Wikipedia:井戸端/subj/故人のプライバシー総合について

故人のプライバシー総合について[編集]

暫定的に以下のように分類しますが、議論の行方次第では変更するかも知れません。また追加するかも知れません。

実名記述[編集]

有名人や著名人の場合、広く知られていたり本人が希望して主に使用していた名前、また本名をそのまま公称していた場合などはここでは議論の対象外とさせていただきます。ここでは主に過去の事件等について、被害者や加害者(被疑者、被告、容疑者などとされる場合も含む)が著名でなく一般人の時、「故人にプライバシーはない」ことを理由に躊躇なく記事に実名を記述することについての是非を問いたいとおもいます。

自宅の場所[編集]

故人が死亡時、自宅の場所を積極的に公開していなかった場合、Wikipediaにその詳細な場所を記述して良いものでしょうか。故人にプライバシーはないから、削除の対象にはならないのでしょうか。


広く意見をお聞かせいただきたいと思います。またできれば方針とか私論とかのレベルまで持っていければと思います。では言葉足らずかも知れませんが一旦これで失礼します。(以上、万が一何か重大な勘違い等あるのであれば是非指摘していただきたく思います。)--ボンバスパンチ会話2019年7月17日 (水) 10:01 (UTC)[返信]
  • コメント 実名については加害者の家族のプライバシーの考慮を理由に、削除依頼とまではいかなくても編集除去が試みられるケースを見た事があります。いずれにしてもこれといった決まりはないでしょうし、ケースバイケースで話あうべきではないでしょうか。たとえばWP:DP#B-2には「歴史的な記事(ほとんどの関係者が既に死亡している場合)」は削除されず、伝統的に認められている例として挙げられています。
自宅にかんしては、そもそも著名人全般においても、その自宅が文化財等に指定されていたり一般公開されている場合をのぞいて「詳細な場所」を通常記載することはほぼないように思うのですが、実際にそういう例があるということでしょうか?事件現場の写真程度であれば掲載されているのを見ますが、先にもうしあげた文化財指定や資料的価値を見出した上での一般公開をのぞいては、住所等詳細を記したものはほぼお目にかかったことがありません。というか、Wikipediaでやることはないと思われます(もしかしたら海外では歴史的な事件現場が観光地化しているケースがあるかもしれませんが)。--Aiwokusai会話2019年7月18日 (木) 06:41 (UTC)[返信]

:「被害者や加害者…が著名でなく一般人の時」とのことですが、そのようなケースでは特筆性がないのではないでしょうか。差し支えない範囲で具体的にどのような記事を想定されているかお伺いできますと、議論がより実り多くなるかと思います。--たっとむ会話2019年7月18日 (木) 09:26 (UTC)[返信]

コメント 特筆性云々に関しては、例え著名な人物でなくても被害者の数がとても多く社会的に重大な衝撃を与えたものについては特筆性があるかと思料いたします。--ボンバスパンチ会話2019年7月18日 (木) 13:29 (UTC)[返信]

  • コメント 事件の被害者を実名記載することは、被害者自身がウィキペディアに立項されるほど著名であり、かつ本名を公開されている場合を除いて削除されるべきものと思います。一方、加害者にも親類縁者がいるわけで故人であれば実名記載をOKとすべきものではありません。従って現行の削除規定に準ずるものであると考えます。その上でAiwokusaiさんがおっしゃるように、該当事件、事故が歴史的な記事とすべきかどうかは実名記載する前にノートで議論すべきものではないでしょうか。--たびびと551会話2019年7月19日 (金) 07:33 (UTC)[返信]
  • コメント ノートで議論する前に実名記載されてしまった場合は如何すべきとお考えでしょうか。--ボンバスパンチ会話2019年7月19日 (金) 08:27 (UTC)[返信]
  • コメント著名でなく一般人」である「故人が死亡時、自宅の場所を積極的に公開していなかった場合、Wikipediaにその詳細な場所を記述して良いものでしょうか」という質問ですが、原則的には禁止と理解した方がよいのではないでしょうか。「故人にプライバシーはないから」と主張したとしても、死亡時点ではまだ存命中の遺族(家族・親族)がいるでしょう。そちらに対するプライバシーの侵害になる虞は十分にあると思います。戦国武将のように亡くなってから数百年が経過しているとか、誰一人として遺族がなくしかも自宅の場所が極めて著名、というような事情があるならともかく、単なる「一般人」が亡くなったからとといってウィキペディア上に「自宅の場所」を晒しあげられる必要性は全くないと思うのですが。「故人にプライバシーはない」としてもですね、そもそも特筆性の観点から見てもですね、百科事典に単なる一般人の自宅住所など載せる必要はないでしょう。現行の方針やガイドラインでも抑止できそうですが……もし単なる一般人に過ぎない故人の氏名や住所が晒しあげられているとしたら、場合によっては削除依頼にかけるべきだと思います。また、前述のとおり百科事典にとって必要性のない行為ですから、単なる一般人に過ぎない故人の氏名住所を常習的に晒しあげているアカウントがいたら、ブロック依頼を出してもよいと思います。。--126.165.47.161 2019年7月22日 (月) 18:22 (UTC)[返信]
  • コメント  WP:BLPを読んだ上でのご意見でありましょうや。何よりも先づ実名住所特記は、編集者つまり貴殿と同じぐらいウィキペディア財団や他の編集者もリスクを負ってしまう行為であり、がために即時削除や編集制限も執られうることにご注意下さい。俟たその特記が百科事典に相応しい記述であるかどうか、今一度ご推敲あるよう願い申し上げます。
    なお、事件の主犯乃至被害者となった(ことが警察発表などの一次ソース付きで確定した)時点で一般人足りえません。「(無名)一般人だから載せない」「著名人だから載せる」などの短慮は偏に謹んで頂くよう重ねて願い申し上げるものであります。
    そして、住所(特に番地)については人格権を持ちませんが、被害者が転居あるいは死去した後は赤の他人が住しえます。無関係な他人がウィキペディアの記事(と不確かな情報源)で指弾されるということは、実に非道の所業にありましょう。況して地主様が黙っているとは思えませぬ。また、氏名もそうですが情報源が何某かのリスクを恐れて住所氏名を削除した場合、ウィキペディアンがそれに随時追従できるとは限りません。左様を成し得るがためにホットポテトな報道は情報源たり得ないことをご承知おきありたく存じ上げます。
    津山事件小平事件勝田清孝事件などを鑑みると、犯人の名前や番地を伴わない住所を掲載したいのであれば、"当事者家族の大半が死去して歴史的になるか、自身のプライバシーを自責で公開している"か"判決文などの書き換えられてはならない文に記名されている"あたりが必要であると、換言すれば我々編集者の一存で世間に先行して記載するものではない(もっと言ってしまうと、我々の存命中に生起した事件の敏感な部分については、我々より我々の子孫が書くほうが相応しい!)と、小生憚りながら愚考致します。恐惶謹言。--力在領域会話2019年7月27日 (土) 16:49 (UTC)[返信]
……というか、そもそも「主犯乃至被害者となったことが警察発表などの一次ソース付きで確定した)時点で」とはどういうことでしょうか? 日本では、裁判による判決が出る前に人を犯罪者扱いすることは、法令で堅く禁じられています。「警察発表」によって主犯であることが確定するなんて、あるわけないと思いますが、具体的にどのような事態を想定されているのでしょうか。日本だけでなく近代以降の法治国家であれば無罪推定の原則は当たりまえの概念だと思いますが、それを知らないとでも言うつもりでしょうか。日本国憲法にも謳われていますし、日本の学習指導要領では義務教育の範囲(小学校6年生の社会科の学習範囲)とされているので、常識と言ってもいいかと思いますが。--126.183.63.234 2019年8月1日 (木) 13:38 (UTC)[返信]
  • コメント 被害者の実名を明記しなければ事件の記事が書けない、なんてことあるんでしょうか? ありませんよね。実名を書かずとも、事件の概要や経緯は十分に記述できるでしょうし、その残虐性や悲劇性だって十分伝わると思います。実名をウェブ上に晒され続けることになったら、遺族の心情はいかほどでしょうか。そういうことにも配慮すべきでしょう。少なくとも、一般人の被害者は、実名掲載不可なのが当たり前だと思います。ボンバスパンチさんが「できれば方針とか私論とかのレベルまで持っていければと思います」と言ってますが、こんなことすらウィキではまだルール化されていないのでしょうか。とっくにルール化されているものと思っていましたが。もし本当にルール化されていない状態だというなら、ボンバスパンチさんの言うとおり、とっととルール化すべきでしょう。また、力在領域さんのような無罪推定の原理すら知らない人が百科事典の執筆者でいられる、というのは不可解です。--ミヒマるきお会話2019年8月11日 (日) 14:35 (UTC)[返信]
  • コメント 皆さん、ご意見をいただきありがとうございます。まず、Wikipediaでのルール化はすでにされていると思います。現段階で、歴史的な事件などで常識的にどう考えても記述しなければ記事として成り立たない場合などを除き、よほどのことがない限りは実名や自宅の場所については記述されていません。また、京アニ放火事件においては、中国新聞が社会的な教訓とするため原則実名報道するという見解を紙面上で示していたと記憶しています。しかしWikipediaは報道機関とは性格が異なります。報道機関と違って、誰が社長で、誰が取材して、誰がその内容で社会に出回る事にOKを出して、といったことが不明確です。したがって、報道機関の大半が実名報道している場合でもWikipediaでは伏せる、という事が行われています。私は、このような現状を今後も維持すべきであると考え、なおかつそれはWikipediaにおいてすでにルール化されているものと考えています。初めからおおよそこのような考えであったわけですが、その事が揺らいでいるかのような事象をWikipedia上で見かけたこと、また自分が未熟で考えがまとまっていなかったためこのような問題提起に至りました。私が以上のような事実に大きな疑念を持っているかのような誤解を与えてしまったようです。言葉足らずと自分の未熟をお詫びいたします。今後はより慎重に行動して参ります。以上でこの議論はクローズということでよろしいでしょうか?--ボンバスパンチ会話2019年8月23日 (金) 11:10 (UTC)[返信]