Wikipedia:コメント依頼/Y3006

利用者:Y3006会話 / 投稿記録 / 記録さんの宝ヶ池駅出町柳駅における出典表記(及び出典を明記した画像)をコメントアウトする編集と、利用者ページでの議論においてウィキペディアの基本方針を無視して身勝手な自論を繰り返し押しつけようとする姿勢について、皆さんにコメントを依頼します。--Tawashi2006 2009年9月1日 (火) 15:18 (UTC)[返信]

関連議論[編集]

経緯[編集]

宝ヶ池駅の記事において、私Tawashi2006は2009年5月9日 10:53(UTC)の版で駅配線図テンプレートを挿入しました。 Y3006さんは2009年8月17日 13:16(UTC)の版の編集において、要約欄に著作権上の問題があるとの指摘をして、出典部分をコメントアウトする編集を行いました。 また翌2009年8月18日 03:07(UTC)の版出町柳駅2009年8月18日 03:04(UTC)の版において、IPユーザー114.145.171.206の名で著作権やライセンスの表示がないとのコメントを付けて、駅配線図の節全体をコメントアウトする編集を行いました(このIPユーザーがY3006さんであることは「利用者‐会話:Y3006」の中で自ら認めています)。 ここでいう配線図(正確には鉄道配線略図)というのは、鉄道における線路の繋がりやプラットホームなどの設備の位置関係をモデル化した図であり、配線図の本質部分(距離を無視して線路の分岐・交差・終端やプラットホーム・踏切等の各種設備との位置関係、つまりトポロジー)自体は客観的事実であり、本来著作権法の保護対象とはならないものです。 私が作成した配線図画像の意匠については、利用者:Matsukaze会話 / 投稿記録 / 記録さんが公開されている配線図テンプレートの表示内容を一体のSVG画像に変換するツールを用いてコモンズのcommons:Category:Rail tracks map templateに{{PD-self}}で公開されているアイコンを合成して作成されたSVG形式のべクトル画像を私が一部編集したものであり、出典となる紙に印刷された書籍よりスキャナーなどで読み取ったイメージ画像ではないため、意匠上も問題は存在しないと私は考えます。 また、コメントアウトされた各画像はコモンズのファイルページにおいてアップロードした際に私が{{PD-self}}のライセンス表記をおこなっており、それを日本語版でテンプレートから呼び出して表示しているだけのことで、なんらY3006さんが指摘されているような著作権やライセンス表記にからむ問題は一切ありません。

上記の私の反論に対してY3006さんは、「テンプレートとして組み合わせた著作権やライセンス表示がない」とか「テンプレートの部分にのみ出典の表記があるのはおかしい」とか「出典の表記は書籍の宣伝行為にあたる」といった趣旨の次々に変化する主張を繰り返し、途中参加されたMatsukazeさんや私が示したウィキペディアの基本方針に基づく主張には正当な根拠のない批判をおこなうばかりで、建設的な合意を導き出そうとする意志は感じられません。

通常、オリジナルで作成された画像には出典表記を伴わないことが多々ありますが、Y3006さんに問題があると指摘されている駅配線図テンプレートは、その公開にあたってWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/テンプレート/路線図テンプレート#駅配線図の合意形成の過程で、過去に投稿されたことのある事実に反するいくつかの配線図への反省から{{出典の明記}}が重要との判断が示され、以後誰からも異論なく、私やMatsukazeさんは数多くの記事において駅の配線図を出典付きで掲載してきました。もし、駅配線図テンプレートの出典の表記方法に問題があるのであれば、それは個々の記事の編集において異議を唱えるのではなく、ウィキプロジェクト鉄道において議論すべきと考えられます。しかし、Y3006さんはウィキプロジェクト鉄道への発言を促す私を無視し、利用者‐会話:Y3006での反論に終始しています。

編集合戦は避けるべきと考え粘り強く議論を重ねてきたつもりですが、Y3006さんとの議論を通じて私が抱いた印象は、「Y3006さんは『独自研究の編集が明るみに出るのが怖いので同じ記事の中に出典を表記した部分があるのは目障り』との考えから出典を表記する編集を妨害しようと画策しているのではないか」、という疑念です。それが事実であれば、Y3006さんの出典(及び出典を明記した画像)をコメントアウトする編集行為はウィキペディアの基本方針の内「検証可能性」と「独自研究はしない」に対し逆行する行為であり、看過することはできません。これ以上根拠のない主張を繰り返すY3006さんとの議論を続けていても合意点を見出すことは困難と判断し、皆さんへの問題提起をするべきと考えました。

以上、皆さんからのコメントをお願いします。--Tawashi2006 2009年9月1日 (火) 15:18 (UTC)[返信]

被依頼者コメント[編集]

私の気になったのは次の2点です

Tawashi2006氏の上げられた配線図そのものはコモンズにアップされていますが、「出典」の情報は本文中に別に書かれています。また記事だけを見ていれば、図を作成した人の著作表示やライセンス表示はなく、書籍のみが「出展」として記されています。配線図の本質部分が自体は客観的事実でという点に疑問はないのですが、ディフォルメの方法等には著作権があります。つまり図の著作権は図の作成者にあり、こちらが主体です。図を作成するのに参考にした文献「のみ」が「出典」として表に出ているのは問題です。

また、参考にした書籍は一般に言う(Wikipedia出筆者内の用語ではない)「参考(文献)」や「〇〇による」となるべきものです。「出典」では客観的事実が元でなく、その本が大元であるかのような誤解を招きます。非公開部分の独自取材や、あまり知る人のいない昔のもの場合はそうですが、客観的事実が本質なら「出典」は避けるべきです。


Tawashi2006氏は駅構造等、客観的事実に値するものまで、書籍等による出典がなければ独自研究であると称されています。確かに「ウィキペディアにようこそ!」の基本方針をそのままとらえればそう読めますが、他の多くの記事がそうであるように、「だれが見ても客観的な事実」の部分は出典があるものとして扱われています。

これは単に「現状を追認せよ」というだけでなく、「なぜそのようになっているのか」を考えていただければ一目瞭然です。書籍等による出典がないと、現状を客観的事実と捕らえないなら(示す努力はしなければいけませんが)、駅記事において「駅構造」「周囲」の多くがそうであるのみでなく、多くの記事が独自研究となってしまいます。

『独自研究の編集が明るみに出るのが怖いので同じ記事の中に出典を表記した部分があるのは目障り』というのは全くのいいがかりであり、「身勝手な自論を押し付ける」などは暴言とも言えるものでしょう。

本の宣伝合戦うんぬんは、これを徹底すれば文章にも一節ごとに出典が必用になり、出筆者のたまたま参考にした本が、出典としてずらっと並ぶことを危惧したものです。

また、Tawashi2006氏は「出典の明記」のテンプレートを、ご自分の配線図が消された記事に「だけ」張り付けられています。しかし、氏も認める「客観的事実」の部分がある以上、記事全体ということはないでしょう。こちらからお願いしても、どの部分が問題とお考えなのかを具体的にお示しいただけないのは、本当に記事をよくしたいために張られたのか真意を測りかねます。


私としては以下の点を提案いたします。

配線図の場合本文中には原則として「出展」は記入しない。特に必用な場合でも「出典」という記述は、昔の記録や非公開部分等、その書籍が大元になっていると考えられるもの意外用いず、「参考(文献)」(場合によっては「〇〇による」)とする。(できればそれよりも「〇年〇月現在」といった情報がほしいです。)

「出典の明記」のテンプレートは、本当に全体が疑問な場合にのみ使用する。部分的に出典に疑問があるなら、その部分に「要出典」タグ等で示す。節ごと疑問の場合などは「独自研究」テンプレート使用も考える。場合によってはご自分で編集されてもいいと思います。


上記の記述は私によるものです。--Y3006 2009年9月2日 (水) 06:49 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • コメントこんにちは。会話ページにいくことも考えたのですが、話が錯綜している、あるいは、Y3006さんが使っているウィキペディア周辺の言葉の指す意味内容が、ウィキペディアあるいは一般的な理解と異なるところがあるかもしれないと思いました。最初の段落は主にTawashi2006さん宛て、以下は、Y3006さんに説明するなら、このようになるかなと思ったことを、書いてみます。
ライセンス云々は、とりあえず関係なく、配線図のキャプションに「出典:[2]、[3]」と書かれていることが問題となっている可能性もあると思いました。確かに、出典とすると、参考にしたのか、図版の引用なのかは曖昧になります。個人的には、ファイルページに書かれていれば十分だと思いますし、脚注部分で「 位置関係などは、川島令三、『全国鉄道事情大研究 - 京都・滋賀篇』、119p、 草思社、1992を参考にした」などと補うことで、丸写しという疑念をもたれにくくすることはできると思います。
情報源を示すということについては、事実であれ意見であれ、ウィキペディアでは、Wikipedia:検証可能性という方針で、「通常」よりも詳細に、その情報源を明示する事が求められています。必要であれば、一節一節、一語一語に、情報源を示すことが、必要なのです。一般的には、書籍などでは著者や出版社への信頼があり、あるいは個人ブログなどでは期待される信頼度がそれほど高くないということになるかと思いますが、ウィキペディアは既存の百科事典の質を求めつつ、誰でも編集できるという仕組みを採っていますから、せめて参照した資料を示すことで記事・記述の信頼性を担保するということになります。誰が見ても明白な事実で、複数の書籍に記述されているような事柄に関しても、もっとも信頼できる情報源、もっとも容易に検証できる情報源を選ぶということになるでしょう。
画像について。宝ヶ池駅の配線図については、commons:File:Rail Tracks map Eiden Takaragaike Station.svgとしてウィキメディアコモンズにアップロードされ、ウィキペディア日本語版でもファイル:Rail Tracks map Eiden Takaragaike Station.svgとして表示されています。これらについて、虚偽などは含まれていないとします。
コモンズおよびウィキペディア日本語版にアップロードされた各種ファイルは、記事中で呼び出して表示させる事ができますし、そのように表示させることは広く行われています。
宝ヶ池駅の配線図がアップロードされているコモンズのページでは、参考文献を挙げつつ、Category:Rail_tracks_map_template.にあるパブリックドメインの素材を用いて、Tawashi2006 さんが作成したもので、著作者・著作権者としてパブリックドメインとしてリリースする意思が示されています。
ホームや線路の位置の概要については、事実として著作権の保護の対象にはなりません。位置の概要を、挙げられている参考文献(あるいはホームページ)にある図や写真を参照しながら、Tawashi2006 さんが自らの表現として路線図を作成する場合、事実関係は一致しているとしても、元となる図や写真に創作性があり、その表現が持つ思想や感情を感得できないような形で、別個の表現となっているならば、元となる図や写真の著作権は働きません。また、「図の要素」となっているCategory:Rail_tracks_map_template.のファイルは、創作性のある表現ではないため、著作権法の保護の対象とはなりませんし、作成者もパブリックドメインとして自由な利用を認めています。これらは著作権をまったく気にせずに使う事ができます。
本文と、本文内に表示されている画像のライセンスについては、いくらか難しい部分があります。しかし、ここでは、路線図の画像がパブリックドメインとなっていますから、著作権上の衝突は生じません。
他方、他者の著作物の無断使用か否かという判断をする上では、だれが作成したのかということを示すことは、直接は関係しません。だれが作成したかを書いたところで、虚偽である場合もあります。書籍の丸写しであるという疑念は、何かを参考にしているとか、誰が書いたという表示があったとしても、生じるものです。何を参考にしたと明示することは、丸写しかどうかを確認する手助けになります。また、著作者は無名で公表する事が認められています。--Ks aka 98 2009年9月1日 (火) 19:07 (UTC)[返信]

Template:駅配線図ほかの製作・翻訳者ですが、当該テンプレートを利用した場合の出典の提示方法についてコメントします。

まず、配線に関する情報の出典がどこかに何らかの形で示されるべきであることはWikipediaの方針から議論の余地はありません。次にそれをどこにどのような形で記すかですが、{{駅配線図}}などでは配線図を何通りかの方法で表示できるようになっています。

  1. 配線図を独立した画像ファイルとして作成し、image引数でファイル名を指定。
  2. 典型的な配線については、配線に対応するtypeを指定。
  3. Template:鉄道配線図を用いて基本アイコンを並べる。
  4. Template:駅配線図画像Template:鉄道配線図などを併用し、典型的な配線図に基本アイコンを付加する。

配線図を上記のどの方法で表示しているのかは閲覧者が気にすべき情報ではないため、テンプレートはどの方法を使っても見栄えができるだけ同じになるように作成してあります。

配線の情報源は画像ページにあれば十分で記事本文には不要、というのは上記1. の場合には有効かもしれませんが、2-4の場合には不可能です(これらの場合呼び出されている画像は汎用的に用いられているものであり、特定の駅に対応したものではありません)。したがって 2 - 4 の方法をとった場合には出典情報は記事本体に記すほかありません。そして 1 の場合とと 2 - 4 の場合で出典の提示方法が異なることは閲覧者にとって不便でしょうから、1 の場合でも出典情報は 2 - 4 の場合と同じ位置に記されるべきです。こう考えてテンプレートに出典(source)の欄を設けました。

次いで被依頼者の参考文献、出典に関する考え方についてコメントします。被依頼者は「客観的事実」に対しては文献による出典は不要であると主張していますが、これはWikipediaの基本方針と相容れないものであると思います。これでは事実誤認や憶測による記述とまともな記述を区別することができません。現に駅の配線図でも過去には誤った図が出典なしで掲載されたことがあり、これを排除するのはたいへん手間のかかる作業でした。出典の明記が徹底されていればこのようなことはなかったでしょう。

駅記事の大半が出典の付されていない独自研究であるのは、これらの記事が「出典の明記」が公式の方針になる以前に作られたためやむをえない面もあるとはいえ嘆かわしいことであり、改善されるべきです。被依頼者の行動は改善の足を引っ張るものでしかありません。

また被依頼者コメントを拝見しますと、被依頼者は通俗解説書などが出典等として挙げられることを嫌っているのではないかと思われます。たしかに通俗書よりは専門家が書き査読を経た文献の方が望ましいのですが、出典なしや独自研究に比べればたまたま見かけただけの本でも記した方がましでしょう。また出典が通俗書であることが明記されていれば、専門知識を持つ人にとっては改善すべき場所が明白となります。出典なしでは専門知識に基づく記述も素人の憶測も区別がつきません。--Matsukaze 2009年9月3日 (木) 12:47 (UTC)[返信]

コメント (依頼者コメント)本コメント依頼の被依頼者のコメント中Y3006さんはライセンスがなく参考文献のみが出典として表記されているのは問題と指摘していますが、ウィキペディアの記事の中では一般に脚注などの節にまとめて出典を箇条書きにしているだけで、その際「参考にした」などの表記は用いていません。ちなみに今回Y3006さんによりコメントアウトされている画像の説明ページには参考文献であることが示してあり、リンクをたどってコモンズのファイルの説明をみればわかることを無視しています。また、私の会話ページに「コモンズに著作権表示付で載せるべき」との見当違いの指図をしています。いったいこの指図は何を意図しているのでしょうか。ライセンス表示についても、各記事の履歴をみれば誰がどの部分を編集したかは一目瞭然であり、誰が作成したかわからない(つまり著作権やライセンスの表示がない)などとは考えずに私達参加者は編集に参加してきたのではないでしょうか。
私やMatsukazeさんは、今回問題となっている記事以外にも、駅配線図テンプレートを使用して同様の出典表記の方法で100近い記事に配線図を掲載しています。駅配線図テンプレートについては、経緯の節で触れたウィキプロジェクト鉄道で話し合った上で導入したものであり、その内容に異議があるのであればウィキプロジェクト鉄道のノートで問題提起するべきで、個々の記事の中で編集によって自分の思い通りにしようというY3006さんの考え方では各記事のノートで同様の議論を繰り返す必要が生じコミュニティに混乱を持ち込むだけだと思います。
Y3006さんは自分の主観でのみ記事の編集の仕方を論じているが、コミュニティの中で各自が独自の考え方で執筆し他人の編集を批判したら編集合戦だらけになってしまうのは明白です。秩序正しく混乱なく運用されるために、多くの利用者によって同意され支持されたウィキペディアの基本方針があるのだと考えます。ウィキペディアの基本方針に異議を唱えるのであれば、井戸端などで議論するべきではないでしょうか。--Tawashi2006 2009年9月15日 (火) 14:02 (UTC)[返信]
コメント (被依頼者コメント)今回の件に関しては基本方針に異論があるわけではありません。ただ現状を見てほしいというだけです。
ただ、次の点だけは明らかな誤りです。記事内に現れる記述ですから、対象は一般閲覧者で、Wikipedia編集者にだけ通じる用語ではダメです。これをさして「ライセンスがおかしい」と申し上げたのですが、言葉足らずであればすみません。
しゅっ‐てん【出典】 (出典:大辞林)
故事成語あるいは引用した語句などの出所である書物。典拠。
このように、通常は語句などを引用した場合に用いられます。大元や考えがその書籍に以来する「典拠」といえるものなら「出典」でしょうが、大元が客観的事実なら「参考(文献)」あるいは「〇〇による」でしょう。また「出典」なら2つ列挙されているような状態が発生するのも変です。
これはプロジェクトの方で話すべき内容ですが、テンプレートとしては何も記入しない(枠だけ)か「備考」が望ましく、必用なら注釈側に「出典:」「参考(文献):」「〇〇による」のように記載すればいいと思います。
話し合ったと言われてますが普通は自分の関係するところが直されない限り気がつかないでしょう。ウィキプロジェクトの議論を全部チェックしろと言うのは無理です。
また、自分のが消された所だけに「出典の明記」のテンプレートを貼り付ける行為はいかがなものかと思います。それを抜きにしても、これでは貼り付けた方が「どこを問題としているのか」が全く不明です。出典に疑問があるなら、その部分に「要出典」タグ等で示すべきです。節ごと疑問の場合などは「独自研究」「目撃情報」などのテンプレートでもいいと思います。
・テンプレート内への「出典」の記述をやめることをもう一度プロジェクトで話し合う
・「出典の明記」のテンプレートは記事全体が独自研究のおそれがある場合など以外は用いない
こちらからの提案はこの2つです。
また、直接関係ないですが、「ウィキプロジェクト 鉄道」の駅記事のところに「特徴的な構造がある場合は体系的な文章で説明し補助的に写真を用いても構わない。」とあるように説明は文章が主体です。そこからリンクされている「プラットホーム」にもわかりにくい例以外、図は使用されていません。当然100全部が図が必用な例なんでしょうが、もし「図で書いた方がわかりやすい」といった意見をお持ちであれば、ここを書き直すことを提案された方がいいと思います。
この依頼ですが半当事者とも言えるMatsukazeさんを除けばお一人のコメントだけという状態ですが何かコメントを集める努力をなさいましたでしょうか。それは依頼者の責任ですよ。--Y3006 2009年9月17日 (木) 13:50 (UTC)[返信]
2段落目だけ少々補足しておきます。
ただ、次の点だけは明らかな誤りです。記事内に現れる記述ですから、対象は一般閲覧者で、Wikipedia編集者にだけ通じる用語ではダメです。また、記事中に参考文献が出典と表示され、本来の図の作成者が明示されていないのでは明らかに変です。これをさして「ライセンスがおかしい」と申し上げたのですが、言葉足らずであればすみません。--Y3006 2009年9月17日 (木) 14:50 (UTC)[返信]
  • コメントこのデザインの鉄道路線図表は鉄道博物館で展示公開中の新幹線東京区CTC表示装置等でも見られます(神田の交通博物館の頃、つまり20年以上前にも見ましたが)。したがって出典として指示された先のデザインが著作権の要因である「独創性」や意匠権でいうところの「新規性」をみたしているかといえば、先行して意匠を具現化している装置があるので、どちらも権利の要件を満たしているとは言い難いと考えます。特許権、意匠権は出願後15年で占有権は時効になります。著作権はもっと長い(著作者が特定できないものは公開後)50年ですが、前述のように独創性の点で著作物としての要件(独創性)を満たしていないと考えます。鉄道路線図表をWikiのテンプレートの部品で構成するというアイデアについては特許権や実用新案の対象になり得りますが、それは今回のコメントの趣旨とは違うようです。いいかえると、出典を示すことは検証可能性を明らかにするということで、出典先が権利を占有している(つまりライセンスが成立している)かどうかまでは出典が保証するものではなく、それぞれ出典先を評価してライセンスが成立しているかどうか結論が出るものだと考えます。出典先が著作権保護期間が終了していたり、特許権、意匠権の保護期間が満了したものに対する出典情報は、単純に資料元の存在を示す意味だけだと考えます。--あら金 2009年9月21日 (月) 15:01 (UTC)[返信]
コメント(依頼者コメント)出典の表記方法には「引用」と「参考文献」の2種類がある訳ですが、
ウィキペディアでは、というか日本の著作権法では、(著作権保護期間の切れた著作物や、著作物の中に含まれる客観的事実や創作性のない部分など)著作権法が保護対象としていない物を無断で引用することが認められています。
駅配線図の本質であるトポロジーの様な客観的事実(つまり著作権の保護対象となっていないもの)の出典表記は「引用」であったとしても違法行為には該当しない訳で、被依頼者が提案している駅配線図テンプレート自体に「参考文献:」という表示をするように変更してしまうと「引用」であっても強制的に「参考文献」と表示されてしまうことになり、出典が著作権法で保護されている著作物と判断されてしまうため適切な表記だとは思いません。「出典:」の後ろに記事を編集した本人が、「○○を参考に作成」なり「○○から引用」なりの表示をするかは各執筆者が個々の編集の内容から判断して必要であれば表記すれば良い事だと私は考えます。
ただし、私のこの意見は「著作権法の解釈としては」という条件が付きます。何がいいたいのかと申しますと、これまで触れられてきた様な「配線図のデザインが丸写しであったら問題」ということへの配慮から「出典」の表示が適切であるか論じるのであれば、それは著作権上の問題ではなく、同じ知的財産権として保護されている意匠権上の問題ではないかと思うのです。
もちろん配線図であっても著作権法上保護される様なものもあります。例えば、
  • 数多くの駅を含む路線の配線が刻銘に記載された画像で、独自の工夫を凝らして創作性が認められるような幾何学模様状や美術的価値が発生するような形状に配置するなどした画像をレイアウトなどを変更せずに転載する場合の元画像。
  • 小説などのフィクションに掲載された架空の鉄道の配線図(このような画像があるとは思われませんが例として)。
  • 執筆者が鉄道配線の改善案を示すにあたって作成した、いまだ歴史上実在しない駅の配線図。
こういった画像などは著作権法の下に保護されていると考えられますので、著作権法に基づく出典表記が必要になってくるでしょう。
ただし、今回コメントアウトされている配線図は(テンプレートに表示させた状態にあっても)著作権法上の保護対象にはならないのではないでしょうか。話がデザインつまり意匠権法上の問題に限定されるのであれば、著作権法の出典表記規定にある「引用」や「参考文献」という表記はなじまない話であると思います。意匠法においては、保護されるような独自性のあるデザインか、双方のデザインがどの程度類似しているか、といったことが検討されるだけのはずです。第一、鉄道の配線図に使われるような単純な図形の合成物は、Ks aka 98さんもあら金さんも指摘している通り知的財産権の保護対象ではないと考えられるため、引用であっても問題ないはずです。そもそもデザインの分野において「引用」なり「参考文献」という表現区分があるのでしょうか。
被依頼者はコメント依頼が出されてから基本方針に異論がないとしていますが、被依頼者自身の会話ページの中で「本文文章と同じライセンスで扱うなら、ここだけに出典があるのは変でしょう。」と主張しており、当時出典表記が何もなかった記事の状態に私の投稿部分も参考文献であれ引用であれ出典表記を拒否するような主張をしていました。また、このコメント依頼の「被依頼者コメント」の中でも「出筆者のたまたま参考にした本が、出典としてずらっと並ぶことを危惧した」との主張をしており、本来必要とされるなら数に限度がないはずの出典を数が多くなることを理由に問題視するなどというのは「出典を明記する」という基本方針に逆行する考え方であると考えられます(同様に駅配線図テンプレートを使った記事が多すぎるという主張も、数だけに言及した個々の記事内容を無視した主張と思います)。
駅配線図テンプレート導入にあたりウィキプロジェクト鉄道で出典の項目を表示するように話し合われたのは、Matsukazeさんのコメントにある通り配線図が信頼できる出典を基に作成されたものであることを証明するため、つまり客観的事実の裏付けを求めた訳です。被依頼者が提案するような「出典」の文字の存在しないテンプレートにしてしまうと、以前にあったような出典表記が不明で事実と異なる配線図(例 1 飯能駅2 大阪難波駅3 JR京橋駅大阪環状線部分等、正しい配線図は最新版を参照)が横行する事態を招きかねません。
また、被依頼者は「出典の明記」テンプレートを特定の記事だけに貼っていることや出典の要求箇所が不明であることを問題視していますが、
  1. そもそも被依頼者は駅配線図テンプレートが呼び出されている100程の記事の中で自分が編集に関わった当該記事でだけ配線図をコメントアウトしていること。
  2. 参考文献が全く示されていない記事には「出典の明記」テンプレートを使用することが日本語版ウィキペディアの考慮すべきガイドラインであるWikipedia:出典を明記する#情報源の記載がない記事についてで推奨されていること。
  3. 上記の通り被依頼者が出典の全くない記事の中で配線図だけに出典があるのを問題視していること。
以上の3点から、日本語版ウィキペディアの基本方針を無視し自己の行動のみを正当とし自身の投稿した記事だけに固執する身勝手な主張であると思われます。--Tawashi2006 2009年9月23日 (水) 13:54 (UTC) 表現の不足部分加筆、リンク漏れ修正--Tawashi2006 2009年9月23日 (水) 14:04 (UTC) [返信]
コメント (被依頼者コメント)まだ「出典」という日本語の意味がお分かりにならないようですね。それともWikipedia編集者内だけに通じる出展の明記の「出典」と、一般閲覧者を始めとした世間一般で通じる「出典」の違いがおわかりにならないのでしょうか。記事を見る人の主体はWikiped編集者ではないですよね。
「配線図が信頼できる出典を基に作成されたものであることを証明するため」ではなく
「配線図が信頼できる文献を基に作成されたものであることを証明するため」ですね。
特にあなたがおっしゃるように元にした書籍の図に著籍権がないものであればなおさら「出典」は誤りでしょう。
一度Wikipediaで出典を調べられてはいかがですか。リダイレクトで、あなたの出された参考文献に飛びますが、このあたりの違いはきちんと述べてありますよ。
日本語の解釈や対象とする相手に誤りがあれば、話が通じないのはあたりまえです。
また、あなたの示されたWikipedia:出典を明記する#情報源の記載がない記事についてでは「参考文献がまったく挙げられていなかったり、出典の明らかでない『評価』などの記述があったりしたら、記事や節の冒頭に出典の明記テンプレートを置いておくのも良いでしょう。」と冒頭にあります。駅の存在は「評価」ですか?
架空の駅についての記述や「〇〇駅の存在意義」といった記事ならそうでしょうが、通常の駅記事はとてもあてはまりません。
後に書いてある「いずれの場合にも、どの記述について出典を求めているかを特定することが、すみやかな問題解決のために望ましいことです。」の方が優先される項目でしょう。問題とお考えの部分に出典の明記テンプレートを置けばいいことです。どの部分が問題なのかをノートにすら示されていないあなたのやり方では何の解決にもなりません。
Wijipediaの記事を持ってこられるのはいいのですが、自分に都合のよい「記述」「だけ」抜き出されて、全体を読まれてないのではと理解せざろう得ません。--Y3006 2009年9月27日 (日) 14:22 (UTC)[返信]

Wikipediaにおける「出典」という言葉の用法に異論があるのなら、これは極めて影響範囲の広い問題ですから、編集を強行したりここで議論したりする前にWikipedia:検証可能性(ここの「方針」で「出典」という言葉を使っている)のノートページなどで問題提起してはいかがでしょうか。--Matsukaze 2009年9月30日 (水) 12:27 (UTC)[返信]

Wikipediaでは「出典の明記」の「出典」と「出典」という用語はきちんと分けられています。ここの対象となっているのは記事内に現れる「出典」の使い方がおかしいというだけです。--Y3006 2009年10月1日 (木) 02:27 (UTC)[返信]
コメント(依頼者コメント)被依頼者の説明にある「テンプレートでの『出典』の文字表示がおかしい」との理由で、なぜ私の投稿した配線図が「著作者表示・ライセンス表示のない図」との表記がなされてコメントアウトされているのか全くわかりませんね。このページ2009年9月17日 (木) 14:50 (UTC)の発言で「言葉足らずで」との記述がありますが、「出典」の文字があることが「言葉足らずで」著作者表示云々につながってしまったのか教えて頂けませんか。それとも、問題をすり替えているのでしょうか。
それから「評価など」の部分ずいぶん「評価」を強調されていますが、ご自分で引用されながら後ろに「など」の文字がついているのを見落としていませんか。「評価のみ」とは違うんですけど。「Wikipedia:出典を明記する」ではウィキペディア全般に共通する表現を用いているためこの様な表記をしていますが、私が{{出典の明記}}テンプレートを貼ったのは駅構造・歴史など客観的事実であろうと思われる部分全てに出典がなかったからで、個々に{{要出典}}テンプレートを用いてもよかったのですが、全般にわたって参考文献などの情報源が見あたらなかったからです。被依頼者は私が出典のない記事全てに出典を探し出して記載することを求めていますが、「物理的に不可能だから無駄なことだ」といいたいのでしょうか。ちなみにWikipedia:検証可能性#方針の3にあるように、出典(参考文献)は執筆者が表示の義務を負い(第三者が出典を表記することは可能ですが)、出典を示すことの出来ない部分はやがて削除対象となることがあります。
被依頼者に忠告しますが、ご自分の入力ミスはご自分で訂正した方がいいと思いますよ。ログインせずにIPアドレスで投稿(「ログインしていない」旨の警告を見ていないのですか)、漢字の誤用(必要→必用、著籍権→著作権)、入力ミス(理解せざろう得ません→理解せざるを得ません)などとても自分の主張内容を誤解を招かないか噛み砕いて確認してから発言しているようには思えません。投稿した後でも発見次第取消線(例:取消部分)付きで訂正して頂けませんか。--Tawashi2006 2009年10月1日 (木) 14:09 (UTC)[返信]
コメント(被依頼者コメント)記事の『表面上』参考文献が出典と表示されています。また、図そのものの著作権は表示されていません。これでは示された文献が(著作権を持つ可能性のある)原典、あるいはディフォルメの方法などを真似した、ととらえられかねません。ですから、著作権表示がおかしいのです。
確かにこの論争の中で「図そのものの著作権は文章と同様に修正者が持っているので表示不要」「Wikipediaの中で『出典』は単に『〇〇を元(参考)にした』という意味である」といった意見も出ています。しかし、前者は表示不要と誤った表記は別物ですし、後者は閲覧対象者はWikipedia編集者ではありませんので合意できる内容ではありません。
結論なり合意を得れば修正いたしますし、現時点で依頼者側、あるいは第三者から「この記事には図が不可欠であり、長期間放置は問題なので一時的措置」等の理由で修正されるのであれば(私は特に不可欠と思っていませんが)編集合戦のようなことはいたしません。しかし、論争の観点となっていて合意を得ていない時点でこちらから該当部分を修正せよというのは、おかしい要求ではありませんか?--Y3006 2009年10月1日 (木) 22:49 (UTC)[返信]
コメント(依頼者コメント)被依頼者は私の投稿した図自体に著作権法に違反する引用である可能性があるとの考えがあるのでしょうか。それとも、ただ単にテンプレートに「出典」という文字があるから著作権法にふれると読者から誤解されがあると考え、著作権法上の問題があると考えているのでしょうか。以上2点確認のため回答願います。--Tawashi2006 2009年10月2日 (金) 23:55 (UTC)[返信]
コメント(被依頼者コメント)後者ですが「テンプレートにあるから」ということではなく「記事の表面上に、「出典」とした表記があるから」ということです。
二次的に「このような問題となる可能性のある表記をテンプレートで強いてしまうのは問題」ということになります。--Y3006 2009年10月3日 (土) 21:37 (UTC)[返信]
失礼します。「閲覧者が著作権法違反ではと思うこと」と「著作権法違反であること」は違うのではないでしょうか。著作権的に問題がないことは Ks aka 98 さんの説明ですでに明らかです。閲覧者が、問題のないものを著作権法違反だと思っても、それは閲覧者のウィキペディアの出典(=参考文献)記載方法への理解が足りないのであって、そのようなものの心配をする必要はないと思うのですが。--継之助 2009年10月3日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
コメント(被依頼者コメント)著作権的に問題がないことが、ここで明らかになっても意味はありません。記事そのものを見て明らかなことが必用です。また、一般閲覧者は通常の日本語として「出典」を捕らえます。閲覧者のウィキペディアの出典(=参考文献)記載方法への理解が足りないのではなく、記述者の日本語としての「出典」使い方が間違っているのです。
一般閲覧者に「Wikipedia内での「出典」は通常の日本語と異なるから注意して読め」ということを知らしめるなら、何らかの対処が必要でしょう。--Y3006 2009年10月3日 (土) 21:37 (UTC)[返信]
画像ページの一部を本文に記載することは、最初のKs aka 98 さんの解説で、問題がないという主張がなされております。ただし、丸写しでないことをはっきりとさせるための表現の工夫はあっても良いかとは思います(~~を参考にして作成、など)。
出典の解釈について。「故事成語あるいは引用した語句などの出所である書物。典拠。」という記述にこだわっていらっしゃると推測します。が、上の『評論など~』と同じように、「など」だから画像もいいだろう、と捉えることも可能です(そこまで文面にこだわる必要はない、と思いますので)。なお、『「画像」には出典という言葉は用いられない』という主張の根拠にはこれはなりませんので、『「画像」には出典という言葉は用いられない』という「出典」が掲示されない限り、その主張は説得力を欠くということを指摘させていただきます。
ウィキペディア内の話でいえば、アップロードページでも「出典」が出てきますので、画像の「出典」は問題がないことのようです。ウィキペディア内部での「出典」の用法が間違っている、と思われるのでしたら、こことは別の、例えばWikipedia‐ノート:検証可能性Wikipedia:井戸端などで問題提起したほうがより良いものと思われます。--継之助 2009年10月4日 (日) 04:12 (UTC)[返信]
コメント(被依頼者コメント)ウィキペディアで「出典」を引くと表示される「参考文献」の文頭に「「出典」とは、故事、引用語等の出所(でどころ)、ないしそれと考えられる本などのこと」、「参考文献」とは「著述の際に参考にした図書や文献や新聞記事、または、その書誌事項を記したもの。」と記されています。図であるかどうかに関係なく、記述されたもの全てに適用されるものと読めるのではないでしょうか。ここで対象となっている図の場合、明らかに後者でしょう。
またウィキペディア編集者内の用語としては問題のない独自の意味であっても、一般閲覧者に、日本語としての意味があるものに対して「独自の意味を考慮して読め」というのは無理ではないでしょうか。--Y3006 2009年10月4日 (日) 14:14 (UTC)[返信]

コメント(依頼者コメント・インデント戻します)テンプレート内に表示される「出典」の文字が適切ではないと仮定しても、呼び出されたテンプレートを特定の記事の編集でコメントアウトすることがはたして正しい問題解決の手段とは言えない気がします。特定の記事だけが被依頼者の希望する状態になれば良いと考えているのでしょうか、それとも記事編集の妨害によって依頼者にテンプレートの改変をさせようとしたのでしょうか。私はテンプレート自体を編集するだけの知識も経験もありませんし、テンプレートが使用されている全ての記事に影響を与える行為であるため私だけの判断で編集して良いわけではないと思います。それとも被依頼者は、ウィキプロジェクト鉄道のノートへテンプレート仕様変更の提案を自分で提案せずに私に提案するよう強要しようとしたのでしょうか。今現在の宝ヶ池や出町柳駅の記事は被依頼者の交渉カードですか。私が当該記事をウォッチリストに含めず被依頼者の編集に何もしなかったら、他の記事は被依頼者の理想とする状態でなくても良かったのでしょうか。 また、被依頼者は私の利用者ページのノートで当初テンプレートの部分(つまりコモンズから呼び出された画像だけでなく、タイトルや「出典」部分まで含めた状態でコモンズに投稿せよとの要求を依頼者にしてきたように思いますが、このような形式でのアップロードはシステム的に不可能(コモンズの中で使用されるテンプレートはありますが、画像をテンプレートに呼び出した状態でウィキペデイアに表示させること?)で不適切な主張であると思うのですが、このあたりが何が言いたいのか全く理解できません。ただ単にコモンズの説明ページを見ずに適当にクレームをつけたのでしょうか。--Tawashi2006 2009年10月6日 (火) 15:25 (UTC)[返信]

コメント(被依頼者コメント)私が編集に最近かかわった駅記事や他の叡山電鉄の駅記事についてはチェックし、このような誤記がないことは確認しております。私もテンプレートの問題を修正する方法は存じませんし、本来の「出典」に値する記事が存在していても、それを判断できません。
明らかな誤用である2つの記事からだけ、テンプレート自体を修正せずに、誤記を消すには、コメントアウト、あるいは削除する以外に方法があるのでしょうか。
ところであなたは2つの記事にだけ「出典の明記」のテンプレートを貼り付けられ、どこが問題なのかを明記されないでいますが、ご自分ではどこが問題なのか把握されてらっしゃいますよね。また、少なくとも叡山電鉄の他の記事くらいは問題のないことをチェックされているんですよね。まさかご自分の編集がコメントアウトされた記事だけにとりあえず貼り付けた、ということはないですよね。--Y3006 2009年10月7日 (水) 07:45 (UTC)[返信]
コメント(依頼者コメント)たとえコメントアウトした時点で該当2記事にしか被依頼者の言う問題点を見いだせなかったとしても、以後の議論の中で他の記事にも共通するテンプレートの仕様であることは理解可能であるはずです。また、テンプレートの使用開始の前にウィキプロジェクト鉄道のノートで話し合われたこと、他にテンプレートが使われている約100件の記事の編集に影響を与えることは私が繰り返し指摘してきました。しかるに未だに当該2記事のみでコメントアウトをし、適切な場所で問題提起をしようとしない姿勢には(少なくとも現時点で)問題があると言えます。--Tawashi2006 2009年10月12日 (月) 10:20 (UTC)[返信]

コメント(依頼者コメント・別の視点からの主張)これまでの議論にたびたび登場する危惧される事態としての「丸写し」について、この場で議論されている方に見解の相違があると今後の議論に支障があると考え、どういった配線図が違法なものであるか具体的に確認する必要があると私依頼者は考えます。 つまり、「丸写し」という形で駅配線図の投稿が容易に行われるおそれがあるか、また駅構造などの鉄道に関する記述に必要とされる形で投稿されうる性質のものであるかについて考察することで、これまでの議論で危惧されてきた事態が極めて特殊な事例といえるか、あるいは容易に起こりうる可能性があるかについて検討しようと思います。

鉄道配線図そのものを取り扱った裁判は、私が判例データベースで調べたところでは発見できませんでした。従って、鉄道配線図に近いと思われる図に関係する過去の判例で示された裁判所の判断を引用して、不適切な丸写しについての私の解釈を述べてみたいと思います。 以下私のこの発言内の外部リンクは裁判所ウェブサイト]判例検索システム内判例データベースのPDFファイルにリンクしており、括弧内のページ名はPDFファイルでのページ数を指します)。

  • 観光案内図の例(東京高裁 平成11(ワ)13552 2001年(平成13年)1月23日判決
    • 裁判所の判断(p.7以降) - 「一般に、地図は、地形や土地の利用状況等を所定の記号等を用いて客観的に表現するものであって、個性的表現の余地が少なく、文学、音楽、造形美術上の著作に比して創作性を認め得る余地が少ないのが通例である。

それでも、記載すべき情報の取捨選択及びその表示の方法に関しては、地図作成者の個性、学識、経験、現地調査の程度等が重要な役割を果たし得るものであるから、なおそこに創作性が表われ得るものということができる。そして、地図の著作物性は、右記載すべき情報の取捨選択及びその表示の方法を総合して、判断すべきものである。(p.8)」 「そこで、原告著作物一に掲げられた地図について検討すると、例えば対 照表53頁記載の「竜源寺」の地図では、全体の構成は、現実の地形や建物の位置 関係がそのようになっている以上、これ以外の形にはなり得ないと考えられるが、 読者が最も関心があると思われる「近藤勇胸像」や「近藤勇と理心流の碑」等を、 実物に近い形にしながら適宜省略し、デフォルメした形で記載した点には創作性が 認められ、この点が同地図の本質的特徴をなしているから、著作物性を認めること ができる。(p.8)」

として、観光スポットを実物の特徴を捉えたイラストで地図上に表示した部分については著作物性を認定したが、

「他方、たとえば同56頁記載の「関田家及び大長寺周辺」の地図は、既存の地図を基に、史跡やバス停留所の名前を記入したという以外には、さしたる変容を加えていないので、特段の創作性は認められない。(p.8、9)」

と、単純な位置情報の部分については著作物性を認めていない。

  • 空港案内図の例

(第1審:東京地裁 平成16(ワ)10223 2005年(平成17年)5月12日判決

(第2審:知的財産高裁 平成17(ネ)10091 2006年(平成18年)5月31日判決

    • 第1審判決 裁判所の判断(p.13以降) -

「著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう(著作権法2条1項1号)。 本件で問題となっている空港案内図は、実際に存在する建築物の構造を描写の対象とするものである。 実際に存在する建築物の構造を描写の対象とする間取り図、案内図等の図面等であっても、採り上げる情報の選択や具体的な表現方法に作成者の個性が表れており、この点において作成者の思想又は感情が創作的に表現されている場合には、著作物に該当するということができる。  もっとも、空港案内図は、実際に存在する建築物である空港建物等を主な描写対象としているというだけでなく、空港利用者に対して実際に空港施設を利用する上で有用な情報を提供することを目的とするものであって、空港利用者の実用に供するという性質上、選択される情報の範囲が自ずと定まり、表現方法についても、機能性を重視して、客観的事実に忠実に、線引き、枠取り、文字やアイコンによる簡略化した施設名称の記載等の方法で作成されるのが一般的であるから、情報の取捨選択や表現方法の選択の幅は狭く、作成者の創作的な表現を付加する余地は少ないというべきである。」(p.14)

以降の部分で、著作権を侵害されたとする原告側空港案内図と訴えられた被告側空港案内図の比較における「著作権侵害の成否」の中で、双方の図の共通部分について類似性の検討が行われ、「空港案内図を作成する際の極めて一般的な手法」と判断した部分について原告の案内図の「創作的表現」つまり著作物性を否定しています(p.18、19、21)。

    • 第2審判決 裁判所の判断(p.20以降) - 「創作性が認められるといっても創作性の程度には高いものもあれば辛うじて著作権法上の保護を認め得る程度に低いものもある。そして、創作性は肯定し得るもののその程度が低いものは、創作性が高いものに比べて、著作権法上の保護の範囲も自ずと限界がある」(p.22)

こちらは控訴審判決における裁判所の判断の部分であり、第1審で著作権を侵害されたとされる案内図の著作物性についての第2審の判断です。

これらの判例から判断すると、鉄道記事の文章において線路網の構造を視覚的に補足説明する目的で掲載される鉄道配線図は、客観的事実に基づき忠実に鉄道の構造を表現しようとすると、おのずと図に掲載しようとする情報は限定的となり、一般的に使用されるような単純な図形を変形・回転・重ね合わせ・着色などして組み合わせたところで、(ウィキメディア財団の管理する各プロジェクトに投稿された鉄道配線図が、客観的事実のみを掲載し、かつ表現内容が図本来の主目的である鉄道構造の理解を助けるための表現に限定される限り)著作物性のある創作的な作品との評価を得られるとは到底考えられない。 従って、今回取り上げられている配線図に関して危惧される「丸写しによる図」とは、機械的な複写行為(スキャナー等を用いて元画像を読み取ることにより作成する行為)により作成された複製品(著作権法21条に規定された著作者の複製権を侵害する行為)ぐらいしかないと思われる。

以上が私の「不適切な丸写し」についての判断です。

以前にも述べた通り、機械的な複写を疑われたとしても、私依頼人の投稿した100%テキストからなるベクトル画像の場合、データ形式から判断すれば(常識的な判断ができる程度の知識がある)一般の閲覧者から紙に印刷された図書に掲載された画像から機械的複写により作成されたとの誤解を受ける可能性は極めて低い。また、そのような非常識な指摘を受けたとしても、正当性の立証は極めて簡単にできる。 つまり、被依頼者の危惧する閲覧者から「丸写しによる図」受ける誤解も極めて特殊な事例と予想され、またその様な事実関係を確認しない誤った主観による指摘があったとしても、違法性のない事を証明することが可能であり、被依頼者の指摘する「出典」という文字に捕らわれた根拠による依頼者の投稿した駅配線図を非表示にする理由には正当性が見いだせない。

以上が私の主張です。--Tawashi2006 2009年10月12日 (月) 10:20 (UTC)[返信]

コメントKs aka 98さんと同じ意見になると思いますが、commons:File:Rail Tracks map Eiden Takaragaike Station.svg(以下「本件画像」という。)に著作権法上の問題はなく、ウィキメディア・コモンズの方針に従ってアップロードされ、ウィキペディア日本語版の方針に従って記事「宝ヶ池駅」に表示されていたものと考えます。したがって、なぜ記事から除去されなければならないのか、現時点では理解できません。
本件画像について著作権法上の考察を加えると、次のようになります。
◆本件画像中の図形は著作物にあたらないと思います。その理由としては、鉄道における線路の繋がりやプラットホームなどの設備の位置関係をモデル化した図であり、配線図の本質部分(距離を無視して線路の分岐・交差・終端やプラットホーム・踏切等の各種設備との位置関係、つまりトポロジー)自体は客観的事実であり、本来著作権法の保護対象とはならない(Tawashi2006さん)がまさに妥当します。著作物ではない図形であれば、著作権法上何人も自由に利用できるわけですから、川島令三氏の書籍との関係でも著作権侵害となることはありません。なお、著作物ではない場合はcommons:Template:PD-ineligible系テンプレートを貼付すべきですが、著作物であるか否かは図形の作成者の主観的判断によらず決まるため、著作物ではないが、仮に著作物に該当する場合は著作権を放棄する趣旨により、commons:Template:PD-selfを貼付する運用は、コモンズで通常に採用されているようです。
ディフォルメの方法などを真似した、ととらえられかねません。ですから、著作権表示がおかしいのです。(Y3006さん)とのことですが、著作権法は表現を保護するものであるため、デフォルメの結果がありふれた表現にとどまるのであれば、著作権侵害の問題は生じないのです。◆とりあえず、私の意見は以上のとおりです。--ZCU 2009年10月13日 (火) 15:26 (UTC)[返信]

コメント(被依頼者コメント)何回読んでも「このテンプレートを使用すれば丸写しが仕掛け上不可能であり、著作権侵害にならない。判例にも出ている」ということと「著作権侵害と取られかねない=一般閲覧者に丸写しが行われているとの誤解を与えない」ということの関連性がわかりません。
一般閲覧者は画面に「表示されている」文字や図「のみ」を見ます。あなたは予備知識なしに単に図と書籍名が書いてあるのを見たときに、それが100%テキストからなるベクトル画像なのか判断できるのですか。またできたとしても独自作成であるものなのか、他から写したものなのか区別できるのですか。
「出典」では、図としての原典がそこにある「丸写し」ではないのかという懸念を持たれます。「参考(文献)」であれば、その文献を参考にして作った図と理解できますし、また、別に図の作成者の名が記事中に表れていれば、少なくとも丸写しでないことはわかります。
記事中の日本語の誤りや、誤解を招く表現は訂正しないといけません。「現実に行われている方法においては仕掛け上不可能だから間違った表記でかまわない」ということにはなりません。通常の文章や図の説明なら容易に修正できます。表現のまずさや統一性、送り仮名まで丁寧に修正してくださる方があり、大変ありがたく思っています。しかし、テンプレート内に入っているものは容易にはできませんから、一旦削除して修正、あるいは他の表記方法を求めるしかありません。--Y3006 2009年10月15日 (木) 14:59 (UTC)[返信]
コメント コメントさせていただきます。まず、当該駅記事に貼られていた、Tawashi2006氏が川島氏の著作物を参考に作成されたsvg画像に、著作権上の問題はないという認識に同意します。続いて、このコメント依頼中でY3006氏は、「出典」という言葉と「参考文献」という言葉が違うということを主張されているようなのですが、つまりそこが一番の問題の元なのではないかと思います。出典という言葉は、原典から直接書き写したようなもののみを指して、原典を参考に自分で執筆したものは参考文献という言葉で表すべきだという話ですよね? となると、宝ヶ池駅の記事のこの編集で「著作者表示・ライセンス表示のない図」と書き込んでいるのは、「出典と表示されていたから原本からの転載であると判断したが、その転載元が表記されていない」というような意味ではないかと思います。そうであるとするならば、テンプレートを改変して表示を「出典」から「参考文献」に書き換えるだけで、Y3006さんの仰る問題は解消すると考えてよろしいでしょうか?
ただ、実際問題として「出典」という言葉は、典拠から書き写したというだけの意味に留まらず、単なる「情報源」という意味で、ウィキペディア内に限らず広く一般社会で使われているように思われます。このテンプレートだけの問題ならともかく、他でも広く使われている「出典の明記」とか「要出典」とかまで修正する必要性が出てきかねない手間の掛かる問題のように思われ、そこまで厳格に追究していこうとすべきものなのかは疑問に思います。--Tam0031 2009年10月28日 (水) 16:20 (UTC)[返信]
コメント 被依頼者コメント。打ち切り提案もありますが、コメントをいただきましたので説明させていただきます。svg画像に、著作権上の問題はないという認識は問題ありません。「このディフォルメの方法はこの図の肝であり、ここが類似していることはこの図を複写したのと同じである」と著者に主張する権利はありますが、それで著作権違反うんぬんということはまずないと考えてよいと思います。ただ見た側に「出典」=「図そのものの原典がその書籍にある」=「複写した」と、捕らえられる可能性があります。
次に説明上逆になりますが、「実際問題として「出典」という言葉は・・・ウィキペディア内に限らず広く一般社会で使われているように思われます。」この認識が問題となります。ウィキペディア(編集者)内ではそれでいいのですが、一般社会=一般閲覧者となるとどうかということです。このあたりはウィキペディア自身の「出典」からリンクされている「参考文献」にも書いてあり、私はこの記述の考えを支持します。また「出典の明記」「要出典」は「要出典」タグをクリックした時に表示されるように、ここ(ウィキペディア)での意味ということで説明がなされています。
次にテンプレートの修正ですが、確かに全ての図をチェックしないといけません。単に「参考文献」に修正したのでは、本来の「出典」に属するもの(「昔のもので正式記録がない」「複雑すぎて書籍にたよらないと記述困難」や「〇〇氏による理想の配線」といったもの)が含まれていても改変されてしまいます。特に前2つは図の作成者のみが判断できる場合のある事柄です。「枠だけを残し、出典、参考文献などの文字は編集者が入れる」というのでは「出典」に戻す修正は可能ですが、手間は増えますし、問題点は同じです。
ですからこそ早くここを何とかして、「どうすればいいか」という次のステップに進みたいのですが、決着(合意に至らずでも可)がついていない状態ではどうしようもありません。しかも依頼者はそのことを「言葉にとらわれ」の一言で済ませて、全く論じようとせず、私の行為を問題にされているようなので、なおさらこちらからは動きににくくなっています。--Y3006 2009年10月30日 (金) 11:57 (UTC)[返信]

コメント(依頼者コメント・インデント戻します)図表の情報源を表示する際に「出典」という文字を用いることを示す参考文献が見つかりましたので、報告します。

中村健一『論文執筆ルールブック』、ISBN 4-88888-137-5、日本エディタースクール出版部 、1988年

この文献は慶應義塾大学日吉メディアセンターのスタディ・スキルズの「参考文献の書き方」で公開されているpdf文書 情報を正しく使う -引用と参考文献-の参考文献のリストにも記載のある文献ですので、信頼性のおける文献であると依頼者は考えます。 この『論文執筆ルールブック』の「14 図・表・写真で叙述を簡略化、(五)出典備考は緻密に」160頁において、図表注として図表を作成した際の情報源の表記方法について触れられていますのでご紹介します。 情報源を表す用語として「出典」、「出所」、「出処」のいずれかを用い、コロン「:」を用語の後ろに付けるか、用語の前後を亀甲括弧「〔 〕」でくくり、その後に情報源となる図書などを表記するよう書かれています。 まさに駅配線図テンプレートで「出典:」と表示していることが該当しています。 被依頼者の主張するような「出典」と記述することが「複写した」ことと取られるというのが世間一般の解釈なら、このような記述がされるとは到底思えませんが、私の解釈は間違っているでしょうか。 被依頼者には「出典」という表記が「複写した」と連想されると明記されている文献の呈示を求めたいと思います。ただ、私のこれまでの出典表記に関する解釈がウィキペディアだけの解釈であるという判断はできそうにありませんね。--Tawashi2006 2009年11月9日 (月) 14:32 (UTC)[返信]

コメント (被依頼者コメント)あなたが引用された部分しか見ていませんが「情報源を表す用語として・・」とあります。あなたがおっしゃるように配線図では、通常はこれが配線そのもの(トポロジー)の情報源ではありません。ちょっと例が異なるのではないでしょうか。また、配線そのもの情報源でないことは一般閲覧者にも容易に判断できますから、図そのものとしての情報源が示してあり「引用」に値するものではないかと誤解されかねないものであると考えられます。--Y3006 2009年11月11日 (水) 10:13 (UTC)(文頭の被依頼者コメントの部分を加筆--Y3006 2009年11月11日 (水) 11:03 (UTC)[返信]

当コメント依頼の終了と投票の提案[編集]

このコメント依頼を通じて、コメントを頂いた利用者の皆さんのご意見はおおよそわかりました。 被依頼者の反論も含めて考え、被依頼者の行動の問題点には以下のものがあると依頼者は考えます。

  1. 不可視となっている宝ヶ池駅・出町柳駅の配線図画像そのものには法的な問題が介在する可能性がなく、被依頼者の交渉カードとなっていること。
  2. 被依頼者が画像自体に問題がないことを認識していながら、テンプレート固有の仕様(「出典:」という文字が表示される)を理由に特定の記事の編集でテンプレートのエンドユーザである依頼者の編集を妨害していること。
  3. ウィキプロジェクト 鉄道の判断や日本語版ウィキペディアの基本方針やガイドラインに異議を唱えながらも、被依頼者自らしかるべき場所で改善提案を行わず、依頼者もしくは第三者に提案することを求めていること。

上記3点が、被依頼者の行動の問題点であるというのが依頼者である私の判断です。 そこで、各利用者からのコメントの依頼を終了して、 コミュニティの判断内容を確認するため当コメント依頼の目標である被依頼者の行為の是非についてWikipedia:投票の指針に従った投票を行い、まとめの節に進めていくことを提案します。 予定している投票の詳細は以下の通りです。

  • 投票内容と選択肢
    • 宝ヶ池駅ノート / 履歴 / ログ / リンク元および出町柳駅ノート / 履歴 / ログ / リンク元の記事(以下「該当記事」と略す)において、依頼者が投稿した駅配線図の編集には問題がないか。(問題はない / 問題がある / その他・コメント)
    • 該当記事の編集で、被依頼者がテンプレートの仕様を理由に駅配線図をコメントアウトしている行為は利用者として不適切か。(不適切な行為である / 妥当な行為である / その他・コメント)
    • ウィキプロジェクトの判断やウィキペディアの基本方針およびガイドラインに異を唱えながらも、しかるべき議論の場に自ら提案しようとしない被依頼者の姿勢には問題があるか。(問題がある / 問題はない / その他・コメント)
  • 投票資格
    • カウント対象 - この提案時点で編集回数50回以上のログインユーザのみ
    • 投票回数 - 1ユーザ1回限り、ただし、投票内容を変更する場合は取消線を用いて投票終了までに訂正されたものは有効とする。
  • 投票期間
    • 投票開始 - Wikipedia:投票/リストで告知を行ってから告知期間1週間経過後
    • 投票終了 - 投票開始より1週間後
    • 集計方法 - 有効カウントの過半数を以てこのコメント依頼の判断とします。

投票開始後は投票の質問内容は変更することができません。 投票内容や選択肢に疑問・意見などある方は、投票告知までにお願いします。--Tawashi2006 2009年10月25日 (日) 13:57 (UTC) 投票中止要請を受け入れ、投票提案を取消 --Tawashi2006 2009年11月5日 (木) 13:04 (UTC)[返信]

投票中止要請[編集]

ここは合意を見つけるための議論の場であって、投票の場ではありません。また、現状のように参加者が数人で、依頼者が参加者を増やす努力をなさってない状態では、その結果には何の意味もありません。私の行為に問題があるとお考えなら、次のステップに進まれてはいかがでしょうか。 これではいたずらに結論を延ばし、記事の編集を妨害しているだけです。--Y3006 2009年10月27日 (火) 11:50 (UTC)[返信]

被依頼者はこのページの主目的を理解していない様ですが、冒頭に明記されている通り、 当ページは被依頼者が宝ヶ池駅出町柳駅の記事で依頼者の投稿した出典表記(後に駅配線図テンプレート全体)をコメントアウトしている行為が利用者の行動として妥当かどうかを第三者にコメントして頂くためのページです。
途中の議論はどうであれ、最終的には被依頼者の行動の是非について全体をまとめてこのページを終了する必要があります。これまで見たところ、閲覧者による極めて特異な事例と考えられる誤解を回避する目的のために、依頼者が駅配線図テンプレートを使用しているという理由だけで何の問題もない依頼者の投稿した配線図の編集を妨害していることは明白であり、こういった被依頼者の行動は誤った問題解決のスタンスであるといわざるを得ません。誤解を受けないような編集を心掛けることはいいことですが、事実関係の正当な評価に伴わない誤解までしらみつぶしに考えて編集できる記事など万に一つもないはずです。また、そのような特殊な事態に対応する改善提案のために、他の利用者の編集を妨害する行為は行き過ぎた行動です。
以上のことから、他の利用者に理解不能な主張を繰り返す被依頼者に対して、合意点を導き出すために議論を続けることは困難であると考え、コメント頂いた皆さんの意見を投票という形で集約し、被依頼者に考え方を改めてもらおうというのが依頼者の意図するところです。被依頼者はコメントしていただいた方の数が少ないとの主張をしていますが、このコメント依頼ページを開始してから2ヶ月を経過しておりますし、当該記事で現在の状態をこれ以上続けることは適切ではないと考えます。
駅配線図テンプレートに変更を加える必要があるかどうかは、運用を開始するに当たって承認を得たウィキプロジャクト 鉄道のノートで議論すべき問題です。また、ウィキペディア日本語版における出典表記の仕方や出典・引用・参考文献などの用語の解釈・使用方法などについては、ウィキペディア日本語版全体の編集に影響する重要なことなので、Wikipedia‐ノート:検証可能性Wikipedia:井戸端で問題提起して下さい。
本来議論すべき場所がありながら、数多くの記事に共通する課題を個々の利用者ページや各記事のノートなど不特定の場所で少数の利用者間で議論することは、相異なる判断基準をコミュニティ各所に散在させる原因となり、多くの利用者を混乱させてしまいます。また、自分の意見が正しいと本気で考えているのなら、記事の編集を駆け引きの道具や交渉カードにする必要はないはずです。記事の編集を妨害することで自分の主張を他の利用者に提案させることは今すぐやめて下さい。
被依頼者に対する評価を行う投票である以上、被依頼者のみが投票中止を要請しても受け入れるつもりはありません。--Tawashi2006 2009年10月31日 (土) 10:00 (UTC)[返信]
コメント被依頼者コメント。投票を強行され、ここでの結論を先延ばしされる根拠となっている理由についてですが、認識の違いがあるようなので一つ付加えておきます。依頼者はなにか「テンプレートを使えば出筆者に責任はない」と、勘違いなさっているようです。いくらプロジェクトで承認を得たテンプレートでも、「それが正しいか」「使用すべき箇所か」「この場合に適切か」を判断して使用するのは記事の出筆者の責任です。
記事に問題があれば、第一の議論の場として出筆者のノートが選ばれるのは当然であり、そこが本来議論すべき場所です。ここに議論の場を移したのは依頼者自身です。--Y3006 2009年10月31日 (土) 22:06 (UTC)[返信]

コメント調査の為に投票することは止めるつもりはないですが、Wikipedia:投票の指針に書いてある通りです。

もし、調査投票で意見を押しつけようとするならば、「投票は害悪でばかげている」という厳しい反対意見がでることでしょう。そして、その投票は拘束力があるものと見なされないでしょう。

で、この後調査投票で意見を押しつけようとする方がおられるならば、その方の行為(調査投票で意見を押しつけ)については別のWikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメントの依頼対象になると存じます。--あら金 2009年10月31日 (土) 10:46 (UTC)[返信]

Wikipedia:投票の指針については事前に読んでおります。多数決の結果をもって意見を押しつけようというつもりはありません。被依頼者の意見がいかに他の方の意見と食い違いがあるか理解を促す根拠にしたいだけです。ウィキペディアが民主主義的でないことも、投票結果に拘束力がないことも十分存じ上げているつもりです。編集回数などの匿名で投票する以上、その気になれば不正な投票を行う可能性もゼロではないでしょう。ただ、現状をみるにコメントを寄せていただいたご意見に対して被依頼者が自己の行動を謙虚に省みずに主観に基づく主張を連呼しているように依頼者には見えたため、第三者の意見を集約したかっただけです。まだ今後も議論の余地があると第三者の皆さんが言われるのであれば、投票を強行するつもりはありません。ただ、被依頼者が同意していないからという理由で結論を出さず、延々と議論を続けることにならない保証があるのでしょうか。参加者が少ないとの指摘が被依頼者からありますが、何人以上なら納得するとかいう基準があるのでしょうか、問題は頭数ではなく意見の内容ではないかと思うのですが。コメントを寄せる方が少ないのは依頼者の責任との指摘が被依頼者から指摘がありますが、告知すべき所には既に告知を行っておりますし知的財産権などに詳しいZCUさんへのコメントの依頼も行いコメントを頂いております。これ以上どういった方の意見が必要なのでしょう、ただ単に人数が何人以上でしょうか。--Tawashi2006 2009年11月2日 (月) 11:38 (UTC)[返信]
「他の編集者が表記した出典をコメントアウトする行為について。」これだけで人が来るとお思いですか?。他の依頼者は具体的に事例を示されてますよ。--Y3006 2009年11月2日 (月) 13:31 (UTC)[返信]

駅記事の暫定対応[編集]

問題が発生した状態のままで記事を放置することは他の出筆者への悪影響もありますので、宝ヶ池駅の記事を暫定対応いたしました。対応の趣旨等は記事のノートを参照ください。お考え(依頼者に限定しません)をお願いいたします。問題がなければ出町柳駅の記事も同様の暫定対応をいたします。長引いてもいけませんので、出町柳駅についての可否のみ、この記述より1週間を目処とさせてください。--Y3006 2009年11月11日 (水) 11:17 (UTC)[返信]

暫定措置としてはこの形で異論ありません。--Tawashi2006 2009年11月12日 (木) 15:09 (UTC)[返信]