Wikipedia:井戸端/subj/記者本人による「推測」を出典とする場合の書き方

記者本人による「推測」を出典とする場合の書き方[編集]

要出典タグをつけられた箇所に対して出典(一般流通してる書籍)をつけたところ、その出典の実物を読んだユーザーさん(要出典の貼り付け者)がWikipedia:信頼できる情報源の草案をもとに「ネットで調べたが同様の意見は見られなかった」「筆者が根拠を示していないから事実かどうかわからない」「いくら一般流通していても、専門家でもない人間の意見は相応しくない」「推測でしかないので検証不能・信頼できない」「本屋で買える独自研究だ」として、記述の出典として使うべきでないと主張されちまいました。
何度か検証可能性の方針文書(事実かどうかではなく検証可能かどうか)や、「信頼できる情報源」の「意見」の項目参照してみたんですが…こういうケースでは「○○という見方もある(refタグ脚注で出典書籍名付記)」では不十分なんでしょうか。出典の根拠の根拠を示さないとダメ?ということに?--ひゃくじゅうご 2009年3月24日 (火) 10:29 (UTC)[返信]
発火点(最初の論点)が「意見の有無」と言うことであれば、同種の言説が掲載された書籍は、まさしく「在るか、無いか」の「ある」に他ならず、出典ではないが一例(参考)として扱えるかと。まあ、個人的には「広い範囲から観測可能な現象の存在」が証明できれば(流石に個人サイトや掲示板・ブログ各々単数の場合はマッチポンプないし自己宣伝に陥りがちなのでどうかとは思うが)書籍に限らず様々なものが例示できると思いますけどね。記述の性質上、量的なことがらではなく有無について論じているケースでは、その存在を証明できれば良い訳ですから。ただ、こういった問題で拙いのは、所定の言説を盛り込むために、特筆性に欠く現象を殊更強調すること。これは出典が幾らあっても中立性を逸していては問題が在るとも思います。その問題に関しては、程度が絡むためより慎重に事を運ぶ必要もあり、客観的な第三者の意見を挟むべき(コメント依頼に提出するなど)だとも思いますが。--夜飛/ 2009年3月24日 (火) 10:49 (UTC)[返信]
これはオカルトや疑似科学周辺の執筆ではよくあることですね。一般流通している書籍には科学的に正確でない、あるいは通説と異なる解釈、推測を述べた書籍がたくさんあります。要出典を貼り付けたひとは、Wikipedia:中立的な観点の「疑似科学と科学を対等に扱うのか」で出てくる「中立的な観点」ではなく「科学的な観点」で仕切ろうとする人のようですね。これは誤解している人が多いポリシーかもしれません。この場合Wikipediaでの解決策は両論併記です。要出典を貼り付けたユーザーさんができる行動は、議論でそれがおかしいことを叫ぶことではなく、対立意見を出典をあげて記述し、さらにその意見が主流であることを示すことだと思います。--Afaz 2009年3月24日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
コメント有難うございます。ちなみにカテゴリは軍事です(これも主張戦になりやすいものと思いますが)。数日前にコメント依頼は提出してあるのですが、該当のノートにおける議論では、件のユーザーさんが草案の都合の良い所を抜粋して造った独自の定義の主張を始めてしまった状態で、途中から参加しづらいのかコメントが集まらないので、なるたけ簡素化してこちらでも意見を求めた次第です。
私は「意見の有無」の観点から該当の書籍に記述された「記者の見解」として掲載希望なのですが、件のユーザーさんの知識ベースには合致しない事柄であるため、「出典のさらに根拠」「内容の正誤」を追求したいようです。
ちなみに主な問題は(複数の要出典に対して同じ書籍をつけたので他の箇所もあるのですが、そちらは後回しになっている)、化学物質○○による傷跡とされる写真。別の理由との見方もある(ref脚注書籍名と号数)という風に両論併記としたものを、「別の理由」の方だけを上記のような主張にて除去されてしまったことで…--ひゃくじゅうご 2009年3月24日 (火) 12:34 (UTC)[返信]
  • 話題が抽象すぎまして何が話題とされているのか良く分からず、どのようにコメントさせて頂けばよいのか判断に迷いますが、原則としてはWikipedia編集内容の3大方針に従うことになるとおもいます。他の方針に違反せず3大方針に従うかぎり、【記者本人による「推測」を出典とする場合】であってもWikipediaへの掲載可能性はあると考えます。--ネコバット 2009年3月24日 (火) 12:54 (UTC)[返信]
白リン弾でのこの編集のことでしょう。ひゃくじゅうごさんの議論相手の方は「中立的な観点」による両論併記のやり方をご理解されていないようですね。--Afaz 2009年3月24日 (火) 13:49 (UTC)[返信]

状況を整理すると、白リン弾によるやけどの写真のキャプションに、『軍事研究』という雑誌での同じ写真に対するキャプションで記述されていた指摘を記述したいが、医者でもないひとが書いた記事だから信頼のある情報源ではないという理由で拒否されているようです。--Afaz 2009年3月24日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

こちらで議論の援軍を募るような事にならないよう、具体的な記事先は書かなかったのですが、バレバレでしたね、お手間を取らせて申し訳ありません。「専門家でもない人が根拠も示さずに…」という主張だと、外部リンクのグローバルセキュリティやRAIも同じく否定しないといけなくなるんですけど、なぜか軍事研究を出典にした箇所ばかり追求されてしまうことと、検証可能性方針の「事実かどうかではなく検証可能かどうか」「独自研究になるので出典の正確性を編集者が調査しないように」というところを理解していただけないのも話のまとまらないところだとは思うのですが…ひゃくじゅうご 2009年3月24日 (火) 17:23 (UTC)[返信]

理解いたしました。ありがとうございます。ノートの議論を拝読するかぎりOnogawa uさんのご指摘にも相応の観点(ニンニク臭がする、傷口が黄変する、等々)があり、また精密な議論をなさっておられますので、丁寧に検証可能性や引用元情報を追加していく方向が宜しいのかと考えます。「こんなの軍事学の常識だろ」ではなく、相手様も相応の知識を持ってらっしゃると考えてよい記事に育てて頂ければと考えます。ノモンハン事件のようにノートでの激論が素晴らしい記事に発展した例はたくさんあります。--ネコバット 2009年3月26日 (木) 07:33 (UTC)また「要出典」[要出典]が塗布されているのは、その記述が信頼できない事を示しているわけではなく、純粋に引用元が知りたいという場合もあります。たとえば直接の引用元が書籍「軍事研究」であった場合、その引用元を明示しておけば検証可能性が満たされておりWikipediaへの掲載可能性がありますが、Wikipedia読者がその方面の研究者であって、より詳細な引用元情報(「軍事情報」誌がどのソースからその情報を持ってきたか等、第二・第三の情報元等)を知りたいので他の読者・編集者に情報提供を求めているような場合もあります。タグ([要出典])について、もう少し柔軟で積極的な意味合いを見てもよいのではないでしょうか。--ネコバット 2009年3月26日 (木) 07:42 (UTC)[返信]
いや、要出典をつけるのが問題だとは思いませんし、純粋に記事の充実を図るため要出典をつけるというのはむしろ当然と思います。そもそも私は要出典が問題だなんて、一言も言ってませんよ…要請に応えて出典をつけたら、それを勝手な定義づけで否定されたけど、どう記述するのが適切かという話です。傷口の黄変や臭いについても、ここでは問題にしていません(出典元が違います)。
精密な議論、と仰いますが、相手の方がこちらが提示した方針文書のいくつかを無視して、草案を基に作り上げた独自の主張を繰り替えすばかりでは議論とは言えませんよ。
記事の内容を個人的に調査(独自研究検証可能性の解説文違反)したうえで、草案の都合の良い所だけピックアップして造った勝手な定義を主張(草案と方針の区別がついてない)して両論併記だった検証可能な記述を除去すべきと主張(中立的な観点違反)されたのでは…はっきり言って、方針熟読として投稿ブロックを選択肢の一つに考えることも視野に入れざるを得ないと思ってます。--ひゃくじゅうご 2009年3月26日 (木) 10:03 (UTC)[返信]
ノートの議論の文字づらだけで理解した範囲ですが、Onogawa uさんのclaimにも相応の根拠がありそうな気がしましたが、いかんせん白リン弾について全くの素人でして、内容についてはなんとも申し述べられません。一般論ですが他の方針に違反せず3大方針に従うかぎり、【記者本人による「推測」を出典とする場合】であってもWikipediaへの掲載可能性はあると考えます。なお、わたくしは「ひゃくじゅうごさんが要出典が問題だと言っている」なんて一言も言っていません。このあたりの論争トラブルはストローマンが参考になるかもしれません。白リン弾ノートでも同じような堂々巡りが発生している気が致します。--ネコバット 2009年3月26日 (木) 11:50 (UTC)[返信]
私の誤解なら申し訳ないのですが、要出典の貼り付けに攻撃的な意味合いを見出しているかのように表現されたのはとても不本意です。--ひゃくじゅうご 2009年3月27日 (金) 00:05 (UTC)[返信]
(第三者のコメント)ひゃくじゅうごさんが実際にどういうつもりで考えているのか、を問題にして指摘しているのではなく、言葉にしないまでも実際には色んな腹つもりで要出典を添付する人がいます。第三者の目から見ても、当該記述への反論者がその記述を封殺する意図(いわゆる難癖)でそうすると感じられることにも遭遇しています・・・・・が、逆にそうではない事もあるので、「導入の精神に従った対応をするしかない」ということなのではないでしょうか。「おまえの要出典はこういうつもりだろ」「いやちがう」なんて言いあってもしょうがないという事です。仮にそうであっても相手は絶対「そうだ」なんて認めるわけ無いのですし、もし他者の援護射撃があって誰の目からみてもそういう意図がミエミエであってもです。むこうがルールを逆手にとった悪用(仮にそういう前提にたってということですが笑)してる限りこちらも冷静にルールに従った対処をするしかないという事だと思います。(繰り返しになりますが)もちろん、真摯な態度として疑問があって要出典してる場合もありますから、相手の真の真意が例えどちらであっても構わない(相手の腹づもりを問題にするのではなく)ような対処をするのがベストだということをご指摘されているんだと思います。--陸奥 2009年4月2日 (木) 01:12 (UTC)[返信]