Wikipedia:井戸端/subj/ディズニー関連項目の定義部分の表記

定義部分の表記に関して[編集]

こんにちは。ディズニー関連項目のスタイルに関してお聞きしたいことがあります。まずはこの質問をするに至った経緯を、以下に書きます。

SuperTTSさんが、ディズニー関連項目において、冒頭に中文訳を挿入[1] [2] [3]。 わたしが「数ある言語の中で、中文訳のみを特別扱いするのは不適切」として、該当部分を除去。SuperTTSさんが「公式に採用されている」との理由で中文訳を差し戻し[4] [5] [6]

わたしは、項目名が外来語の場合、定義の部分は例えば「ディズニー(Disny)は○○である。」のように「カタカナ(原文)」とするべきで、「カタカナ(原文、カタカナの中国語訳、カタカナのハングル訳、etc.etc)」という表記はウィキペディアの公式なガイドラインに反するのではないかと、強い違和感を覚えました。原文表記以外の他言語訳も記載してよいことになったら、何語を採用し何語を採用しないかなど決めることはできないでしょう。しかしSuperTTSさんは上記リンクで示したとおり、「(ディズニーが)公式に採用」という理由で私の編集を差し戻しました。また、並行して行ったノートでの会話はかみ合わず不調に終わりました[7]

というわけで、「外来語(原文表記、他言語訳1、他言語訳2、他言語訳3)」という定義のスタイルに関して、

  1. ウィキペディア日本語版では、このスタイルは問題ない/推奨される。
  2. ディズニー関連項目では、ディズニーの公式はウィキペディアの公式より優先される。
  3. ディズニーの項目に限定して、「カタカナ(英語、中国語、ハングル語)」が推奨される。
  4. ディズニーであるかどうかに関係なく、ウィキペディア日本語版では推奨されない。

こんな感じでみなさんのご意見をお聞かせください。ちなみに私の意見は4で、SuperTTSさんは1については明言せず、そもそも2だから問題ない、という意見だと読みました。

なお、ここでお聞きしているのは、定義部分のフォーマットに限定した話です。多言語訳は本文のどこに記載するべきか。そもそも、多言語訳は単にトリビアなので百科事典に乗せる価値がないのではないか、などは別の次元の議論ですので、切り分けてお考えいただけると助かります。ディズニーのプロジェクトに書き込むか迷いましたが、スタイル云々は全体の話なのでこちらに書きました。--125.2.85.49 2008年9月10日 (水) 14:08 (UTC)[返信]

ここが「ウィキペディア日本語版」である以上、日本語表記と原文表記で事足りると考えます。お二人の議論を拝見しましたが、SuperTTS氏の論理に合わせるならば、ディズニー・・・特にTDR関係の記事の多くに中文と、さらにハングル表記を付け加える必要がある事になります。しかし、それはあまりに非論理的で「奇妙」です。例えばミッキーマウスの記事で
  • 「ミッキーマウス(英称:Mickey Mouse、中文:米老鼠、ハングル:미키 마우스)は、ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスが生み出したキャラクター。」
とか、東京ディズニーリゾートの記事で
  • 「東京ディズニーリゾート(英称:Tokyo Disney Resort、中文:東京迪士尼度假區、ハングル:도쿄 디즈니 리조트)とは、日本の千葉県浦安市舞浜にあるディズニーパークを中心としたリゾート施設群である。」
などと書かれているのを想像すれば、それがどれほど「奇妙」な事か理解出来るかと思います。なお、あくまでも参考ながら、件のアトラクションの英語版記事は「英語表記のみ」ですし、TDLの中文版記事での表記は「東京迪士尼度假區(日文:東京ディズニーリゾート)」と中文・日本語のみ併記となっています。--KAMUI 2008年9月12日 (金) 07:07 (UTC)[返信]
強いて言えば、1.を支持します。
例えば、正義[8]を見てください。正義には、英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語の表記が冒頭文に括弧書きで書かれています。これが奇妙なことかというと、手元の『岩波 哲学・思想事典』では英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語に加えて、ギリシャ語のアルファベット表記も書かれています(体裁は違い、文の中に括弧下記であるわけではありませんが、項目の先頭にあります)。こういったことは、日本語の哲学や思想関係の事典では普通の慣行であり、百科事典は今のところ確認していませんが、百科事典で採用していけない理由はないと思います。いわゆる外来語、外国語の音写の場合で良い例は出てきませんが、事情は変わりないと思います。
こういった慣習を守るべきだとは言いません。音写の場合以外は冒頭文に括弧書きで外国語表記を入れるべきではないというルールや、音写の場合も原語のみにするというルールも、それはそれで不合理なものとは思いません(しかし、そうすると動植物のラテン語表記も冒頭文に書いてはいけない、ということになりますが)。しかし、アカデミックな分野には、それらの分野を通して、あるいはそれぞれの分野ごとに慣習やルールがあり、それを覆したり制限したりするようなルールをウィキペディア日本語版で形成するなら、かなり慎重な議論が必要なものと思います。
逆に、一般論としては複数の言語の表記を冒頭文に括弧書きで埋め込むことは許容されるが、ディズニーランド関連では英語のみにするというのであれば、とくに反対も賛成もいたしません。--mizusumashi(みずすまし) 2008年9月12日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
私は強いて言えば4.を指示します。
KAMUI氏のおっしゃるとおり「日本語表記と原文表記で事足りる」と思います。他言語による表記はその言語版を辿ればよいのではと思います。複数の言語を羅列することは冗長になってしまいますし、記載する言語の選択基準も曖昧です。
mizusumashi氏が例に挙げられた正義に関してもそれこそ中文やハングルやアラビア語はなぜ記載しないのかという事になります。
必要があれば冒頭文に書くのではなく、対比表などを作成したほうが良いのではと思います。--Wakimasa 2008年9月13日 (土) 01:57 (UTC)[返信]
「動植物のラテン語表記」というのは学名のことと思いますが、それはある意味で「正式な名称」であるので、何か議論があったとしても冒頭に掲載しないことにする、という結論には至らないのではないかと思います。一般的な話として、冒頭部によみ・原語表記以外を並べる必要はないのではないかと思います。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#表記 にあるとおりです。文化的側面から各言語でどのように表記されているかという記述の形で書くのはよいと思います。あと「公式に採用されている」ということは「中国語表記だけ追加するのはおかしい」ということの反論になっていないと思います。--Calvero 2008年9月13日 (土) 02:36 (UTC)[返信]
4.を支持します。冒頭部は「日本語表記(原語表記。動植物なら学名)」で十分ではないでしょうか。各言語でつらつらと並べるのは冗長に過ぎます。各言語での表記は、本文中で記述するか、あるいは別に章を設けた方が記事全体の可読性を高めるにも有効かと思います。--森藍亭 2008年9月13日 (土) 03:14 (UTC)[返信]
原文がラテン文字以外(漢文・ハングル・キリル文字など)で表記されている場合はラテン文字表記(英語訳ではない)を併記した方がいいと思いますが、それ以外のケースでは4.です。
正義が多言語表記となっているのはそれが西欧諸国の思想史に根差した言葉であり、どれか一つだけを原語と決められないからではないでしょうか。West 2008年9月13日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
「ディズニー関連」というよりは、「東京ディズニーリゾート関連」ですよね。そうすると、もともとアメリカのディズニーパークにあって、それをコピー、移設したようなモノは英語が原語といえるでしょうが、それ以外なら日本語が原語と考えて良いかと思います。(もちろん企画立案の段階でディズニー本社から英語名が出ているかもしれませんが…)
例えるなら、日本製アニメである『UFOロボ グレンダイザー』の記事頭で「仏語:Goldorak」と書くくらいの違和感が…
また、東京ディズニーリゾートの現地で配布されているパンフレットなどに英文、中文、ハングル版などもありますので、記事本文中に補記することはかまわないと思います。--KoZ 2008年9月18日 (木) 00:31 (UTC)[返信]
日本語版であれば日本語+原語という表記で十分だと考えています。同じようなことが中国の行政区画でもあり、元江ハニ族イ族タイ族自治県なんぞはカタカナ表記でも冗長なところ、簡体字表記やピンイン、更には民族語であるイ語にタイ語まで表記したらトンでもない長さになってしまします。
どうしても表記する必要があるというならデータボックスを作成してそちらに記載すべきでしょう。各国語表記を行うがためのデータボックスが必要か否かの議論はあるにしろ、TDLやTDS以外に、サンリオピューロランドやUSJなどでも公式に英中韓の表記が作成されているので、雛形がしっかりとして記載内容を吟味すれば認められる可能性はあるかと思いますし、見づらさが増加しなければ個人的には十分にアリと思います。-Yonoemon 2008年9月20日 (土) 14:08 (UTC)[返信]

どう書けば良いのかいろいろ悩んでいたのですが、うまい書き方が分からないので、直球おりまぜながら、エッセイ風で書きます。

どうして、それぞれの分野での慣習や閲覧者の利便を無視して、一律に決める必要があるのですか

複数の外国語を併記する慣習があり、そのほうが閲覧者の利便性がある分野があるのに、別のあの分野ではこういう問題がある、この分野ではこういう問題があるといわれても、それはそれぞれの分野で決めていけば良いのではないかというように思います。

ディズニー関連ないしは東京ディズニーリゾート関連、中国の行政区画の記事などで、日本語以外の言語をずらずらと書けばよいということを申し上げているわけではありません。その分野はその分野の事情に合わせて制限すれば良いので、西洋哲学史を含むすべての分野にまで及ぶ制約を認めるのにはかなり慎重であるべきだ、と申し上げています。

逆にいえば、全分野で複数の日本語以外の言語の併記を認めるべきだ、と言っているわけではありません。複数の日本語以外の言語の併記を認めれば不都合があるという分野があるのであれば、制約すればよいと思います。


Westさんの「正義が多言語表記となっているのはそれが西欧諸国の思想史に根差した言葉であり、どれか一つだけを原語と決められないからではないでしょうか」という指摘には、同意します。

英語のjusticeに相当するヨーロッパの言語の単語のほとんどはラテン語由来のだろうと思いますが、それはともかく、英語のjusticeに相当する概念、つまり哲学上の「正義」という概念について古代ギリシアの哲学者達はギリシア語で議論し、ラテン教父たちはラテン語で議論し、フランス語圏の人々はフランス語で議論し、ドイツ語圏の人々はドイツ語で議論し・・・と続いてきて、それらは必ずしも外来語や訳語と言うわけでないにも関わらず、複数の言語が使われ、しかし基本的に同じ概念について議論しているのだ、という自覚の伝統が綿々とあるわけです。

その中で、日本語の文献での伝統に従って、いくつか代表的な言語を選んで書いておいて、何か閲覧者に不便なのでしょうか。これは、訳語を書いているわけではありません。ただ、伝統的にそれだけ幅広い言語で、しかし同じ概念についてだという自覚のもとで議論されてきたのだ、ということです。しかし、原語を一つということであれば、音写ではないので原語などありえないと考えるか、おそらくラテン語かギリシア語を選択する困難で何の意味があるのか分からない論争をしなくてはなりません。

これは、Wakimasaさんの「正義に関してもそれこそ中文やハングルやアラビア語はなぜ記載しないのかという事になります」という主張への応答に、いくらかなっていると思います。それは、これが西洋で2000年を超える歴史を持つ、西洋哲学上の概念だからです(もし、西洋哲学にとらわれない正義の記事があるべきだというのであれば、今の記事は「正義 (西洋哲学)」に移動したほうが良いかもしれない、と考えています。しかし、いまの記事は、西洋哲学上の「正義」についての記事となっています)。


なお、Calveroさんの「「動植物のラテン語表記」というのは学名のことと思いますが、それはある意味で「正式な名称」であるので、何か議論があったとしても冒頭に掲載しないことにする、という結論には至らないのではないかと思います。一般的な話として、冒頭部によみ・原語表記以外を並べる必要はないのではないかと思います」というご指摘についてですが、まず「動植物のラテン語表記」というのはたしかに学名のことであり、またご意見自体は説得力を感じます。しかし、それはやはり、分野での事情に合わせて、原語ではない外国語を併記しても良いという例外を作っていることにはならないでしょうか(もし、学名が日本語での正式名称であるならば、なぜそれを記事名にしようという意見がでないのか、という気もします)。


前掲のWestさんのご指摘の趣旨がいまひとつ分からないのですが(たんに私に知識を伝達されようとしたのでなければ)、私は正義の例を一般化しようとしているわけではありません。正義は例外だと考えています。ただ、合理的な例外があるのだから、それに一般的なルールを強制するのは慎重になってくれ、と言っているにすぎません。

やや妄想じみた話だと笑われるかもしれませんが、西洋哲学史に学識ある人がアカデミックな伝統に従って冒頭に複数言語併記で記事を書いて、それをルールを盾に勝ち誇ったように削除したり、非難したりするような人たちが出てくるかもしれないと思うと、たいへん悲しい気分になります。そういうアカデミズムの伝統に抗したルールをやたらに作ってしまったら、ウィキペディアはウィキペディアに詳しい人だけのものになり、それぞれの分野で十分な学識を持つ人々の協力が得られにくくなってしまうでしょう。

(複数言語を併記しなくてはならないのが西洋哲学史研究の伝統だと申し上げているわけではないことに注意してください。そうしても構わない、そういう書き方も許されるという伝統があるのだ、ということを申し上げてます。)


もう一度繰り返しますが、ディズニー関連ないしは東京ディズニーリゾート関連、中国の行政区画の記事での問題は理解できます。それは、なんらかの対処をもって複数言語併記を制限したほうがよいのだろうと思います。ただ、全分野に及ぶ制約にする必要はないだろうと考えているに過ぎません。

英語版で、複数言語が付されている項目を例示します:

以上、たいへん長いエッセイ風の文章で申し訳ありませんでした。--mizusumashi(みずすまし) 2008年9月23日 (火) 20:59 (UTC)[返信]

質問者125.2.85.49です。 mizusumashiさんの「分野を飛び越えて一律非である」とするのは乱暴だとの趣旨に関してですが、mizusumashiさんの最初の投稿は、比較対象として「正義」を例に出し、これがありなのだからディズニーもありだとする内容でした。まったく違う分野の例を元に「分野を飛び越えて一律是である」との主張に私は読めます。他の方もそのように読んだので、それはさすがにどうか、と反論っぽい論調になっていったのではないかと思います。エッセイを読んで意図するところは他にあるとわかりましたが、最初の投稿時ではその意図はわかりませんでした。

さて、そもそも私は最初からディズニー関連(正確には東京ディズニーリゾート関連、でした)に限定して質問をしたつもりでした。1~4は例示(最大の振り幅で、間は無数にある)のつもりでしたが、限定された選択肢だと思わせてしまったようで、それが元凶であり大変申し訳ないです。

ともかく、唯一の明確な対立意見と読めたmizusumashiさんも、東京ディズニーリゾート関連に限れば表記の制限は必要といっていただけました。また、他の方々はほぼ4を支持と読めますが文面をみれば、例外なく何が何でも一律排除すべきだという強硬論には読み取れません。というわけで、二週間強にわたり得られた意見を総括すると、

  1. ウィキペディア日本語版では推奨されない。(分野により例外は認める)
  2. 是非は分野ごとに個別検討すべき。(東京ディズニーリゾート関連では推奨されない)

の、二つに集約できるでしょう。で、この二つは表現上の違い、主従の認識の違いだけで、内容に大きな相違はなく、ましてや対立ではないでしょう。私としては、この大まかなコンセンサスで質問の意図は十分果たせました。この結果を踏まえ、改めてSuperTTSさんにしかるべき編集をお願いして終わりにしたいと思います。皆様ご意見いただきありがとうございました。--116.80.6.123 2008年9月25日 (木) 14:44 (UTC) 追記:みなさんにお手間を取らせていろいろ書いていただいたわけですが、氏は井戸端での意見など考慮する必要はないとお考えのようです。[9]。ちょっと日本語の対話が成立しているように思えないので、不毛なやり取りはやめます。--116.80.6.123 2008年9月26日 (金) 13:53 (UTC)[返信]

「この問題は当該プロジェクトで議論し、ガイドラインを策定する問題だと思います。」と言うのがこの方には理解できないようです。--SuperTTS 2008年9月30日 (火) 17:33 (UTC)[返信]