Wikipedia:井戸端/subj/存命人物の記事の否定的な記載の出典元についての定義

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存命人物の記事の否定的な記載の出典元についての定義[編集]

掲題の件ですが、Wikipedia:存命人物の伝記では、

信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。

とありますが、「信頼できる公表済みの情報源」と「文書」の定義についてお聞かせください。
ノートでの議論の際、存命人物の記事の否定的な記載は「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者」や「著名である個人」は「信頼できる公表済みの情報源」には含まない、「動画」は「文書」ではない、というニュアンスの意見を頂きました。

「信頼できる公表済みの情報源」とは何か?
「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者」や「著名である個人」は「信頼できる公表済みの情報源」には含まない、というのは妥当でしょうか。具体的には
  1. 官公庁等が発した情報は「信頼できる公表済みの情報源」なのか?
  2. マスコミが発した情報は「信頼できる公表済みの情報源」なのか?(とりあえず、捏造等の考えを含まない)
  3. 出版社が出版した著書に記載された情報は「信頼できる公表済みの情報源」なのか?
  4. 企業や団体が発した情報は「信頼できる公表済みの情報源」なのか?
  5. 自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者が発した情報は「信頼できる公表済みの情報源」なのか?
  6. 著名である個人が発した情報は「信頼できる公表済みの情報源」なのか?
  7. 無名である個人が発した情報は「信頼できる公表済みの情報源」なのか?
と、どれが信頼でき、どれが信頼できない情報であるかです。
また、専門研究者、著名な個人の定義として、何を以て専門研究者、著名な個人であるかという疑問も生じています。
  1. その分野の博士であったり、資格がある
  2. その分野の研究機関に所属している
  3. その分野の専門家という名目でメディアに出演した経験がある
  4. その分野の著書を出版社から出版した経験がある
  5. その分野の講演講師の経験がある
  6. その分野の特出する活動経験がある
  7. その分野の活動をメディアが取材している
「文書」とは何か?(二次資料ということが前提)
  1. 印刷され、紙になったものは「文書」であるのか?
  2. 新聞記事に記載された記事・文章は「文書」であるのか?
  3. テレビ、ラジオ等で発せられた文章は「文書」であるのか?
  4. 文章が文字情報として記録・公開されている電子データーは「文書」であるのか?
  5. 文章が画像として保存されている電子データーは「文書」であるのか?
  6. 音声データーに記録された文章は「文書」であるのか?
  7. 動画データーの音声として記録された文章は「文書」であるのか?
  8. 動画データーに文字で記録された文章は「文書」であるのか?
この組み合わせによって、出典の要件が変わるのか?
このルールを機械的に適用すれと、例えば、
  • マスコミが発行した著書は出典の要件を満たす
  • 専門研究者が発行した著書は出典の要件を満たす
ということが言えるのであれば、
  • マスコミが公開した動画は出典の要件を満たす
であれば、
  • 専門研究者が公開した動画は出典の要件を満たす
が成立するのか。(これが覆れば、独自判断で決定されることになる???)


という疑問が生じました。昨今の事情から規約等で「電子データー」(画像、音声、動画を含む)を「文書」として扱う(規定する)ところもあり、ここでの「文書」も広義に解釈しても良いのではないかと考えています。
また、この規定は、対象の人物を虚偽の情報から守る為の物と考えております。それを回避でき、人が認識出来る情報であれば問題ないと考えますが如何でしょうか。

存命人物の記事に関しては慎重に取り扱うべきですが、マスコミで扱いが難しい不祥事等をこのルールで排除する行為は、 ルールの悪用にあたり、Wikipediaの衰退に繋がるような気がしていますが、判断できません。
そこで、御意見を伺いたくお願いいたします。 --Fcs98012会話2014年8月15日 (金) 05:02 (UTC)[返信]

コメント 存命人物の記事については、「同情的・擁護的視点にも偏らないよう、中立的に、事実に即し、ウィキペディアの各方針を他の記事よりも厳密に遵守しながら書いてください」。出典の信頼性については、Wikipedia:信頼できる情報源を元にすればいいでしょう。たとえば、一口に「マスコミ」と言っても、通常の新聞紙スポーツ紙週刊誌などで扱いは違ってきます。
文字以外の出典であっても、第三者が検証可能であれば、「文字でない」ことだけを理由として出典として排除される理由はないと考えます。もちろん、テレビやラジオで放送されただけのものを後日検証することはできませんが、放送局から公式にオンデマンド配信されているもの(過去の議論)、映画・アニメなどでの市販の映像作品などは出典として利用可能と考えます。なお、Youtubeなどに第三者がアップロードしているものは、改変のおそれが否定できないこと、また著作権上の問題もあるため、出典としての利用はもちろん、ウィキペディアからリンクしてはいけません。--Jkr2255 2014年8月15日 (金) 05:28 (UTC)[返信]
コメント 電子データか紙ベースかについては扱いに差がありません。
  1. 官公庁等が発した情報
  2. マスコミが発した情報
  3. 出版社が出版した著書
  4. 企業や団体が発した情報
  5. 自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者が発した情報
  6. 著名である個人が発した情報
  7. 無名である個人が発した情報
については、7以外すべて信頼できる情報源になりうるものです。ただしならない時もある。その話題が、通俗的なものか、アニメのように専門性の高い通俗的なものか、科学分野のような専門的なものかによって、必要とされる権威が決まってきますので、一概にYES/NOで決まるようなものではない。また、例えば官公庁等が発した情報であっても、明らかに誤報・偏向情報だったと自認・常識になったような古いものは、信頼できる情報源であっても信頼できない情報として除去が妥当でしょう。マスコミについてはランク付けによって排除されたりがあります。マスコミの場合はそこに書かれた事実だけピックアップしておくのが無難であり、その意見が煽るような論調の時は要注意で、誰の意見なのか、あるいは記者が書いてるだけなのかという分析が必要。出版社も同じ。企業や団体も同じ。自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者が発した情報は多くの場合信頼できる情報源ですが、主流の説でなければ、どの研究者が述べたかの明記をしたほうが良い。(例:権威ある著名な物理学者が人魂はプラズマであると述べたからと言ってそれが主流の説とは限らない。)。 またたとえ信頼できる情報源の寄せ集めでも些細すぎる情報の収集の傾向があれば、出来の悪い記事として除去が妥当なケースもありますよ。--Gyulfox会話) 2014年8月15日 (金) 08:07 (UTC)専門研究者が公開した動画はその分野の出典の要件を満たすことになります(ユーチューブ動画の場合は編集部など最低限の第三者の検証の過程がない場合があり、ただちにリンクしてイケマセンにはならないのですが、それでも検証がない動画を使う価値があることを丁寧に説明する必要があります。)、それに限らず、どうしても今すぐ載せなければいけない情報なのか考えたり、話し合いで載せなくてもいいじゃないかということになるケースもあります。--Gyulfox会話2014年8月15日 (金) 08:25 (UTC)[返信]
コメント 質問者に表題の指摘を寄せた者です。質問者の「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者」についてですが、その研究者とされる人はおもに動画投稿サイトで発信し、ネット保守系の思想を持った方々保守主義にたったコメントを発信し、その動画チャンネルには登録者も多く広く知られた人らしいのですが、「著名である個人」として扱うにはこの人物に関する情報がほとんどなく、Wikipediaにもページがありません。これではこの人物が信頼できる情報を発しているか検証できないと思い、存命人物のページで否定的な記述に関する出典(信頼できる公表済みの情報源)として相応しいのか疑問を感じている次第です。--如月やよい会話2014年8月16日 (土) 15:17 (UTC)[返信]
コメント コメントを頂きありがとうございます。先に御二方のコメントについて記載します。存命人物の記事については、
  • 同情的・擁護的視点にも偏らないよう、中立的に、事実に即し、ウィキペディアの各方針を他の記事よりも厳密に遵守しながら書く
  • 「存命人物の記事の出典」は、「出典」の要件を満たす必要がある(但し、出典の要件については一概にYES/NOで決まるようなものではない)
また、
  • 第三者が検証可能であれば、「文字でない」ことだけを理由として出典として排除される理由はない
という理解でよろしいでしょうか。
ただ、ひとつ疑問が生じました。「ユーチューブ動画の場合は編集部など最低限の第三者の検証の過程がない場合」についてです。たとえば、情報(二次資料)の発信方法を主にインターネット投稿で行っている専門研究者や著名な個人(出典の信頼性を満たしていることが前提)が発した情報(情報そのもの、または、事実を述べている部分のみ)を出典として扱う場合についてです。この活動を団体ではなく個人で行っている場合は「第三者の検証の過程がない」場合がほとんどです。
「第三者の検証の過程」についてですが、例えば、「動画に対するフィードバック」があり、「フィードバックされた指摘を再検証」し、「再検証の結果誤りがあれば、訂正または削除を行っている」場合、「視聴者」を「第三者」として「最低限の第三者の検証」と言えるのかどうかです。
これについて御意見を伺いたく思います。この質問は、説明責任や議論を放棄したいという意向ではありません。また、掲題の「存命人物」とは関係のない話になってしまっています。別ページの作成が適切であれば、御指摘頂きたく思います。 --Fcs98012会話2014年8月16日 (土) 16:22 (UTC)[返信]
コメントノートで御指摘頂いた方へのコメントです。可能であれば、当人に対するここでの議論は避けたく思っていました。(主題と内容が異なると思います。可能でしたら記事のノートページに転記をお願いします。)引き続きここでの議論が適切であれば、御指摘ください。
また、この件、先に記載した「何を以て専門研究者、著名な個人であるか」はそのことについてと思いますが、これもWikipedia:信頼できる情報源を元にすることになると思いますが、その理解でよろしいでしょうか。(但し「何を以て専門研究者、著名な個人であるか」の記載が見当たりませんでしたので、記載のページがありましたら御教示頂きたく存じます)--Fcs98012会話2014年8月16日 (土) 16:27 (UTC)[返信]
動画投稿サイトに反応があるからと言って、それ自体で『Wikipedia:信頼できる情報源』とは言えません。自作自演で反応の誘導が可能であるし、本当に訂正されるかどうかは、誰にも分かりません。(相互批判・批評や正確な情報提供に責任を持っていることになっている)マスコミや研究者等と、責任を取らずにすむ個人(の投稿)を同列には扱えません。ネット掲示板と同じで動画投稿サイトの個人投稿動画は利用できないと割り切ったほうが良いです。Wikipediaには限界があり、Wikipedia基準の特に信頼性の高い出典が求められる場合、それが無いものは、記事掲載ができないし、あきらめざるを得ません。--Los688会話2014年8月17日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
コメント コメントありがとうございます。現在、以下について検討点があげられていると思います。
  • Wikipedia:信頼できる情報源で個人投稿のものが認められているかどうか?
  • 最低限の第三者の検証として、第三者の検証が「視聴者からのフィードバックで補えるかどうか」?
貴殿のコメントでは、Wikipedia:信頼できる情報源で個人投稿のものが認められない、第三者の検証が「視聴者からのフィードバック」で補得られない、という理解でよろしいでしょうか?ただ、ネット掲示板と動画投稿サイトは、前者が匿名性があり、後者は匿名性が無い物があります。動画投稿サイトで一貫した活動名(芸名やペンネーム)で行っておりその者が著名であった場合、ネット掲示板と性質が異なると考えますが御意見を頂きたく思います。
近年、著名な方が自身の名前でインターネット投稿で活動を行っている方が多くいらっしゃいます。(逆に紙媒体が衰退しています。)これらについては、出典元の要件を満たさないということになるのでしょうか?--Fcs98012会話2014年8月17日 (日) 14:38 (UTC)[返信]
この場合、個人と対になるのは、マスコミ・専門家・研究家・(公的)団体等の意です。専門家の公式投稿動画は、(専門家の意見なので)信頼できる情報源にあたるでしょう。というか、みなWikipedia:信頼できる情報源(情報源の評価・オンラインや自己公表された情報源の利用)に書いてありますが。--Los688会話2014年8月17日 (日) 16:08 (UTC)[返信]
ここで、「何を以て専門研究者(専門家)」とするかという疑問に立ち返ると思います。自己が専門とする意見を動画サイトで公開し、それがネットユーザーの間で人気を博している個人は「専門家」とみなして良いか、「存命人物の記事の否定的な記載」が認められる「信頼できる公表済みの情報源」として使えるか、ということです。--如月やよい会話2014年8月18日 (月) 00:50 (UTC)[返信]
コメントWikipedia内では、著名である個人は信頼できる情報源となりうるもの(ならない場合もある)と思います(ここで言う著名な個人とは、自己評価ではなく第三者から著名と評価された人物)。但し、これが存命人物の記事で適用できるのかというのが疑問です。また「何を以て専門研究者(専門家・研究者)」や「著名である個人」と指すのか、私も疑問に感じています。「ネットユーザーの間で人気を博している個人」というだけでは私も「専門家」とは言い切れないと思います。人気や知名度もそうですが、その中で何をしているか、また、他の活動があればそれも含めて総合的に「専門家」と判断するべきかと思います。--Fcs98012会話2014年8月18日 (月) 13:31 (UTC)[返信]

よろしくお願いします。話を整理しますと、有名と著名は違うものです。著名とは対象と無関係な信頼できる情報源で引き合いに出されている人物のことで、一般人がまったく知らなくても著名人なこともあります。有名とは不特定多数によく知られている人物で徐々に無名になる可能性がありますが、著名な人物は著名のままです。あるブロガーはフォロアーが多数できわめて有名かも知れないが著名でなければ、特筆性のないただの個人。動画サイトの動画については文字も動画も同じ価値ですが、いくら著名人が写っていても、例え国会答弁であっても、投稿者がただの個人では、情報の信頼度は最低の7番、つまり使えない情報源という分類です。 あるページの著名人Aは自分の見解を自ら動画投稿したときに、Aのページ内において信頼できる情報源となりますが、検証がないために他のページではその分野の専門家かどうかが問われ、使えることはあっても、同じ情報がもっと別な信頼できる情報源であれば差し替えた方がよいということになります。また対象者の身振り手振り表情でこうだああだとユーザーが否定的あるいは肯定的意見を付け加えたりは独自研究。そう思わせる編集方法も違反。利用可能なのは発言だけということです。 国会の議事録は信頼できる1次情報源であって、発言内容は利用できますが、それをもってどうだああだと意見を付け加えたりは同じく禁止です。--157.65.63.186 2014年8月18日 (月) 17:08 (UTC)[返信]

政治家は基本素人であってその発言は信頼できるものには入らないでしょう(本人以外のページに使えない。)、しかし例えば橋本議員の場合は弁護士ですので法律上の発言は使えるかもしれません。--157.65.63.186 2014年8月18日 (月) 17:08 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。更に纏めると、個人については、「無名」「有名」「著名」「専門家」の4パターンが出てきていると思います。前者3つについて国語辞典で調べてみましたが、「無名」の対義語は「有名」、「有名」と「著名」は類義語(同義語ではない)、「有名」と「著名」の対義語は「無名」、「有名」と「著名」はほぼ同じ意味(「有名」には「名を有すること」という意味が追加)が記載されていました。但し、これは、国語辞典を一次資料とした独自研究です。Wikipediaで「有名」と「著名」を区別する場合はIP氏の仰った内容ということでしょうか?
また、私の意見になりますが、第三者が認めた多くの政治家は、素人でなく政治家です。肩書きが政治家だけという理由で、即、信頼出来ない訳ではないと思います。但し、虚言等も考えられますので、本人以外のページでは慎重に扱う必要があると思います。--Fcs98012会話2014年8月19日 (火) 14:04 (UTC)[返信]
連投で申し訳ございません。調べてみると、たしかに「有名」と「著名」は別な意味で使用することがあります。「このあたりでは、当たると有名な占い師」は言いますが、「このあたりでは、当たると著名な占い師」とは言わないです(占い師が信頼できるか?という概念を除く。すみません、適当な例えが見つからず・・・。)。申し訳ございません。--Fcs98012会話2014年8月19日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
著名とか有名とかの判断ができないのでしたら、その出典は「使わない」のが結論です。当然のことながら、最低でもその投稿者の著名性等については、記載を考えている利用者が説明しなくてはいけません。とくに存命人物に関わるところで、そのような説明が難しかったり、同意が得られないようでしたら、WP:VやNPOVと照らし合わせて、安全側に倒して、使わないでください。また、政治的に対抗する側からの投稿動画も、投稿者の「著名性」を満たしていたとしても、対抗者側の政治宣伝に加担する恐れ(NPOV違反や動画そのものの不適当な編集の恐れ)があるので、使うことは困難な場合が少なからずあります(ですので、新聞・テレビ報道等を出典に使うことをメインとして下さい)。勝手に動画の評価文をWP編集者で加えては「独自研究」になりますのでしてはいけませんし、同様に報道されておらず、批判されていない事柄を、さも批判されているかのように書くことは、BLPの「8 批判・あら探し」に抵触します。youtubeのような投稿動画サイトを出典とし、人物記事を編集するには、ハードルが通常よりかなり高くなりますので、不安点があるなら使わないのが正しいです。なお、本当に当該人物記事において批判として掲載すべき事柄なら、報道レベルでも批判報道が出てくるはずで、それを出典にすればよく、報道されていないなら記事掲載に値しないレベルとも言えるということを忘れないでください。--Los688会話2014年8月24日 (日) 05:42 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。更に調べてみたのですが、また疑問が生じた点があります。
  • 著名性に関して、誰が同意すれば良いのか?
  • 「信頼できる情報源」の定義は記載内容によって異なるのか?(ふりだしに戻ります。)
    • 存命人物の記事での記載
    • 存命人物の否定的な記載
    • 上記以外の一般的な記事での記載
「対抗側」の概念があるのでしたら、議論相手が対抗側の対抗側であった場合、その思想により首を縦に振らないこともあり得ると思います。その場合は記事に出来ないということでしょうか?
また、「信頼できる情報源」の定義が記事により異なるのでしたら、最低限、「存命人物の記事」「存命人物の否定的な記事」で定義する必要があると思います。(既に文章での説明がありますが、具体例は記載されていないと思います。)異なるようでしたら、提案したいと思います。
著名な個人が出典として認められない場合、ここでも疑問が生じています。
  • 著名な個人が配信した動画は認められない
  • 著名な個人が出版した著書や、著名な個人が寄稿した雑誌等も出典として認められないのか?
  • テレビ等の生放送で、コメンテーターなどの出演者個人が発した内容も出典として認められないのか?
また、「報道されていないなら記事掲載に値しないレベル」との記載がありましたが、マスコミが記事にしないのは「記事掲載に値しない」という理由以外もあると思います。(いわゆる報道しない自由等や、別な意味での報道協定等)Wikipediaの編集がマスコミに左右されるのであれば、それはちょっと違うかなと思いますが如何でしょうか。
あと、動画配信者が著名であり、著名な個人が出典として有効と認められる場合は、その人物が「対抗側」であったとしても、実際に起こった事柄については使用して良いと考えますがこの件についてもどうでしょうか。--Fcs98012会話2014年8月30日 (土) 07:47 (UTC)[返信]

1-Wikipediaの編集はマスコミに左右されます。なぜなら、主要出典の一つが入るからです。Wikipediaは、主要なマスコミを情報源に、情報を整理するところでもあります(極端に表現するなら、事実よりもマスコミを用いた検証可能性重視)。2-「報道しない自由」はWikipediaでは判断できません。判断するなら、それは執筆者の判断になり、独自研究です。なぜ、信頼性のある出典を重視するのかを考えてみて下さい。Wikipediaの記事は、事物の有無及び重要性を出典をだすところの権威(マスコミ・専門家等)に頼っているからです。3-「対抗者」側の発表は、常にNPOVの点から注意して取り扱わなければならず、「対抗者」側の宣伝可能性や批判意見が少数意見に留まる事が明らかならば、掲載には非常に慎重にならなければならない。4-「個人」と「専門家」、「個人撮影動画」と「書籍」をあえて混同した議論は、信頼性・検証可能性が異なるので、意味がありません。5-ここまで来て、判断できず・理解できずに、ふりだしに戻るのでしたら、当面「掲載をあきらめる」のが正解です。理解せずに無理に編集してもトラブルになります:::し、存命人物に関わることなら、名誉棄損や削除要請などの法的リスクも頭の片隅に入れておかねばなりません。掲載したいのならば、その事象が、信頼性のある出典に掲載されるまで待つか(捜すか)、この論議を整理してきちんとした対応ができる人に「まかせる」(能力と時間のある誰かにまかせるのもWikipediaの精神です)かの対応をとるべきでしょう。(良きウィキペディアンは、現地行ったり、関係者に聞いて、事実を知っていても、信頼ある出典が出るまでは書かない・書けない対応をとります。)--Los688会話2014年8月30日 (土) 19:10 (UTC)[返信]

御回答ありがとうございます。
1.2.について
「報道しない自由」という言葉を出したのは不適切だったかもしれません。いわゆる報道におけるタブーの事項であった場合はどうでしょう。特筆すべき事柄があり、その内容についてマスコミが機能していない場合、他の出典を用いることが出来ないとなればその事柄の記載が出来ないことになります。その事柄が「報道におけるタブー」であることを判断するつもりはありません。報道しない自由にしても、報道におけるタブーでも、それ以外でも、「マスコミが報道しない」=「記事に出来ない」ということが成り立つかどうかです。Wikipediaの編集は、あらゆる思想を除去する必要があると思います。
3.について
存命人物の批判的な記事についてはそのように認識しています。ノートでの議論等はその為と思っています。
4.について
「信頼性・検証可能性が異なる」ので問題提起させて頂いております。慎重にならなければならない事項で、議論の当事者が判断してよいのか、ということです。この井戸端の中でも「著名な個人が配信した動画を出典とする」について、最初の方では肯定的な意見もありましたが後に否定的な意見も出ています。いわゆるグレーゾーンということではないのでしょうか。
5.について
私個人に関する御指摘に関する部分については、既に当該事項の編集を見合わせております。ここでは、存命記事の否定的な記載の一般的なことについてお伺いしたいと思います。(ですので、この井戸端では動画配信者の名前やその著名性、編集する記事の内容を伏せております。)
また、「掲載したい」という考えではなく、「掲載すべき事柄は掲載する」という考えです。その上で、出典元が出典の要件を満たしているのかということになるかと思います。ですので、ここでの「掲載をあきらめる」という回答は別観点での回答であり、この議論の回答ではないと思います。なお、現在の状態で「この論議を整理」した場合は様々な解釈が考えられ、それこそ、整理した人の独自研究となってしまいそうです。--Fcs98012会話2014年8月31日 (日) 11:04 (UTC)[返信]
連投ですみません。結局、上記の4を、存命人物の記事、存命人物の否定的な記事 で明確に定義すれば良いかと思いますが如何でしょうか。また、別の話になりますが、動画出典がハードルが高いのであれば、Youtubeの公式チャンネルで発信している官公庁や企業、個人も増えているので、動画出典についても見直す必要があるのではないのでしょうか。--Fcs98012会話2014年8月31日 (日) 11:22 (UTC)[返信]
何点かコメントします。
  • 1.や2.についてですが、別に出典はマスメディアに限られたものではないので、書籍で積み上げていくことになるでしょう。ウィキペディアはニュースではありませんから、日々の報道を追っていくより、事態が落ち着いたあとでまとまったものを書くのが本来の姿です。報道におけるタブーというのが挙がっていますが、「タブーで書けない」と明記された出典があればそれを取ってくればいいだけの話です(そうでないなら独自研究です)。
  • 4ですが、ウィキペディア上で起きうるあらゆる問題を事前にピックアップするのは不可能ですので、その場その場での合意形成を欠かすことはできません。ただ、1つ言えることとしては、(たとえ著名な個人であったとしても)個人で上げた動画は個人のウェブサイトや自費出版の書籍と同様な、自己公表された情報源となり、使える場面はごく限られるでしょう。
  • 5ですが、およそ「専門家」と言われるような人物であれば、著書・雑誌連載・論文など、何かしらの信頼できる媒体で情報発信を行なっているはずです。そういう、異論の余地が少ない出典を探すのが、じつはいちばんの早道かもしれません。--Jkr2255 2014年8月31日 (日) 12:14 (UTC)[返信]