Wikipedia:井戸端/subj/評論家の言及記事だけで存命人物の伝記に加筆は出来ないのか?

評論家の言及記事だけで存命人物の伝記に加筆は出来ないのか?[編集]

現在、ある人物が起こした社会運動について、評論家の記事を基に加筆するのが適切なのかをノートで議論しています。現在の下書きではオピニオンサイト(アゴラ論座)やAERAに記載された評論家の記事を基に加筆することが検討されており、当方はWikipedia:中立的な観点におけるWP:SUBSTANTIATE(偏った記述は帰属化・明確化する)やWikipedia:存命人物の伝記#批判・あら探し#評論家の意見を論拠に現行の下書き案による加筆は問題ないと考えています。しかし、議論をしている一人がWikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せを論拠に、”評論家の言及はあくまで意見のみであり、真実が示されていない”と主張し、Wikipedia:存命人物の伝記の観点からも”「意見」だけでも存命人物の記事に否定的な記述をしてよい方針やガイドラインがない”という主張を繰り返しており議論が停滞しております。そのため、今回お伺いした内容としては、①Wikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せの趣旨は、「意見」であってもWP:SUBSTANTIATEに沿って記載すれば問題ない、という認識で問題ないでしょうか。②”「意見」だけでも存命人物の記事に否定的な記述をしてよい方針やガイドラインがない”という論拠を基に、検証可能性や信頼すべき情報源の条件を満たした評論家の言及が加筆できないことがあるのでしょうか。本件ご意見いただけますと幸いです。--従六位上河内介会話2022年2月12日 (土) 10:14 (UTC)[返信]

  • 既にその「ある人物」についてはコメント依頼が提出されており、これ以上議論を分散させる必要があるかは疑問ですが、ここの題名は正確には「評論家の言及記事だけで存命人物の伝記に否定的な加筆は出来ないのか?」になると思います。なお上記文中にある「議論をしている一人」とはわたしのことなので別に伏せなくてもよいです。「意見/事実」という論点を使っている加筆反対側はわたしだけなのだという理解を従六位上河内介さんがしているのだ、ということは了解しました。--Aoioui. 2022年2月12日 (土) 11:30 (UTC)[返信]
コメント (おそらく戦略上こだわられている)ルールについて、「〇〇によれば」という前置きをすれば掲載は可能。ただ、残念なことに大手メディアが実名を避けている点から「当該記事への掲載価値はまったくなし」です。対立相手とされる方の記事も見て来ました。ツイッターの騒動をツイッター原文を使って書いているというかなり荒っぽい書き方をされていますが、対立相手側も「役職の辞任と簡単なその理由」で十分です。
それでも現状の情報量が必要だとの考えであれば、「ネット文化」などに分野替えをして、対立相手記事からの分割という形をとって早々に事件・事故体裁で別記事にされることをお勧めします。そこに人物名が書けるかどうかについては別途要審議ですが、警察沙汰でもないので(個人的には)掲載に反発するつもりはありません。--Triglav会話2022年2月12日 (土) 13:10 (UTC)[返信]
既に「方針・ガイドラインに照らして掲載もできる」という点では元記事ノートでコンセンサスがとれていると思います。
@Triglavさん、におかれましては「当該記事への掲載価値はまったくなし」の根拠をお示し頂けると議論の方向性がより明確になるのでよろしくお願いいたします。また前提として、該当記事人物の専門分野は「フェミニスト批評」であり、オープンレターは「自ら実名を公表して行ったムーブメント」であること、を共有させていただきます。 圧倒的認識会話2022年2月12日 (土) 14:37 (UTC)[返信]
返信 (圧倒的認識様宛宛) こちらのノートのことであれば、コンセンサスは取れていない状況です。なお下書き案はWikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究を載せないWikipedia:検証可能性に関して問題があるため、問題点を懇切丁寧に解説させていただいていますが、当該人物記事への記述には反対の立場です。--Assemblykinematics会話2022年2月12日 (土) 22:45 (UTC)[返信]
情報 井戸端なので本来はあまり触れるべきではないのかもしれませんが、従六位上河内介様やTriglav様がリンクを示されているため補足しておきます。発端となった騒動に関して
  1. http://www.nichirekikyo.com/statement/statement20210402.html”. 日本歴史学協会. (2021年4月2日) 2022年2月12日(UTC)閲覧。
  2. https://topics.nichibun.ac.jp/pc1/ja/sheet/2021/10/15/s001/”. 国際日本文化研究センター. (2021年10月15日) 2022年2月12日(UTC)閲覧。
  3. https://www.nihu.jp/ja/news/2021/20211015”. 人間文化研究機構 (2022年10月15日). 2022年2月12日(UTC)閲覧。
といったものが公表されていますが、いずれも個人名や詳細が記されていません。特に 3. では「本件の詳細については、個人に対するプライバシー等の侵害や更なる二次被害を与える恐れがあることからこれ以上の公表を差し控えます。」と明記されています。歴史学の研究者の方でも
のように二次被害に懸念を持っておられる方がいらっしゃいます。なお、この二次被害というのは被害者の方々だけでなく、加害者側の方やその関係者に対しても当てはまるものだと思います。また、オープンレターは本事件とは別問題とお考えになる方もいらっしゃるとは思いますが、こちらのアーカイブのような情報もあるせいか、少なくとも圧倒的認識様は分離されるおつもりがないようです。--Assemblykinematics会話2022年2月12日 (土) 22:45 (UTC)[返信]
コメント 補足 井戸端なので本来は一般論として議論するべきかとは思いましたが、本記事は複数の人物記事に影響しますので、議論が分散することになるかもしれませんが、上記のように書き込ませていただきました。また、何名かの方々は方針「Wikipedia:存命人物の伝記」の細部の記述にばかり目が行っており、全体的な方向性や意図をくみ取っておられないように考えられます(詳細はこちらのノートのこちらの小節でも解説しています)。--Assemblykinematics会話2022年2月12日 (土) 22:45 (UTC)[返信]
@圧倒的認識様、人物記事のノートを見ても考えが一致しているとはとても思えません。「掲載もできる」とおっしゃいますが、そうではなくて、そのルールだけを見れば「書ける」けど、別のルールや特筆性、記事のバランスなどを含めて総合的に「書けない」です(なのでレベルを一気に下げた専門記事にすることをお勧めしています)。現時点では(この件に関して)単なる職業「研究者」という一般人なのだから。それを大手メディアの匿名報道が示していると思います。そのムーブメントやらが成功しても失敗しても何かしらの大きな結果が生み出されたら大手メディアもちゃんと実名で報道するでしょ? --Triglav会話2022年2月15日 (火) 00:06 (UTC)[返信]
  • 返信 @Triglav様、@圧倒的認識様、@Assemblykinematics様3氏に申し上げます。今回言及いただきました内容はある人物のノート議論から場外乱闘の様相を示しております。今回、ノート議論からこの井戸端へ質問しているのは確かですが、あくまで方針・ガイドラインへの解釈についてお伺いしているのであり、記事の掲載価値や二次被害云々は井戸端の議論から逸脱しています。恐れ入りますが、そちらはノートへ議論の場を移していただきますよう謝してお願い申し上げます。--従六位上河内介会話2022年2月13日 (日) 00:48 (UTC)[返信]
    • 井戸端はいろいろな意味で何でもあり(ただし一定期間で読み込みが解除される、「ちょっとこの話題で話してみたい」「率直な感想を聞いてみたい」程度のもの)だと思います。詳しくガイドラインについて質問したい、それ以外の話があってほしくない、ということなら、それこそガイドラインのノートなど、専門化された場所は別途あるでしょう(個別記事専用の場所が別途あるのと同じように)。 --2001:240:2429:EE13:E48E:EE6D:520C:1DBA 2022年2月13日 (日) 03:55 (UTC)[返信]
    • 自分で議論を拡散させておいて「場外乱闘の様相を示しております」と言うのはちょっと他人事すぎるんじゃないですか。--Aoioui. 2022年2月13日 (日) 05:12 (UTC)[返信]
  • 返信 @Aoioui様、誠に恐れ入りますが上記の発言はWikipedia:個人攻撃はしない(WP:NPA#WHATIS)に抵触する発言かと思います。そもそも、この井戸端ではノートの本筋とは外れた方針やガイドラインの解釈について確認するためのものであり、本来ノートで言及すべき内容がこの井戸端でも議論されて井戸端での趣旨から外れたため「場外乱闘の様相を示しております」と申し上げた次第です。また、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないにも疑問があった際には井戸端で議論を呼びかけることことは認められています。--従六位上河内介会話2022年2月13日 (日) 05:47 (UTC)[返信]
    • 一般論を聞きたいならフラットな書き方がいくらでもあるのに、わざわざある人物にリンクを張ったり下書きがどうとかアゴラがどうとか議論をしている一人がどうとか言及したりしていますよね。これは具体例をチラつかせて「この議論のことなんですがどう思います?」とやってるのと一緒でしょう。冒頭でも言いましたが既にコメント依頼で十分に告知されているのだから議論を拡散させる必要はありません。自らそうやって議論を拡散させておきながら「場外乱闘の様相を示しております」と言うのは白々しいと言っているんです。失礼というものです。ご自身は個人攻撃に敏感でありながら、他者の議論を指して「乱闘」呼ばわりとはどういう了見なのでしょうか。従六位上河内介さんが冒頭に具体例を書かなければ皆さんはこのようなコメントをしなかったはずです。--Aoioui. 2022年2月13日 (日) 06:22 (UTC)従六位上河内介さんの要望により白々しいという発言を取り消しました。--Aoioui. 2022年2月14日 (月) 17:39 (UTC)[返信]
  • 返信 @Aoioui様、再度申し上げます。疑問があった際に井戸端で議論を行うことはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないで認められています。また、井戸端で言及するに当たって前提条件を提示したのみであり、確認したい点については一般論として方針やガイドラインについてお伺いしていたはずです。また、この井戸端の意義としても、aoioui様も「堂々巡りになっている」とノートで言及されていた通り解釈を巡って議論が停滞していたのは事実でしょう。「冒頭でも言いましたが既にコメント依頼で十分に告知されているのだから議論を拡散させる必要はありません。」と申されたことについて、あなたには不要と感じたのでしょうが、私は確認すべきと考えたので井戸端でお伺いしたまでです。もしそれが正しくないと仰るならば、方針やガイドラインに沿ってお示しください。
また、「自らそうやって議論を拡散させておきながら「場外乱闘の様相を示しております」と言うのは白々しいと言っているんです。」とありましたが、相手を指して白々しいと言うような個人攻撃はお止め下さい。そのような個人攻撃的な発言は議論の合意形成に背くものであり、不用意に議論を拡散させるものです。--従六位上河内介会話2022年2月14日 (月) 12:29 (UTC)[返信]
  • コメント ここで言及されている記事自体の議論は井戸端という場所柄触れませんが、方針に関する一般的な理解・解釈の意見を現在進行中の特定の記事または編集の議論に関連付けるべきではなく、方針理解についてこのような形での意見募集は好ましいものではないと思います。「評論家の言及記事だけで存命人物の伝記に加筆」できるかどうかと言えば、状況と内容によるとしか言えないでしょう。人物記事の加筆についての議論ならば、否定的な記述であるとか出典がどのような種類のものかという議論よりもまず、加筆する内容がその人物について理解する上で必要な事項であるのかどうかについて合意形成を試みた方が良いと思います。「方針上、加筆出来ること」と「説明する上で書くべきかどうか」は別の話であり、ある文章が加筆出来るか出来ないかではなく記事主題を理解する上で必要な情報かどうかが重要だと思います。--TEN会話2022年2月14日 (月) 13:10 (UTC)[返信]
    確かに「記事主題を理解する上で必要な情報かどうか」は百科事典的な記載が前提のwikipediaに必要な視点だと思います。--圧倒的認識会話2022年2月14日 (月) 15:24 (UTC)[返信]
    コメント 「記事主題を理解する上で必要な情報かどうか」という視点を本井戸端の当初の質問に絡めて述べるなら、「評論家の言及記事だけで存命人物の伝記に加筆」できるかどうかという話の筋立て自体があまり適切なものではないです。例えばジョー・バイデンという存命中の人物記事を考える上で「アメリカ合衆国大統領である」「カトリックである」「政策に対する評価・意見」といった事項は記事主題を理解する上で必要な情報であることにほとんど異論はないでしょう。これらの情報に不適切な出典が付されていたとしても、必要な処理は「不適切な出典であるから記述を除去する」ではなく「適切な出典を探してきて置き換える」になるはずです。そして評価・意見に中立性があるかどうかが議論の対象になります。つまり記事に加筆する内容は「出典があるから書ける」のではなく「必要な情報であるから書かれる」のであり、その書かれた内容、あるいは必要性自体が出典によって担保されるものです。この井戸端でいう「ある人物」の記事とは北村紗衣なわけですが、当該人物について理解する上でオープンレターに関する批判意見が必要であることが誰の目にも明白であるなら、どの出典を用いるのが適切であるかどうか方針に照らして探すだけですが、ノートでの議論を見る限りこれが必要な情報であるのかどうかについてコンセンサスがあるように見えません。掲載可否を巡って議論を呼ぶ内容であるならば情報の必要性を出典をもって議論し合意を行うのが先で、それなしに「評論家の言及に基づいて方針上書いて良いかどうか」という議論が先行するのは話の順番がおかしいように思います。
    特に当該記事の議論はノートや下書きの内容を見る限り、現在進行中の出来事かつ事件性もないので警察発表のような一定の信頼性を担保できるような公的機関の発表もないため、当事者以外にアクセスできない情報が多いことが想定されるでしょう。ネットメディアや評論家の言及が情報の信頼性を担保できるとは想定しがたく、しかも進行中の事案というデリケートな内容について加筆反対をおしてまで特定の意見を掲載するならば、情報の必要性について相当な理由が出典を伴って示される必要があります(その評論家に言及されること自体に重大な特筆性があるなど)。この必要性について合意できなければ、時間を置いて評価が定まるまでは書かないというのも有力な選択肢かと思います。井戸端自体の質問に話を戻せば、Wikipedia:存命人物の伝記に限りませんが、内容の必要性ではなく「書ける・書けない」という理屈で加筆の判断がされるような方針解釈がされるべきではないと思います。--TEN会話2022年2月15日 (火) 00:59 (UTC)[返信]
  • 返信 @Aoioui様、「他者の議論を指して「乱闘」呼ばわりとはどういう了見なのでしょうか。」という点にお答えします。「乱闘」という言葉に反応されているようですが、「場外乱闘」というのは"本来の議場ではなく、別舞台で議論を交わす"という意味の慣用句です(参考:場外乱闘 - コトバンク)。本来の意味を無視して「乱闘」という言葉尻だけで相手を非難するのはお止め下さい。
また、「フォーラム・ショッピング」に抵触するかというお話については、「自分が望む意見が得られるまで、外部の意見を求め続ける」行為を指すのであり、既に結論が出ている事項に対して、納得せず複数の媒体で意見を求めている訳ではないので、本件は当てはまらないと思います。--従六位上河内介会話2022年2月15日 (火) 00:01 (UTC)[返信]