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Wikipedia‐ノート:特筆性 (人間国宝)

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提案者より[編集]

ガイドラインにすることを提案します。他の「草案」の審議過程を見ると文面を整備してからあらためてガイドライン化を提案するという手順をとっています。しかし、ご覧の通り簡単な内容なので、現時点でそのままガイドライン化することを提案します。

人間国宝である竹本駒之助の記事にTemplate:特筆性を貼ってあるのを見かけたので提案しました。人間国宝と言っても、歌舞伎役者のような知名度の高い分野だけではなく知名度の低い分野もあります。そこで、知名度の低い分野であっても人間国宝ならば特筆性があるとする規定です。法律上「人間国宝」という文言は使われていないようですが、法律上の正規の呼び方よりもこちらのほうが分かりやすいと思います。

Wikipedia:特筆性 (人物)の一部にあたる文書です。Wikipedia:特筆性 (人物)がガイドラインになる見込みは当分なさそうなので、簡単なものでもガイドラインを作っておいたほうがよいという趣旨で提案します。将来、Wikipedia:特筆性 (人物)がガイドラインになったときには統合を検討すればよいと思います。「ある」のところは最初「あるまたはあった」としてありました。これは、亡くなると重要無形文化財の各個認定が取り消されるからです。しかし、Wikipedia:独立記事作成の目安(Wikipedia:特筆性)には「特筆性は一時的なものではない」とあります。生前人間国宝であった人(例えば七世坂東三津五郎)は「またはあった」がなくても死後このルールに該当するので、除去しました。--Amanokongou会話2019年2月13日 (水) 15:21 (UTC)[返信]

議論[編集]

  • (「テスト投稿」との誤解について)あまりに簡単な内容なので「テスト投稿」と思って即時削除依頼をされた方がありました。しかし、テスト投稿ではありません。Wikipedia‐ノート:特筆性 (人物)を見ると色々と提案がされています。これを見ていると、草案にいくら文章を追加しても実効性のあるルールになるわけではなく、かえって、合意が取り付けにくくなるだけのように思います。そこで、シンプルなルールを提案したものです。よろしくご審議ください。--Amanokongou会話2019年2月13日 (水) 15:44 (UTC)[返信]
  • 上の文を書いている間に、切干大根さんからのコメントがあったので、お返事です。切干大根さんは、竹本駒之助の履歴をご覧になったのでしょうか。切干大根さんにこのルールは必要ないのでしょう。しかし、ウィキペディア日本語版の参加者全員が同じように考えているわけではないと思います。最初に竹本駒之助を見たときは唖然としました。もっとも「唖然としました」の中には竹本駒之助の記事があまりに貧弱なものであったことも含まれています。--Amanokongou会話) 2019年2月13日 (水) 15:44 (UTC)(切干大根さんからご意見があったのでセクションを分けました。+敬称漏れなどの修正です。--Amanokongou会話) 2019年2月13日 (水) 15:51 (UTC)、重複があったので整理します。--Amanokongou会話2019年2月13日 (水) 15:53 (UTC)[返信]
  • 質問 切干大根さん、Xx kyousuke xxさんに質問があります。それは、どのような経緯でお二人がこの文書の提案を知られたかということです。どういう趣旨でこの質問をしているかについては、後ほどご説明します。お答えになりたくないということでしたら、「答えたくない」とお書きいただくだけで結構です。--Amanokongou会話2019年2月15日 (金) 09:22 (UTC)[返信]
  • (反対)しかも、内容も一文のみでWikipedia:特筆性 (人物)で十分。--hyolee2/H.L.LEE 2019年2月15日 (金) 09:35 (UTC)[返信]
  • 反対 人間国宝の方であってもなかなか有意な言及が見当たらないといったケースはあると思いますので、多くの場合は特筆性はあると考えられるとはいえ必ずしもとは限らないのではないでしょうか。それにあるとすればそれはWikipedia:独立記事作成の目安を満たしているということですので、それを以て特筆性はありと判断して差し支えないと思います。--Miraburu会話 / 投稿記録 2019年2月15日 (金) 10:47 (UTC)[返信]
  • 反対 一文のみならば、Wikipedia:特筆性 (人物)に記載する様に提案すれば十分ではないでしょうか?この草案は必要ないと思います。--aki42006会話2019年2月15日 (金) 12:29 (UTC)[返信]
  • 反対 提案者さんは、特筆性と独立記事作成の目安、出典の明記などの関係をよく理解されていないようです。他の方が指摘している通り、人間国宝になるぐらいならちゃんと探せばWP:Nを満たすような有意な言及が見つかるはずで、それをきちんと情報源を示して加筆すればよいのです。特筆性が見込めると言っても、適切な情報源を欠くなどの場合や、十分に精査してもなお適切な情報源・言及がどうしても見当たらない(まあ調査不足と思いますが)とか、他記事にくっつけたほうが総合的に解説できるというような場合には、単独記事とせずに統合などの検討が行われる可能性はあります。--柒月例祭会話2019年2月15日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
  • 切干大根さんへ)ご返答を頂きありがとうございます。最初に、先日の質問の意図を書いておきます。
先日の質問の意図は、同じ記事や文書を編集していても利用者によってそこまでくる経緯などは違うということを指摘したかったのです。
私の場合、この文書を提案した直接のきっかけは最初に書いたように、竹本駒之助Template:特筆性が貼られていたことです。もう少しさかのぼると、娘義太夫関係の記事を眺めていてこの記事に行き着きました。提案の背景として、以前「特筆性」関連の文書を読んだことがあり、Wikipedia:特筆性関係の文書の整備が順調でないこと、そしてWikipedia:特筆性 (人物)が長い間草案のままで加筆だけが行われていることを知っていたということがあります。
竹本駒之助Template:特筆性を貼られた櫻木すばるさんは、何らかの方法で新着記事のチェックをしていてこの記事を見つけられたのでしょう。切干大根さんは今回の私の提案をきっかけに竹本駒之助の編集をされたのでしょう。櫻木すばるさんの編集履歴を見ると竹本駒之助の編集をする直前に、のうさぎゆんTemplate:特筆性を貼っておられます。しかし、同様の編集ばかりをしておられるわけではなく、通常はラジオ関係の記事を中心に編集をしておられるようです。
だらだらと書きましたが、何が言いたいかというと、ウィキペディアのルールは色々な編集者がいるということを前提に考えなければいけないだろうということです。切干大根さんの反対よりのコメントにしても、Xx kyousuke xxさんの反対意見にしても、この文書の内容が間違っているからということではありません。「人間国宝に特筆性があることは改めてルール化するまでもなく当たり前のことだからルール化しなくてもいい。」というご意見です。人間国宝についてある程度知識のある方ならそう考えられるのは当然でしょう。しかし、(おそらく)たまたま新着記事のメンテナンス作業をされた方が人間国宝について知っておられなくても不思議ではありません。実際、少なくとも1回はそういうことがあったわけなので、ルール化しておいてもよいと思うのですが、いかがでしょうか。--Amanokongou会話2019年2月17日 (日) 03:16 (UTC)[返信]

UTC)

  • (終了提案) Wikipedia‐ノート:削除の方針Wikipedia‐ノート:削除依頼Wikipedia‐ノート:特筆性 (ウェブ) Wikipedia‐ノート:特筆性 (書籍) Wikipedia‐ノート:特筆性 (人物) Wikipedia‐ノート:特筆性 (組織) Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安Wikipedia‐ノート:半保護の方針 などで幾度となく繰り返されてきた、LTA:SUZU、またはその模倣による、百科事典の質量の向上に何ら寄与することのない、議論のためだけの議論と同種の提案です。終了することを提案します。--Xx kyousuke xx会話2019年2月17日 (日) 03:42 (UTC)[返信]
  • 終了 終了提案に賛成。--切干大根会話2019年2月17日 (日) 03:48 (UTC)[返信]
  • (終了提案について)Miraburuさん以外の方は「人間国宝には特筆性がある」・「ガイドラインは必要ない」と考えておられるようです。そこで、別にガイドラインがなくても、今後、人間国宝の記事にTemplate:特筆性が貼られたときは、今回の議論を踏まえてTemplate:特筆性を除去できますし、新規作成する際に特筆性の問題を気にする必要もありません。ただ、Miraburuさんは「人間国宝の方であってもなかなか有意な言及が見当たらないといったケースはあると思いますので、多くの場合は特筆性はあると考えられるとはいえ必ずしもとは限らないのではないでしょうか。」と書いておられて「人間国宝には特筆性がある」という多くの方のご意見とは少し違うご意見のようです。よろしければ、議論を終了する前にそのあたりをもう少し詰めていただければと思います。--Amanokongou会話2019年2月17日 (日) 07:58 (UTC)[返信]
    • 特筆性の一般的な基準についての解釈の相違の問題ではないかと思います。私としては基本的には特筆性、すなわち記事を作成するに相応しい価値については「業績や知名度などを含めたその人物に関する要素がどれだけ社会的に注目され、それがそれだけ一定の信頼性がある外部ソース(論文とか書籍とか)できちんとした形で触れられたか」を基準にするべきと考えていますし、それ以外の業績/実績や知名度、人気などの人によって実感が異なるような曖昧な要素を基準として用いるのはナンセンスだというのが私の持論です。
    • これはWikipedia:独立記事作成の目安の基本的な指針に基づいた考え方だと考えていますが、とはいえこのガイドラインが正式にリリースされたのは2014年と割と最近であるということもあるため必ずしも私の考え方が全ての利用者さんに受け入れられているわけではありません(おそらくはむしろ少数だと思います)し、従来の百科事典観などに立脚して「人間国宝になったほどであれば書く価値は無条件に存在するはずだ」と考える方も多いでしょう(具体的にどなたが、ということではなく)。ですが従来の百科事典の在り方とウィキペディアの在り方は同じではないでしょうし、またウィキペディアは多くの匿名の方が共同で作っていくという性質上その「従来の百科事典の在り方」に立脚した考え方についてもまた曖昧で、人によって見解が異なる主観的なものにならざるを得ないでしょう。
    • その解決のための手段の一つとしては、編集者同士の話し合いによって分野ごとの独自の細かなラインを作るというのは平易な手法の一つですが、そうしたライン決めは多くの場合記事の対象ごとの個別の判断の柔軟性を奪いかねないという点や、時代の変化によってすぐにそのライン決めに対する判断は変わり得るという点、そして何よりそのラインはほとんどの場合運営系のページに携わる利用者さん達のみの感覚という、大部分の編集者・閲覧者さんにとってはおおよそ関わりの無い主観的な要素で決定されるラインであることから、私はこのような手法についてはあまり支持していません。--Miraburu会話 / 投稿記録 2019年2月17日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
  • コメント 「人間国宝はそれだけで特筆性があるのでTemplate:特筆性は貼るな」という点が明文化できれば良いんですが…--Takagu会話2019年2月17日 (日) 08:04 (UTC)[返信]
    • テンプレートの存在に気が付いた時点で剥がして、そのときの「編集内容の要約」に「Wikipedia‐ノート:特筆性 (人間国宝)での議論による」としてこのノートページへのリンクを書いておけばそれで済むように思います。(つまり、このノートページでの議論が実質的にガイドラインの役割をするだろうということです。)--Amanokongou会話2019年2月17日 (日) 08:30 (UTC)[返信]
    • Template:特筆性は、基本的にその記事の対象がWikipedia:独立記事作成の目安に基づいて特筆性があるということを示す資料の提示を求めるためのものですので、WP:GNGにおける有意な言及と判断できる情報源が不足している記事に対しては貼り付けることは問題ないのではないかと思います(WP:FAILN)。それはその記事の対象には必ずしも特筆性はないということを意味するものではないと考えます。--Miraburu会話 / 投稿記録 2019年2月17日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
  • 人間国宝については文化庁の頁からリンクをたどって各個人の情報を入手することができます。(竹本駒之助のページにある文化庁のページはここだと思う。)ただし、本名・芸名(分野が芸名の場合)等の簡単な情報だけで、物故者の情報はありません。特筆性以前に記事そのものが存在しない人間国宝も結構多いようなので、よろしければご作成ください。--Amanokongou会話2019年2月17日 (日) 08:30 (UTC)[返信]
  • コメント そもそも「特筆性」とは「独立記事作成の目安」を言い換えた、いわばWikipedia用語であり、その定義はjawp内部に求めるしかないのですが、方針上は「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、その話題はウィキペディアの独立記事として作成、収録するだけの価値があると推定されます。」とあるように、厳密に線引きできるような定義は見当たりません。すなわち、「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合」は特筆性を有すると推定できるものの、逆に有意な言及がないものについての特筆性を否定しているわけではありません。もちろん、その場合は他の方針により削除、あるいは編集除去の対象となるのでしょうが、少なくとも方針で記事対象の特筆性自体を否定しているわけではありません。方針・ガイドラインがそういう仕立てになっている以上、集合知により質量共に世界最大の百科事典を制作するという我々の本来の目的を考えたとき、一定の利用者同士が共有できる「感覚(あるいは、見識、あるいは教養)」のようなものが必要であると思料するわけですが、ここで国内に100名〜200名程度の人間国宝に特筆性がないと考える方は、他の利用者との共同作業は非常に困難でしょうし、それを際限なく新たな規定を設けるというアプローチで解決しようとした場合、コミュニティとの軋轢は必至でしょうね。--Xx kyousuke xx会話2019年2月17日 (日) 11:34 (UTC)[返信]
    • (私へのことかは分かりませんが…)このガイドラインについては、反対解釈を要するケースということになるのではないでしょうか。「ウィキペディアに記事を作成する場合、取り扱う対象には、百科事典の記事として言及するにふさわしい価値が必要になる」という前提があるからこその規定なのだと解釈しています。また、見識や教養はある程度の範囲では通用するとは思いますが、一方で誰もが必ずしもそれを共有できるわけではないということにも考慮して頂ければと思います。属性や思想などを問わず誰もが閲覧し編集に参加できるというウィキペディアの理念を考えると、完全に無くすというのは困難にしても、ある程度は属性や思想に関わりなく誰もが共有できるような規準軸での運用を求めることも必要ではないでしょうか。とはいえいずれにせよあくまで私個人の意見ですのでどなたにも受け入れて頂けるというわけではないでしょうし、人間国宝の方などの記事について対象に特筆性があるということを示す資料が不足していると考えていたとしても、それを実際にタグ貼りなどの行動として移すという意思は私はありません(これは私へのコメントではないかもしれませんが、規定については私はむしろ減らす方向を望んでいます)。--Miraburu会話 / 投稿記録 2019年2月17日 (日) 12:12 (UTC)[返信]

却下された草案[編集]

「却下された草案」に移行しました。削除依頼の是非はお任せします。--伏儀会話2020年7月9日 (木) 12:33 (UTC)[返信]