19 (UTC)[返信]
氷鷺さんが現在の基準でのFA記事を何本お書きになったのか知りませんが、氷鷺さんのご要求はあまりにも過剰要求だと思いますね。全部で6つのドックがあるわけですが、これがどのように使われるのかは、全体の記事で歴史的には主に軍艦の修理(海軍施設、アメリカ軍施設ですからね)そしてデータ節には「船舶の種類は多種多様で、横須賀海軍工廠会(1998)によれば、特に最小の3号ドックは雑役船の入渠が極めて多い。」と書いてあるではないですか。それぞれのドック「個別」の記述がこれほど詳しく書いてあって、なおも要求するのですか?書いてあるのに、まだまだ書くべきことがあるというなら何を書くべきなのか具体的な指示が必要です。「一般公開などの情報くらいがあればいいなぁ」というくらいならばまだしも、参考文献が容易にみつかりそうなものかどうかの見極めもせずに要求していませんか?要求するのならば、むしろ私が「地方病」で行ったような改名要求ではないでしょうか?記事名についてはのりまきさんご自身迷われたような経緯もありますので。--ぱたごん 2012年2月28日 (火) 09:15 (UTC)[返信]
5年半も居て未だにFAを書いていないという点については、批判されても仕方ないことです(場所を考えたらどうかとは思いますが)。しかし、それ以外については見当違いなことばかりですし、そもそも、ぱたごんさんが私にどう言ったところで仕方がありません。私が「それが記事名であればいいのですが」と書いたのを見て勘違いされたのなら申し訳ないのですが、改名すれば済む話でもないかと。--氷鷺 2012年2月28日 (火) 13:36 (UTC)[返信]

インデント戻します。まずは私が不慣れな表組みを行っていただき、どうもありがとうございました。少々お返事が遅れまして失礼いたしました。ドックの付帯設備については正直ポンプ室の記述くらいしか見つけられませんでしたが、とりあえず加筆いたしました。ドックの果たした土木史的、建築史的、そして海軍史的な役割については、新たに3号ドックの建設が日本におけるポルトランドセメント製造のきっかけになったという資料を見出しましたので、各文献に書かれていた横須賀海軍施設ドックの意義とともに、影響節を新設して加筆してみました。

ところで各ドックの使われ方なのですが、これは6号ドックが用いられるようになったのが基本的に戦後となるため、各ドックの役割分担や機能について等、どうしても現状のアメリカ海軍(現状では第七艦隊)での利用方法についての記述がメインになってしまうと考えます。私もこのあたりは非常に気になって資料を探しているのですが、これまでのところ横須賀海軍施設ドックの使用方法について研究された文献が見出せていません。やはり横須賀海軍施設ドックは現役バリバリの軍事施設なので、どうしても資料入手に限界が出てきてしまうのかと思います。私が入手した情報では、米海軍艦船修理廠(SRF)に「錨」という機関紙があるそうで、それを入手すればある程度書けるかもしれないのですが、地元の横須賀市図書館にはありませんし、どうやら横須賀海軍施設内で調査をかけるしか案が浮かびません。もし入手できても英語が不得手かつドックなどの技術面は素人同様の私が読みこなせるのかという高いハードルが待っていますが(苦笑)、読むことすら出来なければ話も始まりません。どこまで可能なのかわかりませんが、私なりに興味が出てきた分野ですので時間をかけて取り組みたいと思います。

なお研究については記事内で紹介したものが現状では多分ほとんど全てかと思います。また現役軍事施設なので一般人は通常立ち入りができません。年に4回ほど横須賀市観光協会が行う歴史ツアーに参加申し込みをして抽選に当たれば、使用中ではないドックの見学はさせてもらえるようです(私事ですが私はこれまで抽選に落ち続けています)。あとは月に数日、エスコートディと申しまして、基地内で働く友人、知人の付き添いのもと、事前申し込みを行って基地に入れる日があります。私はその制度を利用して基地内に入り、友人に各ドックを案内してもらったのですが、6号ドックは使用中であったため写真が撮れなかったのです。その辺の事情は私としては書くまでも無い(書けといわれても正直参考文献に苦労しそうです…)と判断したのですがいかがでしょうか?

まあ、正直あれも難しい、これも難しいという話で申しわけないと思っています。特に現状のドック利用については私としても是非書きたいと考えている内容なので、現在横須賀海軍施設ドックを運用しているSRFのモットーは「Nan Demo Dekimasu、 We can do anything」だそうで(笑)、それに倣って頑張ってみたいと思っています。--のりまき会話) 2012年3月4日 (日) 04:59 (UTC)一部追記--のりまき会話2012年3月4日 (日) 05:26 (UTC)[返信]

賛成 どうもありがとうございました。賛成票に変更させていただきます。--氷鷺会話2012年3月5日 (月) 13:57 (UTC)[返信]