Wikipedia‐ノート:合意形成/過去ログ1

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論争の解決との関係[編集]

Wikipedia:論争の解決との関係をどう考えるかについては、いくつかの選択肢があると思います。

  1. 両者を競合する案と捉えて、どちらか一つを採用する。
  2. Wikipedia:論争の解決を紛争解決の枠組、こちらをルール形成の枠組という風に役割分担をさせて両立させる。
  3. こちらを合意形成に関する一般法、Wikipedia:論争の解決を紛争解決にのみ適用される特別法と捉えて、後者が適用される場合には前者は補充的にしか適用されないが、それ以外の場合にはすべて前者が適用される、という形で両立させる。

私自身としては、最後の選択肢がよいと考えます。T. Nakamura 13:12 2004年2月26日 (UTC)


1~3は同じ内容です。

  1. 両者を競合する案と捉えて、どちらか一つを採用する。
  2. Wikipedia:論争の解決を紛争解決の枠組、こちらをルール形成の枠組という風に役割分担をさせて両立させる。
  3. こちらを合意形成に関する一般法、Wikipedia:論争の解決を紛争解決にのみ適用される特別法と捉えて、後者が適用される場合には前者は補充的にしか適用されないが、それ以外の場合にはすべて前者が適用される、という形で両立させる。
  4. Wikipedia:合意形成を合意形成に関する一般法、Wikipedia:論争の解決を紛争解決にのみ適用される時限的な特別法と捉え、合意に至る過程で紛争が起きたと認定または宣言された場合は紛争の部分にのみ後者が適用され、前者は補充的に適用する。紛争の過程であってもそれ以外の部分はすべて前者が適用される、という形で前者を優先させる。

私自身としては、最後の選択肢に加えて、Wikipedia:合意形成の一つ前段階にWikipedia:中立的な観点が存在すると感じてますが、一般法の前の用語が分からないので上のような表現をしました。 赤鉛筆 17:20 2004年2月26日 (UTC)


Wikipedia:合意形成の冒頭に書かれている「コンセンサス」の意味が多様に用いられていて曖昧な印象を受けます。全会一致方式ではマズいでしょうか。

本文中でも触れていますが、「コンセンサス方式」は「全会一致」の一種ということで、「全会一致」のほうを上位概念(Oberbegriff)として用いています。全会一致の方式には、拍手方式、稟議書方式等いろいろあるでしょうが、コンセンサス方式はその一種で、国際組織等で用いられているものです。別に何かを訳して作成したわけではありませんが、例えばドイツ語でも、EinstimmigkeitとKonsensは一応別の言葉です。もちろん、気に入らないようであれば、改稿してくださって構いません。T. Nakamura 16:45 2004年2月27日 (UTC)

上記の点、僕も基本的に最後の選択肢がよいように思いました。ただ、紛争解決の枠組み自体については、どうも手放しで賛成という感じではないのですが、自分が何に不満なのかもよくわかりません。

英語版のメーリングリストを見ると、いわゆる「荒らし」や「釣り師」、管理者の権限濫用、中立性を欠いた編集を繰り返すユーザなど、ユーザ関連の問題の議論が半分ぐらいを占めている気がします。こういう件が出てくれば、デュープロセスにしたがって対処するというのはまっとうな解決方法のようにも思いますし、紛争処理枠組みはそういうもののようなので、問題がないような気もするのですが。

それとは別件ですが、合意形成についてこれまでに考えたことなどがいろいろあるので書いておきます。順不同です。

このWikipedia:合意形成のページは、何かのポリシーやガイドラインを規定するものではなく、ウィキペディアに存在している慣行を説明するもの、ということのようですが、以下に書く内容は、「ルール化しようとすると何を考えるべきか」という点からの感想も含んでいます。(ので多少場違いな感じもあります。)

1)合意形成や投票に関して一般的に言える点ですが、ウィキペディアは文字通り誰にでも開かれていますので、コンセンサスや多数決が何を反映するべきなのかを考えることが重要だと思います。

ノート:陰核でかつて出た話ですが、議論に参加している当事者の大方が画像の削除に賛成していましたが、画像の削除に反対するユーザからは、数を理由に決定するということであれば2ちゃんねるででも呼びかけて大量に自分の支持者を集めて発言してもらう、という意見が出ました。

このような可能性を消去する方法は、投票できる「有権者」を、一定の期間参加した人などに限ることです。(Wikipedia:管理者の辞任などで議論されている通り。)つまり、オープンさを犠牲にすることです。ウィキペディアは誰でも参加できるオープンさと、常連ユーザのコミュニティとどちらが欠けてもうまく行かないようなところがあるようなので、バランスのとり方が難しいところだと思います。

2)ある種の議題は、決定・実施されるとやり直しが効きにくいです。たいていのポリシー、ガイドラインは何度でも改訂ができますが、記事名のつけ方や、名前空間の用語選択、表記の原則などを大きく変更すると、数百とか数千ページのオーダーで影響が出ることがあるので、やや慎重な議論が必要になるかと思います。また、そういう話題ほど、広く一般の参加を呼びかけておくことが重要だろうとも。

3)ある種のポリシーの実施・執行は、多くの人の協力・理解が必要になります。広い合意をとりつけないと、ルールが作成されても誰も守らないので意味がないだろうと思います。そういう話題については、時間をかけてでも、多くの人の参加や閲覧を経て決定されることが重要だろうと思います。

4)日本語版では、かなり昔から、英語版からルールをとってきて、とりあえずそれを採用してみる、という習慣があります。これまでのところそれに目立った反論などはなかったような気がしますが。(Wikipedia‐ノート:言葉を濁さないみたいに議論になったものもありますが)また、何かをきっかけに、特に目立った話し合いもなくポリシーやガイドライン系のページが作成され、特に反論が出ないような場合もあります。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすとか。

そこで、ある程度の条件を満たしている、無難なものについては事前の合意形成を経なくてもよいのではないかと思います。条件として思いつくのは、以下のようなものでしょうか。

  • 従来からあるポリシーやガイドラインと矛盾しない
  • 相当の支持者がいると考えられる
  • 正反対の立場をとる人はいないか、ごく少数だと考えられる
  • 内容の変更・修正が可能
  • ウィキペディアへの影響が大きくないし、不可逆的でもない。

とりあえずそうしたポリシーやガイドラインのページが作成され、試験的に運用されるのは構わないのではないかという気がします。(問題があれば修正するなり、廃止するなりすればよい。)

5)上記の点と関係しますが、多くの議論を経ているもの、多くの人によって遵守されているものほどポリシーやガイドラインは変更に慎重であるべきで、逆に余り議論されたことがないままに存在しているものや、守っている人もそうでない人もいるといった程度のものであれば、そのような現状に合わせてポリシーやガイドラインの方を変更することを考えてもいいと思います。

例えば、英語版から輸入されてそのまま定着したものは、定着しているならそれでよいですし、定着していないなら再考すべき、と。

言い換えると、合意形成についての何らかの正式な手続き(は今のところ提案されていないですが)を踏まずに存在するに至ったものでも、定着の実態に応じて正統なものと認めていいのではないかというような気もします。

7)一般論として、一旦合意が形成されたものであっても、変更を提案したり、反論したりしても構わないのではないかと思います。以下のようなケースが思い当たります。

  • 議論がしっかり行われていなかったので、これまで考慮されなかった点を考慮することで異なる結論になる。
  • 技術的な条件、関連法、などなどの変化に対応して変更が必要/妥当/可能。
  • 決定は最終的にはユーザの好みに委ねられるものなので、ユーザ層が変動するにつれて決定された点について変更することにも意義がある。

逆に言えば、しっかり議論され、論点が出尽くしたものほど、議論を繰り返す理由に乏しい、ということが言えるかと思います。

8)「Wikipedia:重要な議題リスト」というのがあるとよさそうです。「最近更新したページ」の全リストを追いかけているのは、1日に2度以上アクセスする一部の利用者だけでしょうし。議論をしているページと、議題や争点の要点、などを誰でもリストできるような場所です。井戸端BBSをそのように使ってもよいと思うのですが、またたびたびそのように使われて来ましたが、簡単にリストの加除ができるウィキペディア内のページとしてあってもいいかと思いました。

本当に思いつくままですが、以上です。 Tomos 17:38 2004年2月26日 (UTC)

長文のコメントをどうもありがとうございました。

基本的にはこれまでの慣習を明文化することに主眼が注がれていますが、明文化の過程でこれまで不明確であったものを明確にすることが伴います。例えば、コンセンサス成立までの時間的要件を明確にしたほうがよいと考え、この旨の提案を本文中でしています。

個別的な論点については、気づいた点をコメントします。

  • 一点目。なるほど。多数決方式を採用していくのであれば、ある程度オープンさを犠牲にしていかなければならないわけですね。バランスの問題は難しい問題ですが、私としては、オープンさを犠牲としてしまう多数決方式をなるべく避け、ウィキペディアのオープンさを確保できるコンセンサス方式を多用するほうがよいように思います。
  • 二点目と三点目については、その通りだと思います。周知を図る方法をもっと工夫しないといけませんね。著作権などは井戸端に出しましたが、思ったほどの効果はなかったようです。今回は、メインページからのリンクにより周知を図り、割と効果はあったようですが、草案段階でメインページからリンクが張られることには問題があると考える方もいらっしゃいましたし。八点目のWikipedia:重要な議題のリストはよいと思いますので、とりあえず作成してみます。
  • 四点目と五点目について。要するに、ルール自体が正当な手続を経ていなくても(典型的には、翻訳したルール)、慣習法の成立を認めて正統化しようということだと思います。普通、慣習法の成立には、(a) 実際にそれが慣行として確立していることと、(b) 人々がそれは正しいことだと認識していることの二点が要求されますから、ウィキペディアでも、実際にそれが慣行として守られていて、かつ、全員がそのルールを前提として議論を進めているような場合には、それを認めてよいように思います。その場合には、七点目に掲げられたような特別な理由がない限り、改正はできないということになるでしょうか。

紛争解決枠組については、これから議論して練っていけばよいと思います。

T. Nakamura 16:45 2004年2月27日 (UTC)

投票の資格[編集]

コンセンサスか投票か、の二択とは別に、投票に参加できる人の要件がどこにも明示されていないように思います。これを明確にし、投票はログインユーザのみとし、必ず日時を記載して著名する(チルダ4つ ~~~~で署名するという意味です)ことで合意を形成できないかと考えています。いかがでしょうか。 関連する話題

みなさまのお考えをお待ちします。KIZU 2004年6月28日 (月) 06:01 (UTC)

同感です。細部については議論が必要でしょうが、まずはログインユーザーのみとする、という点での合意は得たほうがよいと思います。尚、この合意以降に必要となると思うので、以前提案したものへのリンク [1]を張っておきます。--Suisui 2004年6月28日 (月) 19:11 (UTC)
投票にもいろいろなものがあるので、一概にログインユーザのみとする必要はないと思いますが、特に明記がない場合にはそのように扱う、という原則レベルではそれでもいいかと思います。IPからであれ、ユーザアカウントからであれ、署名はあった方がいいと思いますが、これも何かの理由でその必要がないと合意が形成できるような案件があるならそれでいいでしょう。
ほとんどの投票は、ウィキペディアのサイトの運営方針に関わるものという意味合いが強いのでサイトに継続して関わっている人が投票するのがいい、ということになるのだと思います。ですが、何かの理由(読みやすさの工夫とか)で編集には参加していない読者からも広く意見を募りたい、というようなこともあるかも知れません。それから、特定のウィキプロジェクトにIPから参加している人がいて、その人の票も他の人の票と同じ重みを持つべき、というような状況もあるかも知れませんし。Tomos 2004年6月29日 (火) 19:31 (UTC)
お二人ともご意見有難うございます。
  • 署名の「必要がない」投票で、どのように票を数えるのでしょうか? 集計の簡便さからいっても署名は必要なように思います。「日時の記入を必ずしも要さない」という意味でしたら、異論はありません。
  • 編集には参加していない読者からも広く意見を募りたい」ということは十分ありえます。ですがそのことと匿名性の認容とは別の問題かと思います。ここではログインユーザによる署名ひとつを一票とすることを想定しており、案件によっては、アカウントをもっているがまったく編集には参加していない読者からの投票を認めても構わない場合があると考えます。
  • 投票にもいろいろなものがある、というのはそのとおりですね。ですがあえて私見をいえば、サイトの運営方針に関わることについて匿名での議決権を認めるというのは、なにかがねじれているように思います。ただ、何かの理由で投票の提案者が匿名での投票を希望する場合に、それを認めてよい場合もあるかとは思います。
そこで提案ですが、
「ウィキペディアン全員に周知する目的を果たし得る適切な告示ページを定め、そこで告知される投票に関しては原則の遵守を要求するとともに、形成された合意はコミュニティ全体に対して拘束力をもつと認める」
のではいかがでしょうか。運営の分かりやすさからいえば、明快な原則を立て、かつあまりに多くの例外を設けずに運用することがよいと考えます。この形式の中での例外を認めないのはそのためです。一方でウィキプロジェクト内での取り決めなどは、相当の自治を認めるほうが作業を益することが予想されますので、そうしたある種うちうちのものは、必ずしも原則に囚われず柔軟な運用を許したほうがよい(しかしそのような合意は日本語版コミュニティ全体に対する強制力を持たないものとする)ように思います。KIZU 2004年6月29日 (火) 22:03 (UTC)
原則署名があった方がよいというのはその通りだと思います。ただ、善意の失敗と思われるものをどう扱うか、みたいな問題でしょうか。余り重要でないかも知れませんが。
たとえばあるIPの方が署名をせずに賛成意見とコメントなどを表明したとして、何故か誰も指摘しなかったとか、指摘があったがしばらくそのIPは活動していなかったとかいう場合に、集計段階になってそれを切り捨てるべきか、ということを考えると、そういうのは投票に関与している人が自由に決めれてもよく、ルールなので署名がなければ無効、としなくてもいいかな、と思います。まあこういう柔軟性もウィキが大きくなるにつれて保てなくなりそうな気もしますが。。
運営方針についての問題は、ほかの面ではログインユーザと変わるところがない固定IPユーザをどう扱うかがむしろ難しい問題だと思います。例えば、投票の時になってにわかに登録してもらって、固定IPの利用者ページと、登録した利用者ページと双方からお互いに「あれは自分のIPだ」「あれは自分の登録利用者名だ」という風なことを明言してもらったらそれで、それまでの固定IPからの活動をカウントしてよい、みたいな工夫を導入するのはどうでしょうか。Tomos 2004年6月30日 (水) 02:01 (UTC)

KIZUです。インデント戻します。
「善意の失敗」についてですが、これは公平を期するなら、無効票とせざるをえないかと思います。 上の素案では、投票はそもそも署名によって行われるので、日時の付記を義務付ける場合以外には無効票は出ないように思いますが、これについては投票期限中に再投票を許すことである程度救済できるかと思います。いかがでしょうか。 私事ですが、fr の comite du pilotage で先日、一件日付を入れ忘れて投票したところ、#fr.wikipedia では「それは無効になるから再投票しろ」という旨、みなさんからご教示を受けました。無効票を見つけた場合に、コミュニティの他の成員が注意を喚起するというのも大事かなと思いますが、後者は文書で奨励するにはなじまないようにも思います。

運営に関する投票についてですが、Wikipedia‐ノート:管理者への立候補では活動期間を投票に参加する要件に入れる案が支持を集めているようですね。個人的には、制度の運用のしやすさと透明性から、Tomos さんが提案されているような救助策には基本的には賛成いたしません。特定の IP アドレスから複数人による投稿がある場合もままありますし、同一性の判定は難しい問題をはらむため、同一性が確証されない参加者が出てくるおそれもあるかと思います。それにどのような措置をとっても救済されない参加者が出てくる危惧は残ると思います。

そのような制限が必要な場合には、むしろ以下の救済措置のほうが有効ではないかと考えています。

  1. 周知期間を兼ねた一定の移行期間を設けて、その間は活動期間による制限を行わない(併せてアカウント取得を呼びかける)
  2. 周知期間を設け、その間は、そのような制限を必要とする重大な意思決定を行わない。

不正投票を防ぐ、という目的からいけば、2.のほうが現実的な案でしょうか。

なお、お返事は、コンセンサスによる意思決定と投票による意思決定の話が混交しているように思いました。まず、投票を「原則ログインユーザによる記名投票」とした時点で、Tomosさんの表明されている 「あるIPの方が署名をせずに賛成意見とコメントなどを表明した」は投票の場合、そもそも発生しにくい事例のように思います。あるいはTomosさんは「賛成」と書くことを、「投票」の定義のうちに含めておられるのかもしれませんが、上記素案ではそれは投票の定義から外れますので、たんなるコメントとして処理されます。 そして投票に際してコメントを許すかどうかは、さしあたり今は我々の問題ではないと理解しています。


投票について:KIZUによる素案 7月1日投稿[編集]

さて「原則としてログインユーザによる記名」という点では収束し、細部に議題が移っているように思いましたので、この点について合意をとりまとめるべく、下記に素案を提示します。宜しくご審議の程お願いします。

議論に参加しているのがいまのところ、数名のみのため断言は出来ないものの、 投票を「原則としてログインユーザによる記名投票」と定義することでは、合意がほぼ形成されているように見えます。 他にもいろいろな点が指摘されていますが、それについてはログインユーザによる記名投票を原則とするかどうかに合意を見たうえで検討するほうがよいように思います(これらについては上で言及しています)。

記名投票について、Tomosさんからご指摘いただいた点を反映させて素案を作ってみました。 これをご検討いただき、コンセンサス方式により合意を形成したいと思います。 一応の目安として、7月9日0:00(日本時間)までを討議期間として設定し、この間に合意が形成されない ようなら自動的に期間を延長したいと思います。

ここから


素案

*投票は~~~により、投票欄に記名することによって行う。
*日時の明記が必要なとき(=~~~~による署名が要求されるとき)は別途これを明記する。
*原則として、ログインユーザによる投票のみを有効票として取り扱う。
**ただし特に定めた場合にIPユーザの投票も有効とみなすことを妨げない。
*投票案件の性質に応じて、投票者に必要な要件を、上記に加えて設定することができる。

投票例1

[[Category:何々]]の表記を[[カテゴリ:何々]]に変更する
*賛成:だれか、
*反対:だれそれ
*保留:かれか、なにがし
----
*その他コメント

投票例2

[[Wikipedia:メインページ]]の改定について
*案Aを採用: だれか、かれか、なにがし
*案Bを採用: これか、だれそれ
*現状維持:  
----
*その他コメント



ここまで

現在のところでは、個別の投票それぞれにおいて、期間・有権者・決定の要件を定めるようになっていますし、また現在のところ日本語版で厳密な意味での投票は1度しか行われておりません。したがって、この点だけを先行して決定することに特に実害はないものと思います。 なにか見落としている点があればご指摘をお願いします。KIZU 2004年6月30日 (水) 15:20 (UTC)

7月1日素案についての議論[編集]

残念、MLに出してからこちらに気がつきました。ML向きの編集をしてしまったのと、Tomosさんとの議論にも触れてありませんので、今は再投稿無しということで失礼します。sphl 2004年6月30日 (水) 16:46 (UTC)
KIZUです、おはようございます。こちらに投稿したことをMLにも告知すればよかったですね。申し訳ありません。sphlさんの WikiJA-l への
  • From: Sphl <sphl@...>
  • Message-Id: <429447297120040701005912sphl (at) pan (dot) tok2 (dot) com>
拝読しました。早いリプライをありがとうございます。
投票に伴う議論などの論点は上で別途ご指摘いただければ幸いです。もうひとつご指摘いただいた「決定のための得票率(あるいは投票数)」の問題、基本的に賛成です。ですが、こちらは以下の三つの理由から、このノートページではなく場所を移してMLおよびWikipedia‐ノート:投票の指針に議論を続けたいと思います:
  • 得票率の問題は投票にのみ問題になることであり、合意形成全体を扱うこのページより、投票についての処理を問題にするWikipedia:投票の指針により密接に連関する。おそらくWikipedia:投票の指針の書き換えも必要となるため、そちらのノートページのほうが適切と思われる。
  • 誰を有権者とするかというここでの議論と、案が可決されるために必要な得票率の問題は切り離し可能である。
  • 上に挙げた、「原則としてログインユーザのみに投票を許可する」ことの可否と、それに付随する問題についての議論はこの先長くなることが予想される。他の問題をこれと早期に切り離することで、議論の可読性を上げることが期待される。
引き続きWikipedia‐ノート:投票の指針での議論にもご参加いただければ幸いです。KIZU 2004年7月1日 (木) 00:14 (UTC)

(下にあったものをKIZUが移動しました)

確認ですが、今回の合意の対象は、
合意形成の手段の一つとして投票を選択した際、その投票資格はIDユーザーに限る。ただしこのルールは柔軟に適用され場合によってはIPユーザーの投票を認める。なお一人一票の原則を適用するための細かい投票資格についてはまだ検討中のため、今回の合意の対象とはしない。
という理解でよいのでしょうか? 最近流れを把握していないもので。tanuki_Z 2004年7月8日 (木) 13:07 (UTC)
はい。提案の骨子はそこにあります。上記をごらんください。

--KIZU 2004年7月8日 (木) 13:25 (UTC)

ログインしての投票を基本条件にすることには反対。IPも条件によっては許可となっていますが、そもそも制限する理由がありません。さんぽ (ノート) 2004年7月8日 (木) 14:49 (UTC)

追記。非ログインを制限したいという理由は組織票による投票結果の操作が可能になる点と理解します。確かに、可変アドレスを採用するISPのユーザであったりモバイル環境を併用するなどして複数のアドレスから投票を行うことは可能になります。ただ、実際これで疑われずに結果を操作するのは非常に困難でしょう。可変アドレスであってもIPアドレスのパターンから不正大量投票はすぐに目に付きますし、他環境を併用しても多くの場合高々自宅・職場・モバイル程度しか使用できるものではありません。まして、余所の掲示板で賛同者を募るなどと言う方法では誰にも明らかな形で不正の証拠が残ってしまいます。不正がわかる以上は個別対応が可能ですから、そのような状況に陥らない限りは、最初からログインユーザー限定するのは必然性が薄い、と考える次第です。さんぽ (ノート) 2004年7月8日 (木) 16:12 (UTC)
全員一致なら関係ないでしょうが、投票では票数が問題になるので、一人で何回でも投票できるような仕組は問題あると考えます。殊にIPだと「投稿ブロック」で問題になっているように、ログインする度にIPが異るような場合もありうるので一人で組織票が動員でき、これは如何にもマズイかと考えます。(尤もアカウントを沢山取ればログインユーザでもできますが)martin 2004年7月8日 (木) 15:21 (UTC)
順番が前後してしまいましたが、上に追記として組織票動員についての見解を述べましたのでそちらもご参照ください。さんぽ (ノート) 2004年7月8日 (木) 16:21 (UTC)
理由がないと切り捨てると言うことは上に残っている議論およびMLでの議論は全く無駄だったのでしょうか。すでに何度も理由が示されているので反論するなら論理的に反論していただきたいと思います。Tietew [Talk] 2004年7月8日 (木) 15:33 (UTC)
ご気分を損ねたならお詫びします。これまでの議論をある程度読み返した上での意見を追記として付加しましたが、これで反論になっていますでしょうか。さんぽ (ノート) 2004年7月8日 (木) 16:21 (UTC)
まず初めに。相手の論証を論駁することなく「理由がない」と切り捨てることは、議論の上で誠実さに著しく欠ける行いであると私個人は考えます。すでに謝罪されているようにも見えますが、それを個々人の気分の問題に帰着させる姿勢自体に、残念ながら実存的な疑いを深めざるを得ませんでした。次に「反論になっているか」ですが、複数上げられた論点を一つに帰着させる乱暴さにも不安を持ちました。次にさんぽ氏の縮約では、1.本ノートページ上で言及されている「言説の帰着先としての(記名された)個と発言/意見表明における帰責性の交互性」、および2.MLでTietew氏によって指摘されている「IPアドレスは機械に振られるのであって、(コミュニティの構成単位とみなされるところの)自然人に一対一対応するものではなく、IPアドレスを個体として扱うことは原理的に不可能であり、また不公正を惹起するおそれがある」という論点が見落とされています。これらの見地が「理由がない」と切り捨てられうるほど著しく合理性を欠くとは私は考えません。それを理由がないと言い切る論拠の提出をさんぽ氏にはお示しいただきたく思います。--KIZU 2004年7月10日 (土) 16:50 (UTC)
不公正を惹起するおそれについては、すでに申し上げた通り、確かに厳密性の確保は難しいともいます。ただ、私の主張しているのは不正はできたとしても大規模なものは困難であり、その程度を排除するためにリベラリティを代償にするのはあまりにも過剰な反応ではないかという点です。そもそも、ログインユーザーに制限したとしても、一人一票の強制力という点では十分ではないでしょう?さんぽ (ノート) 2004年7月11日 (日) 13:29 (UTC)
ご指摘ですが、1.過剰とは考えておりません。2.一人一票に近づけるために他の条件を附加することがMLですでに検討され始めていますので、そちらをご覧下さい。私が挙げた論点1.に対してご返答いただけていないように思いますが、それは読み方の問題でしょうか。ここが対応しているというご教示をいただければ幸いです。KIZU 2004年7月12日 (月) 09:43 (UTC)
それではMLも参照することにして。論点1ですが、用語が難解すぎて何をおっしゃろうとしているのかがよく理解できません。帰着先?帰責性?交互性? 平易な表現で再度お願いします。さんぽ (ノート) 2004年7月12日 (月) 16:36 (UTC)
「MLは多すぎて読めない」とおっしゃっていたことが念頭にあったので、圧縮を心がけましたが却って読みづらかったようで失礼しました。すでに各所に書いたことの表現を変えただけですので、勝手ながら本ノートおよびMLをお読みいただきたくようお願いします。KIZU 2004年7月12日 (月) 16:54 (UTC)

このページでの議論を読んで考えたことをMLに投稿しました。(ここに投稿するにはちょっと長いかと思ったので)[2]Tomos 2004年7月11日 (日) 07:31 (UTC)

TomosさんのMLを拝見しました。どうもTomosさんはIPユーザーを擁護したいとお考えのようですが…私は一定期間IPユーザーとして投稿してきた経歴がありますが、ハンドルを獲得してこなかった理由として一つはWikipediaに対する信頼感がなかったこと、二つは自分の投稿に対して自信がなかったことです。そのような状況だったのでコミュニティーとしてのWikpediaはいわば傍観者でした。しかしWikipediaを信頼するにつれ、ハンドルを取得してコミュニティーに参加したいと思ってきました。IPユーザーの方全てがこのような考えをお持ちだとは思いませんが、投票というWikipediaの未来を決定する手段において、匿名に近いIPでの投票は「無責任」とも受け取れます。KIZUさん達のようにハンドルを取得することが投票の条件とするのは当然と考えます。Skylab 2004年7月11日 (日) 15:02 (UTC)
結論として言えば、IPユーザの投票を一切認めないというのはありだろうと思います。ことに他の方がその意見で一致するなら。
ただ、IPからの参加者が軽んじられているような気がして、その理由づけの方が気になりますね。。複数のIPを使い分け、2重投票をすることは簡単ですし、複数のIDを作成して、使い分け、2重投票をすることもやはり簡単でしょう。そうすると、IDに関しては善意を期待できる、IPに関してはできない、という線引きをしていいのか気になりませんか? (MLへの投稿の繰り返しで済みませんが。。)「無責任」とも受け取れるのはそうなのですが、そうとは限らないというところが気になっている、というか。
気にはなるけどまあ便宜上他にうまい線の引き方がないから仕方ないでしょう、ということであればそれほど異論はないです。Tomos 2004年7月11日 (日) 21:54 (UTC)
「帰責」の問題と「善意」の有無の問題は直接しないと私は考えています。そして、いまここで問題にしているのは前者である、と理解しています。逆に「ログインユーザの善意」を期待しないからこそ、MLではログイン期間などその他の制限を加えることが論議されてきたとも理解しています。軽視うんぬんですが、そのように受け取られることに新鮮な驚きを感じました。ただし、Skylabさんが指摘されたコミットメントの深度の違いは多少考慮しています。むしろ openness と responsibility の両立がここでは問題になっていると理解しています。後者を要求することで前者が犠牲にされることは認めますが、いま議論している話題に限れば、アカウントを作れば解決でき、まったく救済しようがないというものではないので、許される範囲の制約だと考えます。KIZU 2004年7月12日 (月) 09:43 (UTC)

IPからの投票に関して、議論のまとめを試みました。長いのでMLに出しました。[3] 議論に参加されている方は、訂正・補足などお願いします。そうでない方は、このメールと、それへの他の方の応答(あれば)を見ると一応内容がわかるかと思います。Tomos 2004年7月13日 (火) 07:24 (UTC)

ある事例[編集]

KIZUです。 IPアドレスからの投稿により「不正があった場合」の判定は簡単だとさんぽ様は主張されており、私は逆にIPアドレスから投稿者を特定することは保障されないのでそれは退けるべきだと主張しているのですが、好例と思われる事例を見つけましたので、ご判断いただきたく。

  • ユーザー名:202.239.229.2 - s2.itokyofl0.vectant.ne.jp 投稿記録
  • コメント欄で特定ログインユーザであることを表明した履歴がある
  • そのログインユーザの署名で終わっているある投稿のかなりの部分をこのアドレスから行っている。
  • このアドレスからの別の既存投稿に、ある別のユーザがそれを自分のものとして署名を付している。

  • ユーザー名:210.196.74.238 - aa2003071071007.userreverse.dion.ne.jp 投稿記録
  • 202.239.229.2とほぼ同時刻にあるログインユーザの署名で終わっている投稿の一部分を編集している。

ログインユーザでない投票を認めない立場からは、ここで署名に使われた二つのアカウントの帰属を問うだけで済むように思いますが、そうでない場合は、同一性の判定に著しい困難が伴うように思います。ともあれ「判定は簡単」だとおっしゃるのですから、一例としてその判定がどれほど簡単なものか、実例に即してご教示いただければ幸甚です(私はここでも判断不能だと考えていますけれども)。KIZU 2004年7月13日 (火) 06:31 (UTC)

当案件審議期間の設定[編集]

(上にあったものをKIZUが移動しました) 割り込み失礼。
7月9日までとはずいぶん急ですね。もっと延ばしていただけるとありがたいです。 - Kk 2004年7月6日 (火) 02:22 (UTC) # 時刻付き署名(^^)

ご意見をありがとうございます。しかし急でしょうか? それ以前から議論は継続していましたし、Wikipedia:合意形成で提案されている最も長い審議期間(168時間)よりさらに若干のゆとりを取って設定しています。上記案に変更を加えることがあれば、期間は自動延長されますし、特別短いとは感じておりませんが、そのように感じる方が多いのでしたら、投票だけでなく、Wikipedia:合意形成#コンセンサス方式の合計形成様式も、今後見直していく必要があるでしょうね。ただご投稿は具体的な対案がなく、失礼をかえりみずいえば、真摯な提案なのか、いわゆるちゃちゃいれなのか、わたくしには判別が付きませんでした。具体的にこれくらいの時間を取ったほうがよいのではないかというご提案をいただければ幸甚と存じます。
ところで案件そのものへのご意見はないということでしょうか? KIZU 2004年7月6日 (火) 06:16 (UTC)
コメントありがとうございます。また、多方面に亘るルール策定などへのご尽力お疲れさまです。
さて、審議時間の件ですが、参加者一人一人生活リズムも違いますし(私の場合は頭の回転もですが)、どのくらい時間をとるのが良いか、一概には言えないと思います。この点については同意していただけることと思います(KIZUさんも「そのように感じる方が多いのでしたら...」と仰られていますしね)。で、確かにKIZUさんの仰られるように、急だなと感じる方が多かったらいろいろな場所に書かれている審議期間を見直す必要があります。そこで、急だなと感じる方が多いか少ないか知るためには、皆さんがもっと主観的に、「このくらいが良い」とか、「これでは短い」とか、希望を出す必要があるわけです。その一環として先ずは私の主観的な希望を書き込んだというわけでした。それで結局、急だなと感じているのを表明するのが私だけ(か、もしくは数人だけ)であるということになれば、期限を見直す必要はないということになるでしょう。
私は、最も長い審議期間(168時間)というのも短すぎると感じています。実際、いろいろなところで議論についてゆけていませんし、当然議論には適時に参加できません(審議期間を決めるための議論にもです)。ですから、KIZUさんにしてみれば、今までの議論に参加しなかった者にこんなときだけ余計なことを言われたわけですから、茶々入れだと思われるのも無理からぬところです。その点はお気になさらずに。(それとも、このコメントではまだ茶々入れのそしりを免れ得ませんでしょうか...) - 2004年7月6日 (火) 07:42 (UTC) - その後加筆 - Kk 2004年7月8日 (木) 07:50 (UTC) # こういうオープンなプロジェクトでは、参加者の善意を信頼するのが吉かな、と私は感じています。と、これは独り言ですが。
ご気分を害されたのでしたら、お詫び申し上げます。「最長1週間」という設定は確かにゆったりめとはいえないことには同感です。よろしければ、Kkさんのご主導で、このあたりの変更を検討していただくのはどうでしょうか? ところで本提案審議の期間延長については、具体的な延長期間のご提案はやはりいただけないのでしょうか。 KIZU 2004年7月6日 (火) 12:21 (UTC)

Kkさんからお返事がいただけないのですが、「もう少し」ということで最初に設定した期間より、さらに1週間の延長を提案します。最初に設定した期日が7月9日0:00まででしたので、7月16日0:00までですね。異論がおありの方は、本ノートページでご表明ください。ないようでしたら、自動延長により、7月16日0:00をもって審議期間満了となります。この間に異議や対案の提出がなければ、本素案を正式に投票の際の規定として採用する、ということでいかがでしょうか。KIZU 2004年7月7日 (水) 20:57 (UTC)この提案は撤回されました。下記参照。KIZU 2004年7月8日 (木) 12:19 (UTC)

「お気になさらずに」と申し上げたのに「ご気分を害されたのでしたら...」と返ってきたり、「168時間でも私にとっては短くて議論には適時に参加できません」と云っているのに一日も経たないうちに「お返事がいただけない」と書かれたりされるのを見ると、なんだかちゃんと読んでいただけなかったような気がしてきました。私も案件そのものについて無い知恵と時間を絞って考えている最中でして、いつまでに案件そのものへの意見がまとまるかわからないのです... - 2004年7月8日 (木) 03:09 (UTC) - この後少し加筆 - Kk 2004年7月8日 (木) 07:50 (UTC)
期限延長をお願いしっぱなしでもなにですから、進捗状況を報告します。利用者:Kk#Wikipedia‐ノート:合意形成#投票について:KIZUによる素案 7月1日投稿のためのノートなどを利用して検討中です。いまのところさんぽさんの考えに近いかなぁ... - Kk 2004年7月15日 (木) 00:45 (UTC)

ちなみに、以前Wikipedia:井戸端で議論をしていたとき(BBSがなく、参加者もずっと少なかった時)には、「異論などがないまま一週間経過したら議論が終わる」という原則でやっていたように思います。異論が出れば誰かが妥協案なり反駁なりを提示し、その妥協案に異論が出るかどうかまた一週間待つ、というような形ですね。Tomos 2004年7月7日 (水) 21:21 (UTC)

なるほど。そこからいまのWikipedia:合意形成の最長1週間という数字が出てきたのでしょうか? 私自身は一週間以上の期間を設定した上、とくに異論らしいものが提出されているわけでもないので期間が満了した時点で合意が取れたと見てもよいように思うのですが、それでは短いとおっしゃる方がいたことも事実です。それはそれとして尊重いたいという気も致しますし、すでに私自身から延長の提案を行った後でもありますので、今回は上述のとおりさらに一週間の延長ということにしようと思います(Tomosさんのご指摘は、たんに過去の事例を紹介してくださったということで、延長自体への反対ではございませんよね?)。もっとも、いまのところ特に対案が提示されているわけではありませんし、次に「まだもう少し待って欲しい」というような要望だけがあったとしても、それをも取り上げるべきだとはわたくしも考えてはおりません。為念。--KIZU 2004年7月7日 (水) 23:23 (UTC)
あと、期限を切るのは止むを得ませんが、期限の切り方は「議案提出から***日間」とするよりも、「異論などがないまま***日間」とするほうがいいですね。 - Kk 2004年7月8日 (木) 03:09 (UTC) ← KIZUさんのご指摘を受けて消します。合意が形成されないようなら自動的に期間を延長するというのは、「異論などがないまま***日間」というのと同じ意味だったのですね。勘違い、お詫びいたします。m(_ _)m それと、確かに提案か感想かわかりにくい発言になっていたようです。KIZUさんには重ねてお詫び申し上げます。前の前の発言に加筆修正して、こちらの意図がもっとよく伝わるように書き換えたつもりです(書き換えによって前言の一部が不要となったので消しました)。書き換えた部分を読んでいただいて以前よりも意図が伝われば、KIZUさんからあった返答の方も変わってくるのではないかなと思いますので。掲示板ともネットニュースとも違うウィキ流のやり取りはいかがでしょうか? 編集の手間は少し余計にかかりますが、不毛な言い争いが広がるのは避けたいですよね。よろしくお願いいたします。 - Kk 2004年7月8日 (木) 07:50 (UTC)
お返事ありがとうございます。きちんと読んでいただけていないな、という印象を残念ながら私も持ちました。本案については「この間に合意が形成されないようなら自動的に期間を延長したいと思います」。と明示してあり、期限が来たら議論を打ち切る、という性質のものではなく、実質的には上で提案されていることと変わりないのですが、そうはご理解いただけなかったようですね。もっとも表現上の問題ですから、後者のほうがより分かりやすいというのでしたら、今後そのように表記することにやぶさかではありませんが。
なお「御気になさらずに」うんぬんは私の「茶々入れなのでしょうか」に対する応酬に読めました。延長に関する提案であることを否定されているようには読めませんでした。苦言をあえて呈させていただければ、提案か感想かにわかには判別つかぬことをおっしゃり、茶々入れかと問えばそうではないといわれ、では提案として扱えばたんなる感想だったというのは、一般には、審議に対して悪意をもって妨害する手法のひとつとみなされるように思います。Kkさまが悪意をもってしているというつもりはございませんが、議事進行を変更する提案を私に出させたあとで、ご自分からは「あれはたんなる感想であって提案ではなかった、取り上げる必要はなかったのだ」、とおっしゃられたのにはかなり失望させられました。
なおいただいたご発言(これも感想に類するものなのでしょうか?)は、期間延長にどちらかといえば否定的にも取れますし、明快な賛成とも読めませんので、期限延長への賛成には数えておりません。
Kkさまには、今後は、議事進行に関する提案と、おっしゃるところの「感想」との区別を明確にしていただけるようにお願いいたします。--KIZU 2004年7月8日 (木) 06:14 (UTC)

上記より引用します。

それで結局、急だなと感じているのを表明するのが私だけ(か、もしくは数人だけ)であるということに
なれば、期限を見直す必要はないということになるでしょう。

なるほど、「急すぎる」というのは感想ということですね。では私自身は延長の必要はさして感じておりませんし、Tomosさんによれば、日本語版の慣行としては現在のところ 1週間待って異議がなければ採択ということだそうなので、私としては審議延長の提案は撤回いたします。審議延長が必要と考えられる方は、改めてご提案ください。運用で不備が明らかになった場合には、その都度検討するということで皆様いかがでしょうか。--KIZU 2004年7月8日 (木) 12:19 (UTC)

投票資格についてのその他関連する問題[編集]

sphlです。 投票についての議論はこの位置でいいんでしょうか?

まず今回の合意については、投票にいたる手順とか、投票の実施方法などは、すでにある程度明文化してあるものの変更についてはまず保留して、投票への参加資格を決めようというものでしたよね。

投票は常識的には一人一票ですから、得票数あるいは得票率で機械的に決定を行うためには、それを満たせないものは残念ながら除外せざるを得ないと考えます。もちろん、投票に至るまでにコンセンサスを得るよう最大限の努力をすることによって、可変IPユーザや一時的なIDのユーザの意見も反映させることが可能ですからID取得者以外を排除することによる弊害は少ないと考えます。

固定IPの方の扱いも基本的には無資格とし、KIZUさんの提案のように周知期間に気が向いたらIDを取って活動していただくことでよいのではないでしょうか。

そもそもIPの方はポリシーとしてIPを選んでいる場合もあり(「IP化した」元常連IDの方とか..)、IP取得を呼びかけるのが良いのかどうか、という気もしないでもありません。まあ、IPでしばらく活動されたあとでIDに転じた方もいらっしゃいますのでなんともいえませんが。

その辺は個人の自由でもありますので、「投票はIDでのみ」と決めたうえで、あとはどうするかお任せするというので良いように思います。IDのみとするのは純粋に技術的なものですし。

むしろ、ステハン(一時的に取得した複数ID)を用いた同一人物の多数投票をどうやって防ぐかのほうが問題です。これは完全に防ぐことは困難なのは明白なので、ある程度のところで目をつぶるしか無いように思います。

基本的には活動期間(ある程度の継続的な投稿の実績)とコミュニケーションの実績(ノートページでの議論参加回数など)による制限を行う必要があります。前者は、投票になった時点で急遽ID取得することの排除はできますが、用意周到に複数IDを溜め込んでいる人には無効。後者を含めることにより、個性からある程度別人物であると主張できるということになりますが、限界はあります。 #例えば現代語と古語を使い分けるだけで良い訳ではないですし(^^;;

後々に複数IDが特定の同一IDと同じであった場合の罰則(一定期間の有権者資格の剥奪)などで抑止力を持たせるというのは如何でしょうか。これも十分たくさんのIDを準備すれば無効化可能ですが。

最後に、Tomosさんの意見にある、投票の影響度による有権者資格の変更には賛成します。運営や選挙、リコールなど強制力のあるものはIDのみ、秀逸記事の選出や月間感謝賞、強化記事の選出などの投票はゆるくてもいいのではないかと思いますし。編集スタイルは大勢が納得して使ってくれないとどうしようもないので、投票資格よりむしろ合意形成重視でいくべきですが、IP含めた投票でもいいように思います。わざとらしい複数投票は別ですが。

KIZUです。ご意見ありがとうございます。IPユーザ、つまり匿名の方についてのご指摘はそのとおりだと思います。かなり長期にわたって匿名で活動されている方もおられますね。それはその方の御信念ですので、傍がなにかいうことに意味があるかは疑問です。ログインをご考慮いただくよう、ノートページでお願いすることは可能ですけれど、聴いていただけるかどうかは分かりませんしね。
ja.wp でも WikiJA-l でも、「コメントに関してはログインユーザと匿名ユーザを区別しない」ことに世論の支持があるように感じました。投票前に議論を重ねることによって案件を整備した後でなくては投票は開始できませんので、匿名ユーザでも議案に関心がおありの方からは、その時点でご意見をいただけるのではないかとも思います。またコンセンサス方式を採用した場合にも、匿名ユーザの意見表明を排除しないということであれば、匿名ユーザの合意形成への参加を排除するのは投票による採決のみになりますね。投票開始後にどなたかが匿名でなり顕名でなりコメントをされることを止める事は出来ませんし。もっとも投票を開始するとわりと議論というのは止まるものなんですが^^;
複数IDを用いた同一人物の多数投票の抑制は、投票に固有の問題ですので、Wikipedia‐ノート:投票の指針に譲ります。
投票の影響度による有権者資格の変更には私も賛成です。もっとも現在の月間感謝賞はウィキマネーを持っている人だけが投票できるので必然的にログインユーザのみになりますし、秀逸記事の選出は議論の結果、賛否の表明はログインユーザのみに限定されていますね。一方で強化記事の選出には制限がなかったように思います。編集スタイルは原則コンセンサス方式で決めるほうがよいだろうということには同意しますが、Wikipedia:井戸端などの議論をみると、ある地点を越えたところで神学論争化するようなので(各人の趣味や「見易さ」といった主観的なものが入り込んでくる)、特に数種類のやり方がそれぞれに妥当性を持っているような場合、かえって投票で基準を早々に明確化するほうがお互いにすっきりするのではないかとも思います。KIZU 2004年7月6日 (火) 12:21 (UTC)
ひとつ訂正を。月間感謝賞は今のところIPでも、ウィキマネーを持っていない人でも参加できます。これは感謝賞の主旨がウィキマネーのやりとりではなくて感謝の表明にあることからそうなっているのだと思います。Tomos 2004年7月7日 (水) 21:13 (UTC)
蛇足ですが、そうはなっていないように思います。
  • 投票資格を持っている人はウィキマネーを持っている人です。まだ、ウィキバンクに口座をもっていない場合には、投票前に口座をつくっておいてください。
Wikipedia:月間感謝賞にありました。感謝の対象になる方には匿名ユーザも含まれますが。本題とは直接しませんので、これ以降は感謝賞のノートで。KIZU 2004年7月19日 (月) 18:06 (UTC)
Wikipedia:月間感謝賞/投票の冒頭には、IP可、とはっきりありますね。^^;) 僕はそちらを読んでました。暫定ルールだそうですが。。Tomos 2004年7月19日 (月) 20:24 (UTC)

留保[編集]

合意の正当性と免責に対する留保を設けて明文化していただきたいと思います。「合意により不法・不備がなされたことが判明した場合、不法は撤回し、不備は整備につとめ、利用規約を理由に正当性を主張せず、利用者に圧力をかけ免責を強いることはしない。」という旨のものです。記事に対する免責に関しても不十分なところが多いと私は思っていますが、少なくとも合意による不法・不備には最低限の留保を設けていただいてもいいのではないかと思い提案してみました。johncapistrano 2004年7月1日 (木) 01:13 (UTC)

一部意図がわかり難いのでどなたか反応するのをまっていましたが、特に誰もいらっしゃらないため質問します。
  1. 「利用規約を理由に正当性を主張せず」の主語は誰になるのでしょうか。
  2. 「利用者に圧力をかけ免責を強いることはしない。」の主語は上と同じと思われますが、「利用者」とは誰になるのでしょうか。
  3. 「免責を強いる」の意図がわかりませんでした。
問題発生時に、問題提起した人が「全員で合意したことなのだから問題が起こったからといって貴方が苦情をいわないでくれ、特定の誰かが責任を持つわけではないですよ」と反撃されることがないようにしよう、ということでしょうか?あと、合意形成のプロセスと密接に関係しないのであればWikipedia‐ノート:免責事項のほうがよさそうな気がしますが。 sphl 2004年7月6日 (火) 11:03 (UTC)
合意の正当性を確保する為の留保として書いたつもりです。免責事項の議論では免責の範囲は他人の記事・文章の責任を問われないということだったと思いますが、その議論が何処でされたかまで私は覚えていません。それで表の文章ではその議論が全く反映されていないので変だなと思っていますが、それとは別に合意の正当性・合法性の確保や(合意による責任は免責の対象外のはずだと私は思っているのですが)合意による責任の所在の規定がないので、そのかわりにでも留保事項は必要だろうと思います。
主語ですが、合意に賛成した方でしょう。利用者は広範囲で読者も含めて考えています。合意だと特に責任の所在がうやむやにされがちなので、合意に対してというつもりで書きました。johncapistrano 2004年7月6日 (火) 17:00 (UTC)
この件、僕もよくわからないので具体例などがあれば挙げていただけると助かります。不法・不備、というのは、例えば「投票の結果、アメリカ人に対する名誉毀損については考えなくても良いという合意が形成された」というような場合にのことでしょうか? その場合の免責というのが何かがちょっとよくわからないのですが、Wikipedia:利用規約にある免責の話と関連しているんでしょうか。あるいはWikipedia:免責事項と? Tomos 2004年7月7日 (水) 21:28 (UTC)
こんにちは。johncapistranoさんの書かれた文章を拝見しましたが、1. 公明正大にコトを進めるけど強制力はないよ、2. 不測の事態が起きたら勘弁してね、ということを謳いたいのかな、と思ってコメントします。外していたら無視してください。
ふつう、契約書などの決め事の最後には協議事項とか協議項目、または特記事項などの名前のもとに、(以下の括弧書きの誰が甲で乙なのかは別にして)『本契約に定めのない事項または解釈に疑義が生じたときは、その都度甲乙友好の精神をもって協議し、円満に解決を図るものとする。』といった条項が入ってることが多いです。johncapistranoさんが書かれた内容は定めのない事項・解釈の部分を列記しているように感じました。右記の括弧書きは一見して厳格ではないし曖昧な印象がありますが、危機管理をし尽くしても不測の事態を列記することはできません。悪く言えば空文となりますが、複数人の決め事または約束事としては少しは効き目があります。こういった括弧書きのような文章を最後に添えるだけではダメなのでしょうか。 赤鉛筆 2004年7月8日 (木) 00:28 (UTC)

赤鉛筆さんの書かれたようなもので、もう少し強いものを考えます。実例があってはいけないような類のことですが、これから誤った合意をしないとも限らないので例はTomosさんの挙げたものを仮定として使ってみます。その場合に苦情が英語版ユーザーや読者から来たとして「日本語版で合意されたことだから」としてうやむやにして放置されたり、「合意されたことだから何処其所で提案してくれ」ではなく、合意として改定されなければ、その合意は失効して撤回なり、改定なりをしなければならないという感じで考えます。またそうした対応が取られなければ免責の条件から外れるということを明文化しておくことにも意味があると考えます。この例では不当性が判り易すぎるのでそのような明白な誤りが合意されることは起こりえないでしょうが、際どいことはこれから起こりえると思います。利用規約は幾分改訂されているようでしたが発効していないんですね。johncapistrano 2004年7月8日 (木) 05:16 (UTC)

Johncapistranoさんの意図を掴みました。少し「お役所」的かな、と思う部分もありますが、実はこういう細かいことこそ明文化しておかねばならないことかもしれません。Skylab 2004年7月8日 (木) 15:54 (UTC)
明文化する、ということで協議事項の文章を添えれば良いのかな、と思いました。ところで一つ教えて頂きたいのですが、Wikipediaは紳士(淑女)協定のような暗黙のルールで成長してきたような印象を受けますが、他言語版で利用規約やそれに似たものを提示しているものはあるのでしょうか。 赤鉛筆 2004年7月9日 (金) 18:02 (UTC)
「合意として改定されなければ」というのがよくわからないのですが、他の部分はおおよそ理解できました。ありがとうございました。また、合意をそのように位置づけるのはよいと思います。基本的には、合意形成の下敷きになった議論が不十分であれば議論をやり直すのは適当だと思います。
利用規約は、英語版でen:Wikipedia:Terms of Use,en:Wikipedia:Submission Standardsにあたるものです。日本語版も良く似た条項が盛り込まれていますし、僕がT. Nakamuraさんに草稿の存在をご紹介したので英語版を参考にしている部分もあると思います。
Submission Standardsは何度も議論や告知を経て最近導入されたのですが、導入の告知を出した途端に「そんな話は聞いていなかった」と物言いがついて開発者から介入があり^^;)素案に後戻りしたり、以前別のページで紹介した通り草稿作成や改訂を進めていたAlexさんが常連メンバーとのいざこざからプロジェクトを引退したり(その後Alexさんは復帰しましたが、この手の作業・議論からは手を引いてしまったようです)いろいろ難航しているようではありますが。Tomos 2004年7月11日 (日) 22:29 (UTC)


ウィキペディアは国家ではない[編集]

ウィキペディアの合議は異なる要望を折半するあるいは多数決で優位を決めるものではないはずです。あくまで異なる意見や主張がウィキペディアの理念や基本方針に適うかどうかが議論の基本となるはずです。よって多数派が意見を強行採決に持っていくことによって編集あるいは方針を決定することができるような仕組みはウィキペディアの理念に直接対立するものだと思います。実際、ウィキペディアが民主主義でないというこは基本方針に明記されているのですから合議に時間を設定するなどの提案は許されるべきでないと思います。誰に投票資格があるなどを決めるのも同類であると思います。最悪の場合、わがままな少数の人間が団結してやりたいほうだいにすることも可能です。英語版においては創始者のジンボウェールズ氏が天皇のように君臨して議論ににっちもさっちも行かなくなったような場合に鶴の一声で仲裁をしていましたが、日本語版ではこのような権威を持つ人が存在しない。しかし投票制などを導入するとウィキペディアがウィキペディアでなくなる。よって現時点では合意の形成が成立しない場合はそのままにして合議を継続するというのが妥当であると思います。将来的にウィキペディアの基本方針や運営に興味のある人が増えれば仲裁委員会のようなものを設定するのも可能ですが現時点ではこれらのことに興味のある人が少なすぎるし、方針やガイドラインの議論が活発でないのだから合意の決定はガイドラインにとどめておくべきだと思います。Vapour

履歴によれば上記の記事は2006年3月14日(火)09:23にVapourさんによって投稿され同日09:24と09:30に一部修正されています。日付がないのは単なるサインのミスだと思うので、書いておきます。Penpen 2006年9月26日 (火) 19:21 (UTC)

こんな議論があるのね、しかし合意形成の上で最大の問題は十分な議論がされていないことだと思う。何せ保護された項目のノート見てもほとんど、議論された形跡はない。従って合意形成の上で最大の課題は議論の促進。議論が尽くされているか否かの判断だろう。F86F 2007年4月22日 (日) 04:22 (UTC)

私も、Vapourさんの意見に賛同します。私は、ウィキペディアは誰もが合意できるように議論に最善を尽くす方針を用いるべきだと思います。だから、多数派が多数決で強引に少数派を切り捨てていけば、少数派の人々の合意を得られなくなるでしょう。現にそうなっています。
私は、多数派が少数派より正しいとは思いません。なぜなら、その根拠がどこにもないからです。確かに、人々の意見に価値の違いは無いはずです。しかし、だからと言って、多数派が固まれば数は変わっても意見の質は変わらないはずです。だから、多数派に少数派を拘束する力は無いと思います。--Pruqsa 2008年11月7日 (金) 13:32 (UTC)

投票における家族アカウント・ソックパペットの扱い[編集]

転記元:Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/Lonicera 20070411(移動時のセクション名は「Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/Lonicera 20070411より」)

移動 -Aphaia 2007年5月13日 (日) 10:44 (UTC)

現在出ている論点について[編集]

    • 1-3-2.今後はどうするのか。
      • 自粛ないしはCU経由で1票のみ有効。何か解決方法があるならばもちろん検討。--磯多申紋 2007年5月9日 (水) 18:08 (UTC)
      • たまたま、やすとしさん、もう1人の方をご存知の方がいるようですが、もう1組の2票の方が同様の申し出をしてきた場合に同列に扱えるか疑問です。最大1票とすべきではないかと思います。他の投票全てでも同様が望ましいと思います。--Tiyoringo 2007年5月9日 (水) 18:14 (UTC)
      • Wikipedia:管理者への立候補#投票の資格に、「家族による投票がソックパペットと判断される危険性」を告知する一文を書き加え、自粛を求めてはいかがでしょうか。--B級へたれ 2007年5月9日 (水) 22:41 (UTC)
      • ウチの場合、どうすれば2票認めてもらえるかわからないため片方しか投票していなかっただけで、これが「悪しき前例」となっては困ります。場所を井戸端に移して、「NAT使用(家庭LAN、マンションLAN、小規模CATV、大学LANなど)の投票」について改めて議論すべきです。--miya 2007年5月10日 (木) 06:20 (UTC)
      • Miya さんのご発言に追記して。過去、理事選等ではMiyaさんご夫妻のお二人とも投票されておりますね。本プロジェクト上での自粛が不本意な自粛であるということはそのことからも推察しておりました。また現在の論調である「自粛を求める」というのは、自分がリジェクトする判断の最終的な責任者になりたくないというある種のモラルハザードであるように思います。検証が困難なので投票管理者がリジェクトするというのと、投票権者でありながら自粛を求めるというのは、結果は同じようにみえても論理の構成と判断の責任の所在が違う事態であると考えます。後者は、責任の所在を曖昧にし、コミュニテイの意思決定から明確な根拠を示さずに他者を排斥する悪しき傾向につながるのではないでしょうか。--Aphaia 2007年5月10日 (木) 08:19 (UTC) 文意を明確にするために補足。--Aphaia 2007年5月10日 (木) 10:34 (UTC)
      • 現実的には自粛を求める以外には無いと思います。傾向がまったく違うとしても、上で言ったようにネットにはロールプレイ行為というものがありますから、たとえ「その家族の方が実在している」としてもそれは「その人がそのアカウントを使っている」という証明にはならないのです(つまり、誰かがその家族の方を演じている、という考え方もできるわけです)。それ以外には上で言ったような監視カメラのテープとか言う現実的ではまったく無い方法しかないと考えられるわけで、私は特に悪しき前例とは思いません。なにかほかに方法があるのでしたら、ぜひとも出していただきたく思います。そうでなければこの家族アカウント問題について、宣言すれば全アカウントで有効票を投じることができ、IPなどの一致があったとしても抗弁として使用すれば靴下の謗りを回避できるとなれば、これは多重投票の温床に他ならないわけで、それこそが悪しき習慣だと思います。--koon1600 2007年5月10日 (木) 09:09 (UTC)
      • これは投票なので、個々の票が独立した投票権にもとづいて行使されたのかどうかが明確である必要があります。明確性に疑問のある票が、ほかの票にくらべて重みが軽くなるのはいたしかたないと考えます。選挙人名簿があるわけではないので、明確にする責任は投票権者自身にあると考えざるを得ません。つまり、明確にする手段としてだれがどういう手法を選ぼうと、コミュニティがそのひとを意思決定から排除したとは言えないでしょう。
        1. 不明確な票の扱いとしては、(1)無効にする、(2)按分する、といった方法があるでしょう。上に述べた理由から、無効にする場合は不正か否かにかかわらず全票 (今回は各2票ずつでしたが、一般には3票以上でありえます) を無効にすべきと考えます。
        2. 自粛以外の方法があるかどうかについては、ここで論じる範囲を越えているとおもわれます (ないと即断すべきでないと考える、という意味)。 --Hatukanezumi 2007年5月10日 (木) 10:01 (UTC) 微修正 --Hatukanezumi 2007年5月10日 (木) 17:24 (UTC)
        • Cグループの6アカウント(KMTさんは明言していませんが、おそらくソックパペットと判断され無期限ブロックされたアカウントでしょう。)は、たまたま投票資格がありませんでしたが、大家族または、学校の同じサークル仲間といった主張がされ全て有効と認めて欲しいといった要望が出た場合にどう対処できるかと考えると自ずとソックパペットと疑われるおそれのある投票は1票のみに制限するのが望ましいと考えます。(そうでもしないと、優良記事投票で高等学校のクラスメート全員が組織票なんていうのもできてしまいます。)--Tiyoringo 2007年5月10日 (木) 14:47 (UTC)
      • 自粛が望ましいが、CU等により判明した場合は無効。ただし、CU以前に表明している場合は個別に相談。--Kodai99 2007年5月11日 (金) 12:55 (UTC)
      • 「自粛」は自ら選び取るから「自粛」であって、強制されてするものではありません。ウチが自粛したから、今後全ての家族ウィキペディアンが自粛を求められることになってはフェアではないし、私も甚だ不本意です。早い話が、家族だからといっていつも同じIPを使用しているとは限らないし、マンションや小規模CATV、大学LANだと家族でなくても常に同一IPの場合があるわけです。家族だと表明していれば、別IPから投票するのもいけないのでしょうか?なので「自粛の前例」とならないように、今後は「自粛」を「自粛」し、投票したいときには夫婦それぞれ投票します。--miya 2007年5月12日 (土) 07:26 (UTC)
NAT使用の投票の扱いについては、 [[Wikipedia:井戸端/subj/NAT使用の投票]]で改めて議論するよう提案します。--miya 2007年5月12日 (土) 07:26 (UTC)

2.CUについて[編集]

  • 2-1.CUを行うにあたって、投票者の賛否資格はあるのか否か。
    • (本来は別論にて)賛否ともに正規投票ではなく参考程度。CU実施判断には斟酌可能。本件に関してはCUそのものは実施された以上は有効。担当者が票読みをどうしたのかを確認したとしても余ほどのおかしなことがなければ。--磯多申紋 2007年5月9日 (水) 18:08 (UTC)短慮な面がありましたので撤回します。失礼しました。詳細はWikipedia:CheckUser依頼/Lonicera氏のRfA関連にて。--磯多申紋 2007年5月10日 (木) 15:12 (UTC)
  • 2-2.不透明と思われる投票結果の場合、今後もCUを行う可能性はあるのか。
    • この点については、この項目で扱うネタではないと思う。個人的には、「そもそも投票をするのなら、CUくらい受けて立つくらいの覚悟をしておけ」と思うけれども、それも別論でしょう。--Nekosuki600 2007年5月9日 (水) 17:40 (UTC)
    • この項目で今扱う必要はないと思いますが、投票行為に当たっては結果確定前にCUを経ることがあることがあることをルールとしてもっと明確にしておくべきだと思います。--磯多申紋 2007年5月9日 (水) 18:08 (UTC)
    • CU係の負担を考えれば、毎回は無理でしょうが、投票に参加する以上、いつでもCUが実施される可能性があるものと覚悟してのぞむべき。--miya 2007年5月10日 (木) 06:20 (UTC)
    • やればいいんじゃないですか。票が投票者の手を離れた瞬間に、その票の扱いは投票者自身だけでは判断できなくなるので、CUのような客観的な判断材料は必要だとおもいます。
      なお、今回の例でいうと同一法人票は、情報の精度によってはかなりのひとが潜在的に対象になります (会社の同僚がウィキペディアンであるかどうかなんて、わかるとはかぎらない)。ですから、「自分は無実だ」といかに抗弁しようと、コミュニティがその票を無効と判断する可能性はあるということです。それでも、本人の証言という主観的な判断材料より、CU結果という客観的な判断材料にもとづいて判断するほうが、まだましです。選挙ってそういうものでしょう。--Hatukanezumi 2007年5月10日 (木) 23:09 (UTC)
    • 投票のページに、あらかじめ「投票について、CUの必要が生じたらCUを行うことに同意すること」を投票の条件とする旨を明記するようにルールを改正したほうがよいと思います。投票後のCUのためにまた投票を行うのは煩雑で時間もかかりますし、CUの投票資格自体にも異論が出ていましたので。実際にCUを行うかどうかを決めるのは「一定数以上のCU賛成意見が集まったとき」とするのがよいと思います。既に投票者全員がCUに同意しているので、CU反対意見を考慮する必要がなくなります。--《蒼輝煌》春野秋葉 2007年5月11日 (金) 12:30 (UTC)

(競合しましたがそのまま書きます)自分の考えを記しておきます。

  • 1-1.:これはKMTさんに個別にコンタクトを取っていただくという所で止まっていると解釈しています。
  • 1-2.:無効票とすべきだと考えます。
  • 1-3-1.:「詳しい事情は公にできないのだが信じて下さい」という論法は、私自身も立候補に当たって(オープンプロクシの使用と、影武者系との同一人物疑惑)あったことなので、やすとしさんと、そのご家族の方のアカウントに関する事情については詳細はわからないものの、信用すべき、あるいは信用しなければならない立場にあります。ただ、公表するのが遅きに失した感は否めないと思います。
  • 1-3-2.:これは今後の議論を待つべきものだと思いますが、miyaさんとmiya.mさん、あるいはちゃたまさんと奥さん・お子さんのアカウントのように、積極的に公表しておられる場合でも、そのいずれか、あるいは一つを残してほか全ては投票を行わないという方法を取っていらっしゃいます。これが前例の一つになるのではないでしょうか。
  • 2-1.:既に書いたように、参考意見として賛成を表明することは問題ないと考えています。率直に言って、CU作業が行われた後で「資格がないんじゃないの? おかしくありません?」と発言されることはどうなのでしょうか、と考えます。「後出しジャンケン」という比喩が用いられていますね。
  • 2-2.:今後も不透明な投票結果というのは起こりうると思います。CUを行うべきか否か、行うのならその基準は何かなどをはっきりと決めておいたほうがよいと思います。--Lonicera 2007年5月9日 (水) 17:47 (UTC)

すみません、「2.CUについて」はWikipedia:CheckUser依頼/Lonicera氏のRfA関連で行うべき話ですね。そちらの方にお願いします。--Lonicera 2007年5月9日 (水) 18:00 (UTC)

ウィキペディアでの投票と他の選挙について[編集]

一般の選挙の場合は選挙立会人がおり、ほぼ公正さを保証できると思います。他の選挙とネット上での匿名の選挙を同列に扱うのは難しくある程度の制約は必要ではないかと思います。--Tiyoringo 2007年5月10日 (木) 23:11 (UTC)

そうですね。俺は当該RfAには直接関係無いのですが(投票してない)、投票した皆さんばかりが頻繁に登場なさってああだ、こうだというのは「本当にそれでいいんかいな。」と思う部分があります。特にRfAの対象者ご本人が議論のまとめにかかり、かつ真っ先にRfA投票者の方がコメントしに走った#現在出ている論点についてについては、こういう議論の整理はやらなきゃならんかったのだよなと思いつつも、非常にコメントしにくいとおもっております。この点に関しては是非とも皆様にご留意頂きたいと思います。まぁ当該RfAには直接関係無いUserさんがなかなか出てこないっていのにも問題があるのでしょうが。--Juyukichi 2007年5月11日 (金) 02:13 (UTC)
RfAに興味はあるが投票しないユーザなんて想定するほうが無茶だと思いますよ。個別事案を元にするのは仕方がないし、投票と関係ない場で議論をするしかないのではないでしょうか。--Goki 2007年5月12日 (土) 01:55 (UTC)

過去の信任投票への遡及的対処について[編集]

#オープンプロクシからの2票を排除する事によって当該RfAを成立させる事について」節において、Cave cattumさんの以下のコメントをきっかけとして、過去の信任投票の扱いに話題が及んだので、こちらに移動しました。Cave cattumさんのコメントは再掲しています。--全中裏 2007年5月13日 (日) 06:46 (UTC)

  • (質問)確認させていただきたいのですが、Wikipedia:CheckUser依頼/Lonicera氏のRfA関連は、「ソックパペットを用いた投票は無効。ソックパペットを用いた者は無期限ブロック」という条件で提起されたわけですが、以下のような取り扱いとなるということで間違いないでしょうか。(1)ソックパペットの件に関してはこれ以上詮索しない。ソックパペットを用いた者に対しても結局投稿ブロックは行わない。(2)代わりに、オープンプロキシを用いた投票を無効とする。オープンプロキシを用いた者への投稿ブロックも行わない。--Cave cattum 2007年5月13日 (日) 05:12 (UTC)
Juyukichiさんの提案への質問ということだと思いますが、(1)結果確定に影響しないのでここでの(詮索ではなく)検討は停止。本件終了後に別の適切な場所で検討する。(2)(代わりに、ではなく、無効とすべきという意見が多数なので)オープンプロキシを用いた投票は無効とする。投稿ブロックに関して、この場での議論は行わない。必要であれば本件終了後に別途協議。私は以上のように理解しています。--Insadong07 2007年5月13日 (日) 05:32 (UTC)
自分に関連することなので言いづらいのですが、もしオープンプロキシを用いた投票を遡って無効とするということなのでしたら、Wikipedia:管理者への立候補/Cave cattum 20070301でLonicera氏が行った投票ももしオープンプロキシ経由でしたら無効と判断される可能性がありますがどうしましょうか。--Cave cattum 2007年5月13日 (日) 05:48 (UTC)
そのときコミュニティが判定した有効票について遡って検討するのは適切でないと考えますが、いかがでしょう。--Insadong07 2007年5月13日 (日) 05:56 (UTC) --「Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/Lonicera 20070411#合意形成に向けて」での議論停止の提案に対して整合性のない部分を削除--Insadong07 2007年5月13日 (日) 08:01 (UTC)
遡及させるという話はないものと考えますが。また、遡及させないがゆえに今後もオープンプロキシ経由の投票を有効にすべし、という主張もないように思います。今回、「オープンプロキシ経由の投票は(判明したら)無効とする」ということを確認し、今回は判明しているので無効とする、という話です。今後についても、「常にチェックを行う」という判断が出たわけではありません(それは別論)。--Nekosuki600 2007年5月13日 (日) 05:59 (UTC)
H.Nakasugi さんの 2007年5月10日 (木) 09:38 (UTC) のコメントによれば、日本の選挙では確定後だろうが再集計は行われます。ウィキペディアの原則は別だという考えもあるでしょうが。--Cave cattum 2007年5月13日 (日) 06:14 (UTC)
管理者の信任は選挙ではなくコミュニティの合意によって行われ、全く違う原則に基づくものだと思います。--Insadong07 2007年5月13日 (日) 06:22 (UTC)
何にこだわっているのかはわかるつもりですが。疑義があったのなら、その時点で疑義提出を行い確認を求めるという方法もあったでしょう(おれは、今回それをやって、今こうなっている)。今回のケースを理由に遡及させることで過去の決定の見直しを求めるというのは、無理があると思います。それは別件なのでありまして。--Nekosuki600 2007年5月13日 (日) 06:29 (UTC)

(インデント戻します)私がこだわっているのは適正なルールの確立です。ウィキペディアにおける決定は選挙そのものではなく最終的にはコミュニティの合意によるのだという考え方を取るのであれば、一度決定された合意を覆すこともまたコミュニティの合意により可能なのですから、異議申し立てが繰り返されて紛糾することもありえます。そうではなく、ビューロクラットによる確定宣言後の異議申し立ては認めず、問題ありとするならば再度立候補すべきというルールとするのが適切であると思われます。--Cave cattum 2007年5月13日 (日) 07:03 (UTC) (追加)管理者の解任のように異議申し立て期間を設けるほうが良いですかね。なお過去の選挙に関しては、こうしたルールの制定前なのですから異議申し立ては現在でも可能と判断します。私自身はそうしたことは行いませんが。--Cave cattum 2007年5月13日 (日) 07:41 (UTC)

ん。書いてないことでも当然守られるべきことというのはあるんだと思いますね。公序良俗とか条理とか、現世の法律でも書いてないことはやっていいとはなっていないわけで、それはここでも同じです(WP:IAR)。そう思えない人は、たぶん遅かれ早かれウィキペディアから放逐されるので、特に気にしなくてもいいことのように思いますね。繁文縟礼イクナイ。--Aphaia 2007年5月13日 (日) 07:51 (UTC)
少人数でこぢんまりと纏まっていた頃とは事情が違い、何が「当然」なのか考え方も全然違う新しい人が増えてくるにつれて、明確なルールを整備する必要があるというのが私の認識ですね。繁文縟礼とならないよう、あちこちに眠っている古い文書については廃止や削除の提案を行っています。--Cave cattum 2007年5月13日 (日) 08:23 (UTC)

下手に騒いで権限を得たとしてもその後のことも考えて行動しないと…。--Goki 2007年5月13日 (日) 09:27 (UTC)

問題の提起者と具体例の対象がどちらもCave cattum氏のため、ややぐちゃっとしているようですが、Cave cattum氏としては、自分の立候補に対する投票の結果がどうのというよりも、「これをきっかけにちゃんと練られた(=論理的にも整合性のある)ルールを確立しようよ」、ということに尽きるのだと思います(今回のような異議申立てをすることがどこまで認められるのか、など。)。それは何でかと言うと、たとえば「管理者の選任(信任)はコミュニティの合意によって行われる」というだけのルールであれば、「コミュニティの合意」を道具として管理者の信任・不信任をいくらでも引っくり返せる、ということにつながるからなわけです。
で、たとえばそうしてできた論理的に整合性のあるルールが今回のような異議申立てを認めるのであれば(今回の件を特別な例外とみなさない限りそうなるはずなのですが。もし今回の件を例外とするのならそれなりの理由をつけなきゃいけないし。)、その遡及効を認めるのか否かが問題になる(というか、その論理的に整合性のあるルールが、そのルール制定以前からあるウィキペディアの方針より出てきているものなのであれば、それは過去に行われた投票についても当然適用されるはずだ)わけですね。--わかみん/ 2007年5月13日 (日) 10:13 (UTC)
どこでもここでもそうすべきだと主張するつもりもありませんが、一般論として「規定は、遡及しない」という原則があります。これは罪刑法定主義などから導かれるものですが、それ以外にも「遡及効を認めると、現状を改善する良い方法があるにもかかわらず、それが過去のしがらみによって採用できなくなるという問題を引き起こす」などが想定できます。今回のケースを例外扱いとする必要はなく、「問題が顕在化したことから問題解決が模索され、一定の前例ができた(いや、まだできていないが)」と受け止めれば十分でしょう。
現実問題、これまでの投票でも「投票結果に対するCU」は提案できたわけです。それは、しかし行われなかった。今回行われたからといって、これまでのCUが行われていない投票についてまで、ちゃぶ台返しをする必要があるとは思いません。また、今後も「全ての投票についてCUを行わなければならない」と決める必要もないように思います。--Nekosuki600 2007年5月13日 (日) 10:38 (UTC)
一般論を持ち出すのでしたら、日本の選挙では確定後だろうが再集計は行われるわけですが・・・。コミュニティの合意万能の考え方を取るのでしたら遡及適用の禁止などそもそも考慮する必要はないはずです。--Cave cattum 2007年5月13日 (日) 11:49 (UTC)
ひとつ申し上げておきますと、私自身は、今回の件をきっかけに、投票結果に対するCUやオープンプロクシによる投票の無効などが方針化されたとしても、その方針の遡及効を(Cave cattum氏の件に関しても、他の件に関しても)認めるべきではないと考えています(一般論としての法の遡及禁止は当然であると思います)。また、今回の件についても、オープンプロクシ票を無効と判断した上で、信任とするのが妥当な落とし所だろうと考えています。
その上で、先ほどああだこうだと申しましたのは、「今回はコミュニティの合意があったから」とか「Wikipedia:オープンプロクシは使わないだから」とか、曖昧な形で議論を終結させたままにしまうと、いろんな形で(屁理屈とも言えるような)ツッコミを入れられるようなことになってしまいますよということです(そういう意味で先ほどの私の論理はあえて屁理屈を言ったものとご理解下さい)。ですから、きちっとしたルールを確立した上で(そこに異議申立の制度を組み込む必要があるならば組み込んでおき)、そのルールにのっとって、コミュニティの合意という曖昧な概念で特例的に事を引っくり返すようなことがないようにすべきだと思うわけです。当然、将来的にそのルールを引っくり返す必要も出てくるのかもしれませんが、それについてはそのときにルールそのものに対して議論をし、ルールを変えた上で、その変更後の事例に対してのみ適用(=不遡及)する、といった形をとるべきだということです。--わかみん/ 2007年5月13日 (日) 12:18 (UTC)
ルールの整備のあり方に関しては、私の考え方はまさにわかみんさんのご指摘通りです。あと考えてみれば遡及適用の禁止とはルールの適用についての考え方なので、管理者選挙の関連でいえばこれまで異議申し立て期間の規定はなかったわけですから、今後当該規定が整備されたとしても、当該規定が存在しなかった過去の選挙に関して再集計の申し立ては可能と判断されます。また自分がこれを行うことはありません。--Cave cattum 2007年5月13日 (日) 14:09 (UTC)
ルールの遡及を禁止とする原則がなぜ採用されているのか、おわかりではないのでしょうか。ルールを遡及させることをたとえば管理者選挙に適用した場合、「ある管理者が改めて信任or不信任になる」「その管理者が行った判断が無効となる」「その判断をふまえて行われた編集が取り消される」といった玉突き事故が発生します。遡及をさせることでなんらかの自らにとって好ましい結果を引き起こすことができる可能性があるひとが、なんらかの理由で遡及を要求することがあり得ますが、それをやった場合すべてのプロジェクトは最初のところまで戻されることにならざるを得ません。なので、遡及はちゃぶ台返しに等しいということになり、特別な場合以外は認められないのです。
正直、ルールの整備をすべきかどうかという話と、遡及効を認めるかどうかというのは、別の問題です。ルール整備はWikipediaの内的な問題ですが、遡及効の原則否定は人類の英知なり経験則なりにかかわるものでしょう。なんかかなり、フェイズの違う話をとっちらかって扱っているように思います。--Nekosuki600 2007年5月16日 (水) 14:46 (UTC)

(インデント戻す)Cave cattumさんと会話ページでの対話を通じまして、氏のおっしゃるところの「遡及的対処」の内容と理論構成を整理してみました。(いまいち「遡及」という言葉に対する捉え方が噛み合っていないような気がしましたので。)

  • オープンプロクシを用いた編集は禁止されている。(2006年5月25日初版段階で公式方針
  • Lonicera氏のRfAでは、この方針に基づいて異議申立(制度化はされていない)が肯定されそうだ(現行の状態でも、意義申立、オープンプロクシ票の排除は認められる)。
  • 新ルールによって、もし、異議申立期間が限定されたとしても、新ルールによって過去の投票等に不利益を与えることはできない(法の不遡及)。
  • 「オープンプロクシは使わない」ルール成立後、かつ、異議申立期間を限定するルールの成立・施行前の投票等については、異議申立・再集計を求めることができる。
    • 再集計の際のオープンプロクシ票の扱いは、事情を斟酌することができる(=オープンプロクシからの投票を正当化できる理由があれば、必ずしも当該票を無効とすべきとは限らない)。

というわけで、氏は、いわゆる「法の不遡及」を否定しているわけではないそうです(今回の例を遡及させるのではなく、過去の投票時の段階ですでにできたはずの措置を、今の時点で実行するに過ぎない。)。
で、この論理自体はよく通った論理だなあと私は思っています。ただ、すでに信任された管理者の信任投票に対して異議申立を認めると、再集計によって不信任たときにその管理者が過去に行った管理者権限の行使について重大な問題が生じるので、事情判決の法理のような感じでそのような異議申立は否定すべきとは思います。まあそれでも「これまでの投票でも『投票結果に対するCU』は提案できたわけです。それは、しかし行われなかった。」とするNekosuki600氏の批判は免れないですが。ただそれでも過去に「投票修了後に、CU依頼するなどの異議申立もできるよ」という公式なアナウンスもなかったし、異議申立期間を限定するルールも現段階ではないわけですから(私が見た限りです。もしあったらご指摘いただければ幸いです。)、そのくらい大目に見てあげてもいいのかなという気持ちはあります(管理者の解任も動き出したことですし。)。まあ、実際に再集計が認められたとして、Cave cattumさんが自らの信任投票に対しての異議申立はしないと明言されている以上、再集計を申し立てる方が本当にいらっしゃるかはわかりませんが。(ちなみに、過去の件についても、これからの件についても「すべての件についてCUを行う」ということはどなたも主張されていませんね。)
また、今回の件を踏まえてルールを策定するのであれば(私はすべきだと思いますが)、異議申立期間を限定するのが妥当とは思います(そちらについて詳しくはまた今度)。--わかみん/ 2007年5月18日 (金) 14:51 (UTC)

  • 少し見当違いかも知れませんが、一つの「感想」的な意見として、述べさせてください。「管理者信任投票」においては、一旦確定した信任投票の結果を変更することは不可です。理由を述べると、信任投票は、賛否のそのときどきの状態を見て行われており、プロクシであってもソックパペットであっても、信任するかしないかは、投票が終了して結果が確定した場合、元に戻せないと考えます。「不遡及」というような話ではなく、(あるいは特殊な意味での「不遡及」でしょうが)、先に述べたように、管理者信任投票は、誰が賛否を入れたか分からない状態で投票し、投票締め切り後に開票して集票するというシステムではないからです。つまり、信任か不信任か、結果が予想できる状態で投票が続行されているし、途中で、賛成と反対を入れ替えることも許容されています。不正があった場合でも、進行状態を見ながら投票ができるということは、ある人が不信任になりそうだと見えた場合、その状態が、賛否票の投票に影響を与える(可能性があり)、その逆の信任になりそうだと見えた場合も、また似たことが言えるからです。管理者の信任投票の場合は、不正票があっても、コミュニティがそれを承認したという事実が成立していると言えます。要は信任投票の場合は、投票した人以外に、進行結果を見て、結局投票しなかった有権者が存在するということです。不正票の結果、答えが出たとも言えるが、他方、信任・不信任の結果を見て、それをよしとして承認した未投票の有権者の存在があるという話です(これは、賛否の結果が分かりつつ投票が行われるシステムでは、成立する効果です)。遡及させると、そもそも信任投票が無効になります。--Maris stella 2007年5月18日 (金) 21:29 (UTC)
  • (追加)このような問題が生じると云うことが判明したので、今後は明確なルールを策定することは望ましいことです。しかし、今回の Lonicera 氏の投票も含めて、遡及は禁止です。ルールが確定した場合でも、同じようなシステムの場合は、それも遡及してはならないはずです(僅差で不信任の方には失礼かも知れませんが、反対が僅かに多い。ではおれが賛成を入れようと云う人が出てこなかったことが、コミュニティの判断だということです)。--Maris stella 2007年5月18日 (金) 21:29 (UTC)
    • 「票の動きが見えているのだから、投票結果はコミュニティによって是認されたものだ」という論法には全く賛同できません。その論法に基づくならば、ソックパペットを使った投票はやり放題ということになります。票の動きは明白に見えており、コミュニティは投票結果を是認しているのですから!たとえ票の動きが見えていたとしても、ソックパペットを使った投票結果を「コミュニティは是認していない」ことは、過去のCU依頼における賛成票の多さからも明らかです。当該依頼では私も、対象を限定した上でのCUには反対していません。--Cave cattum 2007年5月20日 (日) 04:07 (UTC)

今回表面化した問題点を踏まえた投票・合意形成についての新ルールの策定について[編集]

(節分ける)というわけで、今回明らかになった問題(CUによる投票のチェックやオープンプロクシからの投票の扱い)を踏まえ、今後の事例に対する対応を明確にするためのルールを策定すべきと思いますが、いかがでしょうか? (当該ルールの遡及云々については、ルールの検討の一部として進めるべきかと思います。)
なお、そのルールについては、適用対象をどのようにするかも考えなければならないかと思います。具体的には、

  1. Wikipedia:管理者への立候補における投票に限定
  2. 日本語版ウィキペディアにおけるおよそすべての投票
  3. 2 + コンセンサス方式による合意形成における意見表明

あたりが考えられるのかなあと思います(1.と2.の間を考えることもできるかと思いますが)。
で、それによってこれからの議論をする場所が変わってくると思いますので、皆様がどのようなお考えなのかをお聞きしたいです。ご意見をよろしくお願いします。(もちろん、そのようなルールの策定は不要であるというご意見でも構いません。)--わかみん/ 2007年5月16日 (水) 14:30 (UTC)

CUによる投票者チェックは過去に他の投票でもなされていると記憶しているので、合意されたことの適応範囲を鑑みるに「すべての投票」またはより広くとっておくのが便利なように思います。ですが、合意を早期に成立させるためにまず管理者への立候補における投票に限定して話をする、ということにも利益があると思いますので、特に強く主張することはしません。--Aphaia 2007年5月16日 (水) 20:06 (UTC)
私も上記のうちどうすべきという主張はありません。1に関しては、Wikipedia:管理者への立候補よりもWikipedia:管理者の解任における投票のほうで今後問題が発生する可能性は高いです。Wikipedia:管理者の解任は、投票開始のタイミングをソックパペット操作側が調整できるので、ソックパペットを用意に準備できるのです。2と3に関しては、Wikipedia:CheckUser依頼など、投票なのかコンセンサス方式による合意形成なのか判然としないものもあります。--Cave cattum 2007年5月20日 (日) 04:58 (UTC)

投票・合意形成制度に関して検討せねばならない問題として、(1)Wikipedia:井戸端/subj/共有IPアドレス使用の投票#共有IPアドレスの問題ではないのですがで議論されている投票資格のあり方、(2)立候補者及び投票者に関するCU、(3)オープンプロキシ経由の投票の扱い、(4)Wikipedia:井戸端/subj/共有IPアドレス使用の投票で議論されている同一IPからの投票の扱い、(5)異議申立制度、(6)Wikipedia:投票の指針の位置づけ(公式方針化すべきか)、があるというのが私の認識です。

全てについて一度に議論するのは大変ですが、着手しやすいところとしては異議申立制度のところであると思います。異議申立制度は現在でもWikipedia:管理者の解任で明文化されていますが、全ての投票に適用される一般法としての異議申立の定めがあると良いと思います(もちろん特別法があれば一般法に優先します)。

具体的な内容としては、異議申立期間は投票終了から1週間以内とすること、異議申立権者及び異議申立プロセスにおいて賛否表明権を有する者は、投票権者及び立候補者・解任動議対象者等に限る(棄権者は可能)とすることなどです。こうしたルールが存在しなかったために、Wikipedia‐ノート:管理者への立候補/Lonicera 20070411では混乱が続いています。--Cave cattum 2007年5月24日 (木) 09:37 (UTC)

ご意見ありがとうございます。議論への参加がしばらく滞ってしまって申し訳ありません。Cave cattumさん、論点をまとめていただき、ありがとうございます。
まず、適用範囲についてですが、当面の間は、「投票」についてのルールということで検討をしていってはどうかと思います。最初からあんまり適用範囲の広いことに手を付けると、合意を見る前に議論が拡散しそうな気がしますので。後々、他のところについても手を付けていければよいかなと思います。
そこで、まずは、Wikipedia:投票の指針を少なくともガイドライン化するようなところまで詰めていければいいのかなあと考えています。その後は、投票全般における指針として公式方針化するか、とりあえず管理者への立候補に的を絞って公式方針化(現行方針に加える)するか、といったところでしょうか。まあウィキペディアにおける一般的な投票が、(おそらく、形式的には)拘束力を持たないのに対して、管理者信任投票については拘束力を持つので、必ずしも同列には扱えないかもしれませんが。
管理者の解任については、現行で割ときっちりしたシステムが構築されているので、ちょっと後回しでもいいかなと思います。また、検討課題についてはCave cattumさんがまとめてくださったあたりでよいのではないでしょうか? さすれば、今後についてはひとまず、Wikipedia‐ノート:投票の指針あたりに場を移すべきではないかと思います。--わかみん/ 2007年5月31日 (木) 12:24 (UTC)

最近、断続的に半ウィキブレイクぎみで申し訳ありません。
上記を踏まえ、Wikipedia:投票の指針のガイドライン化をまず目指してみたいと思います。以後、Wikipedia‐ノート:投票の指針で、Cave cattumさんにまとめていただいた論点について検討していきたいと思います。準備ができ次第、Wikipedia:井戸端_(告知)の方でも告知させていただきます。議論へのご参加をよろしくお願い致します。--わかみん/ 2007年6月18日 (月) 12:06 (UTC)

Wikipedia:合意形成 を早く公式方針にしてください。2007年9月4日[編集]

Wikipedia:論争の解決と同様、Wikipedia:合意形成を公式方針にしないでおいて、管理者さんたちは、これまで一体どんな乱暴な解決の仕方をして来たのでしょうか?、と思います。合意形成ルールを公式方針にしていないということ自体が、既に大問題だと思います。甚だ、いぶかしく思われます。翻訳が不備なのなら、翻訳を完備すれば良いだけの話です。

民主主義は、決して多数決主義でも多数専制主義でもなく、少数意見をも尊重していくのが民主主義なのですが、この程度のことを理解していない人が英語版にも日本語版にもかなりいるということは、もう、十分分かりました。とにかく、正当性や論理性やみんなのより大きな利益という点で勝っている方針のほうが尊重される、尊重されなければならないというのが真の民主主義です。その真の民主主義の部分だけが en:Wikipedia:Consensus として尊重されています。これが極めて重要なルールであることは極めて明らかですので、本家本元と同様、Wikipedia:合意形成 を早急に公式方針にしてください、と提案させていただきます。

追記:民主主義において投票は困った場合の最終手段ですが、最初っからインターネットによる投票で決めようとするなんて、正当性の点だけでなく、手続きとしてもどうかと思います。目安にもならないのではないかと思います。投票の結果によって決めようとするのではなく、内容の善し悪しの程度を一つ一つ考え、利用者全体の利益に最も適(かな)っていると思われるほうに決めるという方向性で正解だと思います。大体、公正な投票と言えるほど、投票に関連しているページに常駐している人は多くないし、国政選挙などとは違って、事前に投票に必要な情報すら報道されていません。したがって、こういう場では、一つ一つ具体的・論理的に議論する以外、ほとんど意味がないと思います。 -- BBBeaver 2007年9月4日 (火) 12:48 (UTC)

合意形成とその後の執行な批判に対して[編集]

ノート:戸田恵梨香の「グータンヌーボでの発言」にてここ合意形成に従い合意形成が行われたために議論終結を宣言しましたが、これを強引な終結、異説を信じることと同様と批判している方がいるために、この合意形成、終結が正しいかどうかの投票を行います。

2007年11月27日 (火) 14:05の版にて合意形成のために一週間の猶予を提案され、一週間過ぎたあとに 2007年12月9日 (日) 03:30の版という反対意見が出されました。 2007年12月10日 (月) 02:44の版という形で合意形成が成立したことを知らせ無効であると伝えました。 2007年12月10日 (月) 03:51の版 では「期限切れというなら取り敢えず承りますが」としながら異論を唱え「記述する理由はありません」としており、 2007年12月10日 (月) 11:04の版で議論の冒頭に「お知らせ。ここにおける議論は合意形成により記述を残す形で決定事項となりました。」としたところ、 2007年12月10日 (月) 23:19の版で強引な終結などと主張されています。 2007年12月11日 (火) 00:09ではここにこれを示すことを表現した後においても不平不満を発言しています。 ギル 2007年12月11日 (火) 00:20 (UTC)

なにが言いたいのかよくわかりませんが(二ヶ月近く放置されているのは他の方も理解できなかったのでしょう)、議論の過程に問題がある場合、そのまま結論としてしまっていいのかという問題提起をしたに過ぎません。また上の発言者は自己に都合がよければ正反対の結論であっても同じルールを貼り付けて反対意見を排除しており、それについても疑問を呈したところ、上記のような激しい反発を示したところです。
ただ、このやりとりを通じて今後問題になると思ったのは合意形成のプロセスで一事不再議が明記されていないため、今回のような方針が半ば無視されたり勝手な解釈が横行しているケースは別として、適正な手段・手法による議論であっても蒸し返される可能性があるのではということです。一事不再議を明記するのが良いのか悪いのか、今の時点ではわかりませんが、可能性として指摘しておきたいと思います。--Mt.Stone 2008年2月7日 (木) 00:49 (UTC)

正式ガイドラインへの移行を提案します。[編集]

本件草案が起草されてから様々な修正を行ってきましたが、討議も煮詰まりこなれた案となってきたと考えます。また、投票の指針も明文化されたことに伴い本ガイドライン案に基づく投票となった場合の制度も確立しつつあり、昨年議論となった部分もクリアしたと考えます。もちろん、時勢の流れにより今後も修正が必要となることもあり得ますがその際は都度修正議論を行えばよいと考えております。取り急ぎ本件は過熱した議論収束の為に早急に求められているガイドラインだと考えますので正式移行を提案します。--Springtide 2008年3月16日 (日) 11:49 (UTC)

(現時点では反対)内容が薄っぺらすぎる気がします。少なくともen:WP:CONレベルまで内容の充実をはかるのが先かと・・・(自分でもやるつもりでいるのですがなかなか手が回らず。。)--青子守歌会話/履歴 2008年3月16日 (日) 13:17 (UTC)
どの部分が薄いですかねぇ?en:WP:CONを見てみると、日本語版におけるWikipedia:論争の解決とかぶる部分もあり、論争の解決のステップ2~4の補足となる資料となりえると考えているのですが。明示していただければ落とし込みはやりますよ、作業ベースまで落とせれば時間のある人間がやればいいだけだと認識しています。--Springtide 2008年3月16日 (日) 17:13 (UTC)
en:WP:CONを読んでも、どうもここjawpの合意形成に書かれていることと内容が大きくかけ離れているような感じだったので利用者:青子守歌/ワークスペース2に英語版の最新版を訳してみました(今のところまだ直訳しただけなので分かりにくいかもしれません)。そうすると、やっぱり内容は大きく違うようですね・・・。そもそも細かな議論の方法まで規定してしまうこともいいことではないと思うので、現在の内容をガイドライン化することにはやはり反対します(利用者:青子守歌/ワークスペース2で示した英語版の項目を叩き台にもう一度考え直すべき)。--青子守歌会話/履歴 2008年3月20日 (木) 18:14 (UTC)
英語版はいくら重ね読みしたところで論争の解決に近いと思うのですが、どうでしょう?要旨の半分以上は論争の解決に記載されており、en:WP:CONの日本版における対象文書は論争の解決と合意形成の組み合わせという理解ですが、相違ありますか?日本版における合意形成はConsensus in practiceに絞ってもいいと考えていますので、このような文章になっていると想定しています。もし、他のセクションもダブって表記してもいいのであればこちらの文書にも持ってきますが。青子守歌さんのずれと感じる部分について今申し述べた理由により既に論争の解決でガイドライン化されているのかなと考えています。細かな議論の方法を規定すべきではないという部分について…こちらはたくさん議論すべきだと思っています。例えば、多数派として存在しているときに「投票に持ち込めば勝ち」なのか「やっぱり投票自体は全員の合意が必要」なのかなど…もうちょっと他の方の意見を待とうと考えます。--Springtide 2008年3月21日 (金) 06:03 (UTC)

素人考えで恐縮なのですが、このガイドライン草案が本当に中立な判断を下す「実効性」があるか正直疑問です。

まず「コンセンサス方式」について。「広く意見を求めるためにコメント依頼を用いる」とありますが、裏返せば現状でも既に「コメント依頼」は存在しているわけです。なのになぜ解決しない論争が多いのかということを是非とも考えていただきたいのです。私の個人的体験(「コメント依頼」に応じたり、利用したり、流し読みしたこと)から気付いた問題点を書きます。

  • (1)「親切な人が少ない」。真に慎重に議論されるべき複雑または感情的な案件ほど「コメント依頼」がつきにくい傾向にあります。はっきりと理由は分かりませんが、WP編集はボランティアです。厄介な仲裁を買って出る人が多くないのは止むを得ないでしょう。またその分野の知識が不足していて二の足を踏むのかも知れませんし、「揉めているのはどちらにも問題がある」との先入観から放置してしまうのかも知れません。
  • (2)「火に油を注ぐ」。依頼を受けてコメントしてくれるのはありがたいが、結局内容の本質を理解しないまま2,3言述べてフェードアウトしてしまう人もいます。その場合、その人の発言を当事者が都合よく解釈したりして、議論がさらにややこしくなることもあるのです。
  • (3)「派閥の問題」。「かなり大きな繋がりを持っている複数のユーザ」が、第三者のふりをして一方を弁護するということもあり得ます。最悪のケースとして、どこかの政治団体が組織的にWP記事を編集していても不思議ではありません。そこまで行かなくとも、同じイデオロギーを持つ人間同士で派閥を作って行動することは十分考えられます。
  • (4)「レフェリー不在」。結局「コメント依頼」で人が増えても、意見を述べる当事者が増えるだけで、レフェリーは存在しないわけです。ここで言うレフェリーとは私見は述べずに議論の司会進行を務め、マナーやWP方針に違反する発言を撤回させる役割です。恐らく過熱する議論の殆どが、レフェリー不在で議論するから「試合のはずが、ただのケンカになっている」のだと思います。

以上のように「コメント依頼」というシステム自体、果たして有効に機能しているのだろうかということを問題提起した上で、結局のところ草案の「コンセンサス方式」も「コメント依頼」に依拠している点を指摘いたします。

「多数決方式」についても(1),(3)が当て嵌まります。また「多数決で決める」が有効に機能するのは、ある程度広い層、関心の薄い層からも十分な投票が期待できる場合であって、でなければ組織票だけで判断が下ってしまいます。

論争がいつまでも解決しない。それが悩ましい問題であることは非常によく分かります。ただそれが解決しないのはこの草案のようなガイドラインが不足しているからではなく、上記の「自分の好きな記事を編集したい人は多くても、仲裁を買って出る人は少ない」という(改善しようのない)ユーザの傾向、さらにはWP上に「能動的かつ主観を交えずに揉め事を裁くレフェリー」が存在しないことにあるのではないかと思います。

海外版に存在する調停委員会などの制定を急いだほうが、効果的なのではないでしょうか。--Yoh-yoh 2008年4月8日 (火) 07:28 (UTC)

コメントありがとうございます。Yoh-yohさんの懸念は気にしておりますが、下名は「レフェリー不在」が議論が終息できない理由とは考えていないのです。「提案者は反対者を押し切ろうとし、反対者は(人によってですが)提案を完全粉砕しようとしている」現状に問題があるかと考えています。別に勝ち負けでWikipediaが左右されて欲しくはないので「行くところまで行っちゃった時の処理」ではなくて「提案者が心がけなければいけない問題」と考えています。
まず、議論発生には二つの状況が考えられます。
  • 何らかの提案を行った場合。 - これについては、「提案に対する反論があった場合、ごり押ししてもダメ」というのが主体だと考えています。なぜなら提案に反対意見が付与された場合「現在の方が利益がある」ユーザーがいるわけで、これに対しては「一週間程度たって反論が収められない場合…」の部分が適用されると思っています。
  • 編集方向の相違。 - これについては「何もしない」という結論が出せないのでどちらかの意見寄りに合わせる、という作業が必要になるかと思います。この場合「投票」でまとまるといいのですが…この場合、もし本項目がガイドラインにある場合「これ以上議論を続けてももはや前進は見込めないので投票しよう。」という介入ができるかと思っています。
司会進行役が何故少ないか…「ここからは間に立って仕切ります」と言えるための拠り所が存在しない事も理由としてあると思います。例えば、このガイドラインにおいて「議論がまとまる気配がなくまたどちらかの意見を採用しなければならない場合、第三者は投票を勧告することができる。勧告者は投票を行うことができない。勧告があった場合、議論参加者は投票を受け入れるか議論そのものからの退場を選択しなければならない。」などとしてみれば、第三者は呼びかけやすくなるかもしれませんね。--Springtide 2008年4月10日 (木) 17:45 (UTC)
議論を早く収束させたい、というお気持ちはよく分かります。その点はむしろ同意します。
しかしその手段が投票というのが気掛かりです。上でも別の方が指摘されているようですが、ネット上での投票が信頼の置ける手段なのかということです。それでなくとも、ソックパペットがどうこうという話をあちこちで聞きますので。また十分多数のユーザから票を確実に得られるという保証があるならいいのですが、当事者3人しか投票せず1対2などという場合、本当に正しい結論が得られるのでしょうか。
さらに極端な例えですが、Wikipediaをイデオロギー的な喧伝の場所にしようとしている集団がいたとして、組織票を投じてくる可能性もあるわけです。Wikipediaがかなり大きな社会的影響力を持ってしまっている以上、そういう最悪のケースも想定すべきなのではないでしょうか。
もしどうしても投票を導入するということであれば、投票権をある程度信頼の置ける人間(例えば管理ユーザ)に絞るか、逆に1人でも多くが投票するよう投票が行われることを利用者に周知徹底するシステムくらいは必要だと思いますが、どうでしょう。--Yoh-yoh 2008年4月15日 (火) 20:32 (UTC)
返事遅くなりました、他の件で忙殺されておりまして…。投票を最終の拠り所にしたくないのは本心では同感です。ただ、「ジャッジ」を作るには管理者に問われる資質とは比較できないほどの厳格さを要求される気がしていて、難しい気がしています。この部分についてもっとアイデアがもらえるとうれしいのですが…今、何らかの依頼や起案をするときに書き込み数と参加期間が問われる事が多いのですが、ここをいじって「依頼するには投票数も考慮」とする、くらいしかアイデアが思いつきません。--Springtide 2008年4月18日 (金) 18:22 (UTC)

>「ジャッジ」を作るには管理者に問われる資質とは比較できないほどの厳格さを要求される気がしていて 確かに仰る通りですね。投票が公平なのか疑問である以上、代わりにジャッジを選ぶにしても、それが結局投票で決まってしまっては似たようなことになりかねませんものね。それを回避するようないいアイデアをすぐには思い付けず、申し訳ないです。

ところで問題提起ついでに。書き込み数や参加期間を重視するというのも、じつは必ずしも安全な方法ではないのかも知れません。社会人で常識をわきまえているんだけれど、その人がWP編集に割ける時間が少ないというだけで軽視されることもあり得ます。また長いこと模範的WP編集者としてたくさんの(自分とは無関係な)記事を編集しておいて、ある程度経って信頼を得てから突然自分の本来の目的である記事でPOVを行う、というずるいやり方も考えられます。ここに来てやはり、WP最大の難点である「編集者の身元が明らかでない点」が影を落としているようにも思えます。※何だか難点ばかり列挙して恐縮ですがけして悪意でなく、「それだけ合意形成プロセスの制定が難しい問題なのだ」と言いたいだけです。ご理解ください。--Yoh-yoh 2008年4月22日 (火) 14:32 (UTC)

問題点がいっぱい出てきているので「難癖付けやがって~」などとは露ほどと思っておりません、逆に塩漬け期間が長すぎる気がしているので色々検討できるようになった事に感謝しております。悪意が無いにせよ、編集に携わり出すプロセスとして、最初は雰囲気とかを探る気持ちがみんなあるでしょうし結構沈着冷静でいられると思うんですよね。これが慣れてくると「地」が出てくると思いますので、最初の頃と全然違うじゃないか、という編集者もいらっしゃるかもしれません。「身元」も「顔」も見られないのはしんどいですね。とはいえ、ウィキペディアがそもそも「性善説」に立たないと成り立たないシステムであり、ガイドラインもあくまでそれに準じて組む以外無いとは思うのですよね。「投票権の付与・剥奪」なんて作ったら…今のブロック状況からして成り立たないのが容易に想像できてしまいますし。面接付きでジャッジ採用とかできればいいのですが。上段でも書いたのですが「議論の際に主張とは別に”落としどころ”を用意しておく」という意識を持ってくれれば、感情的な衝突が多少は減ると思っているのですが「顔を見せなくていい」分相手を慮りにくいという面もあります。--Springtide 2008年4月22日 (火) 17:55 (UTC)
>ウィキペディアがそもそも「性善説」に立たないと成り立たないシステムであり ここが一番の肝になっているんでしょうね。Wikipediaの熱心なユーザの中には性善説でうまく行くと信じている人も多いでしょうし、その人たちは自己責任でしょう。けれど、Wikipediaの与える社会的影響はWikipediaとは無関係の人にまで及び得る気がします。要はWikipediaが果たすべき社会的責任と言いますか。余談ですが、Springtideさんも、そういうことまで危惧して何とか合意形成プロセスを早く制定出来ないかと考えられているのではないですか。--Yoh-yoh 2008年4月23日 (水) 14:15 (UTC)
討論と妥結と譲り合い、これがみんな持ち合えれば性善説で回るのですが、現実考えてしまってはうまく行かないんですよね…でも匿名参加を認めている以上性善説で行きたい、というウィキペディアの理念が伝わってきますしねぇ~「基本は性善説なんだけれども、そうではない人・議論過熱で攻撃性の上がった人に対するルール。」っていう書いてるそばから矛盾だらけの文章に……(汗)。このあたりが最大の障害+ねじれだと思っています。とはいえ、「投票でもしない限り収拾できない議論」は余りにも重い話題ですので、先に提案者がいる議論に対しての部分をガイドライン化できたらな、というのが本音です。青子守歌さんは、en:WP:CONの文章量くらいまで叩いてくれとおっしゃっていますが、そのくらいの記載は既に論争の解決でほぼカバーされており、とはいえその程度のガイドラインでは全然議論が減っていない。なので、ここ合意形成ではもっと先に進むべきかと思っています。そのくらいの決意なのですが、個人的には…。--Springtide 2008年4月25日 (金) 18:21 (UTC)
私は、この提案を保留します。それは、この草案はガイドラインにそぐわない部分があるからです。
なぜなら、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:投票の指針などのガイドラインでは、「解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。(投票の指針 - 調査投票が役立つには より)」と書かれてあります。しかし、この草案では「議論による妥協が図れない場合、多数決方式に移行する。」とガイドラインにことごとく反しています。
私は、「ただこの草案がガイドラインに反しているから」とこの提案を保留するわけではありません。私は、この草案には「正しいウィキペディアの方針にそぐわない」からこの提案を保留します。
しかし、この草案がガイドラインに沿って正しいウィキペディアの方針を示すようになるならば、この提案を支持するでしょう。もしその編集が行われるならば、私は力を尽くします。--Pruqsa 2008年11月8日 (土) 02:06 (UTC)

WP上での合意形成の定義[編集]

現況のWPには「社会的責任」関係のガイドラインはありませんので、基礎的な「一般社会常識」と「WPでの常識」を明らかにしなければと考えます。

何点か挙げると、

  • 原則としてコンセンサスとありますが、本当にコンセンサスが図られているのか?原則ではない場合は何でしょうか。
  • メーリングリストで提案とありますが、管理者投票等で投票を促すことは構わないのでしょうか。
  • 「方針の理解」とは記述されている事を基礎とした延長上なのか。
  • 特定の感情はルールという垣根を越えますが、本当に正しい審判が出来ているのか。書いてることとやっている事は違わないか。
  • 「コミュニティの意思」に、特定の協定は結ばれていないのか。

最近、多数の方から教えて頂いておりますが、コミュニティの意思(気持ち・感情)、好意(善意)を与えたり返報して形成された結束等の融通は書き加えなくて良いのか、と思います。--Global H 2008年6月27日 (金) 11:11 (UTC)

申し訳ありませんが、ここは常識を決めるガイドラインでは無いと考えていますがどうでしょう。
  • 原則=コンセンサス、原則でない=多数決と文書を読んでいけば分かるかと思いますがいかがでしょうか。
  • 投票ページは「投票のために使用するページ」であって「投票すること」になってから使うページですが、それとメーリングリストという前振りとどういう関係があるのでしょうか。
  • 方針の理解という記載がこの項目のどこに書かれているのでしょうか。
  • 書いていることとやっていることが違う利用者がいた場合、コメント依頼なりブロック依頼にかけるシステムになっているのだと理解していますが、ちがいますか?
  • 特定の協定を結んでいても「それがウィキペディアにとって有益」なら別に構わないですし、「派閥禁止」という概念は無いです。
Global Hさんの指摘はこの項ではなく「常識に対するガイドラインも必要では?」というように見受けられます。そういうことであればここではなく、まず井戸端で提起をされた方がよろしいかと思います。少なくとも「合意形成の仕方」を決めるだけのこのページが「ウィキペディアの常識」まで定義していいものではありませんから。--Springtide 2008年6月27日 (金) 15:59 (UTC)
セクション階層を変更しました。--Springtide 2008年6月27日 (金) 16:02 (UTC)
グローバルな社会ですから、社会的枠組みが異なれば常識も異なります。例えば、企業において常識的なことから取り決めた文書がCSR報告書等です。合意の仕方を決める前提には、WPという枠組みの中で「WPの常識」が必要不可欠なものと考えます。
原則ではなく必ずコンセンサスを経過すると理解すればいいのかと思います。文書に「メーリングリストで提案」と書いています。提案の段階と理解しておりますし、管理者投票で参加を促すことがありましたから、どこまで許せるのか、あるいは隠れたことを誰が審判するのかと思います。よく「方針の無理解」という言葉をみかけますが、理解とはいったいどのようなものか疑問に思いました。書いてることとやってる事が違うについては複雑なのですが、体験上で詭弁の類にはよくであってます。Yoh-yohさんも仰っていますけど「ウィキペディアにとって有益」等は誰がジャッジするのか、コミュニティなら参加者の方達はどうなのか、そこには係りたくない人達もいらっしゃる、WPに参加していない閲覧者まで含むあらゆるステークホルダーが判断すると思います。ここで「WPの社会的責任」とは何でしょうか、となります。
以前、ちらっとお尋ねしたのは、上の方で提議している問題込みでSpringtideさんなら正しいジャッジが出来るだろう、多様な知見も成長するだろう、そしてWPの良き発展となるだろう、と私が判断したのです。--Global H 2008年6月27日 (金) 16:56 (UTC)
まず大前提「springtideならジャッジできるだろう」はGlobal Hさんの個人的思いであって誰もが認めてるわけではありません。ですので、現状「ジャッジ」を下名がしていいわけがありませんし、できるわけもないです。できないことを求めないでください。もし、Global Hさんが自らの思いをコミュニティ全体意志として反映させたいのならそういう風になるよう、活動をしてみてください。
文章自体に戻ります。「原則」と書いている理由は「無条件に投票に移行できる」ケースばかりとは限らないからですし、逆にコンセンサスでは「反論がでなければ同意と見なす」と指定しているもののこれとは異なる要件となっているページもあります(例:保護依頼や投稿ブロック依頼では提案者以外の賛成票が必要)。ですから、「原則」なのですが、他にいい言葉があれば置き換えますが「必ずコンセンサスをする」事は今は不可能な状況であります。次に「管理者投票で参加を促す」という事例は知りませんので「許せる・何が審判なのか」などのおっしゃってる意味が理解できません。「メーリングリストに提案してください」の意味を説明しますが、ある他のガイドラインで「メーリングリストが提案をする場所」として記載してありますし、そういう場所があるから載せているだけのことです。「方針の無理解」と何回か記載されていますが、全て他のページでの出来事ですよね。ここは他のページでの出来事を問題提起するページではありません。方針の無理解についての解説を全く行っていないページでないところで疑問提示されるより解説されているページで問題提起した方が遙かに生産的です。--Springtide 2008年6月27日 (金) 17:39 (UTC)
自身の考えを反映させるつもりはないです。常識のズレが著しいことは認識していますね。
「反論がないのは合意とみなす」とコンセンサスの枠組みの中に位置づければ良いと思います。ガイドラインにメーリングリストを載せた時点で、それに関する拘束する・しないことが発生します。方針の理解とはWPの常識的な意識に繋がり、書いてないことはやっていいのか、となりますよ。書いてないことを補完するのが、社会的責任等になりましょう。--Global H 2008年6月27日 (金) 17:54 (UTC)
「反論がないのは合意とみなす」という点は既に書いてありますが、「例外として~の項目については賛成意見が必要」と加えるようにしましょうか。またメーリングリストによる提案をすべき場所も明示しましょうか(これは投稿ブロックされた人の解除依頼などで必要です。)。ただ、末項についてはちょっと言わせてください。普通は書いていないことをやっていいわけが無いでしょう。だからこうやって基準を作っています。「書いていないことはやっちゃダメです。」が普通守るべき社会的責任でしょうから。--Springtide 2008年6月27日 (金) 18:40 (UTC)
この項目、メーリングリストに対する提案となる項目を本文に反映しました。--Springtide 2008年8月14日 (木) 07:58 (UTC)

(インデント戻し)説明がヘタですいません。ちと具体例を用いて努力してみますね。日本という枠組みの中で憲法と法律があります。やっちゃダメは規制を設けます。そこに、反社会的思考を持った人が増える、つまり、規制逃れが多くなると規制は厳しくなります。その一例が悪徳商法でしょう。それとは別にネットワークビジネス等と基礎的な称呼自体を変えているのもありますが、業界自体は容認されています。しかし、問題が発生しない訳ではないので規制はすごく厳しいです。実社会には様々な考えを持った人がいて、問題を起こすような常識が異なる人達もいる訳です。非常識がビジネスになる、という思考は認めますが、その結果、基礎的なことから取決めないといけない社会になったのかなと(主観です)。

また、政策は、通常基本的な枠組みを複数取決めます。その隙間を補完する多様なニッチビジネスがあります。下層レベルで理論がぶつかり解決しないと、上層レベルへ次々移行します。その上層レベルが基礎的(常識的)な問題になるのではないでしょうか。中には悪いことする組織も多発したため、企業として常識(倫理等含む)を問われ、コンプライアンス意識、コーポレートガバナンスCSR等の要件が重要視されているでしょう。国際的には、企業等の組織に対するやっちゃダメからそれはいけないんじゃない?まで基礎的な枠組みとして、国連グローバルコンパクトOECD多国籍企業行動指針、etcがあって、標準の指標となるISOでは「SR:社会的責任」として策定中です。[4]

世の中には「普通守るべき社会的責任」を守っていない人達も多い訳ですよね。個人的に反社会的なこと込みで、それはそれで構わないと思っていますが、社会的枠組みが異なるので、常識は複雑に異なると考えています。国際的な風潮として、組織の常識等はあらゆるステークホルダーに対して情報公開等のコミュニケーションを図る手法が取られているようですよ。WPで、当たり前のことが守られていない一例として荒らし行為がある訳ですよね。因みに、下の文書も気になるところ…

最初、百科事典を作る場で詭弁が見られる事自体ビックリしましたが、今は受け入れています。感情をゆさぶるというか、心理操作技術的じゃないかと思える感触を得た事もあり、最近になって、本当にあたり前の部分で認識が違うと判明したので、WPでの常識を定義しないと次のステップへ進めないと考え、何処まで取り決めたらよいのかと考え、基礎的な定義(ここが難しいと思う)として節を設けました。基準作りは重要な出来事ですからお知らせで広く意見を求めてみましょうか。--Global H 2008年6月28日 (土) 09:53 (UTC)

Global Hさんが仰られること、および意図しているところは、一考の価値はあるかもしれません。しかし、
  • その場に応じた話を
その場の目的(ここだとWikipedia:合意形成に関して)からあまり離れすぎないように、話をお願いします。話によっては、井戸端やコメント依頼を活用する方が適切かもしれません。
  • ポイントを絞って
これは議論を行う上での技術的な話ですが、議論は拡散させすぎないようにして頂けると、読むほうとしては助かります。
お願いします。あと今、「社会的責任」に関する話と「合意の定義」の話が混然一体となっているようなので、一回それらを切り離して考えてみてはいかがでしょうか?「ウィキペディアの社会的責任」に関しては、疑問として井戸端等で各位の考えも聞き、それが明確になってから、必要であれば「合意の定義」もするというのはどうでしょうか?--背番号9 2008年6月30日 (月) 12:06 (UTC)
いつも風呂敷が広がったり、ポイントがズレまくる詭弁の類ばっかりなので、最近ペースを合わす方法を取っていました。「その場に応じた話」と「ポイント絞っていく」ことをしたら、すごくいけないと言われたので…しかも第三者から、被依頼者コメント欄なしの利用者コメント依頼まで提出されました。^^; なお、目的は最初の提議を発端として、混然一体にはなっていませんよ。では、背番号9さんの仰る通り絞ってみますね。
記事中に「原則としてコンセンサス方式」とありますが、これを「必ずコンセンサス方式」とする。あるいは原則以外を明記する。
上記はいかがでしょうか。ちょと、論調がいつもの背番号9さんと違うのでビックリしましたけど^^;--Global H 2008年6月30日 (月) 13:15 (UTC)(修正)Global H 2008年6月30日 (月) 14:42 (UTC)
そうなんですね、前半部分に関しては了解です。曲解していたらすいません。
「必ずコンセンサス」という表記には、反対です。言いたいことは分かりますが、こういう原理的な表現は、ルールの悪用もされやすいので、特に注意が必要かと。極端を言えば、ある利用者が自分の意にそぐわない意見に、たった一人でずっと反対を繰り返していけばどうなります?「原則は全員一致が望ましいんだけどね…」という逃げ道を用意しておくのも、現実的な運営を考えると必要かなと。
原則以外の方法を明記することには、今のところ反対しません。賛否はその内容しだいです。その内容をつめるのなら、確かに各位の意見の集約が必要かと思います。あと、せっかくなんで英語版en:WP:CONも参考にしてみるといいと思います。--背番号9 2008年6月30日 (月) 15:30 (UTC)

何日待てばよいのか[編集]

議論の期間として、

合理的な期間〔軽微な案件で議論開始から24時間(約1日間)、中程度の案件で同72時間(約3日間)、重大な案件で同168時間程度(約7日間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。

とありますが、1〜3日待って異論がなかったため「合意」と判断して実行に移したら「ちょっと待った、それは急すぎる」とどの議論でも指摘されてしまいます。その案件の重大度が個人個人の考え方によって異なっているのが原因だと思われます。つまり、実行に移した側からはそこまで深刻な案件ではないと考えていても、他の人からしたら重大なものであり、このギャップがちょっとした軋轢を生んでしまうといいうことです。もしかしたら、軽微であろうと中程度であろうと全ての議論は7日間を合理的な期間とすべきなのかもしれません。皆様はどのようにお考えでしょうか。--Avanzare 2008年7月23日 (水) 13:40 (UTC)

合理的に急ぐ理由がなければ、だいたいのケースで168時間待ちが妥当かと思います。急ぐ場合でも、少なくとも72時間は見たほうが良いかと思います。それも後だしではなく、72時間規定を適用することをあらかじめ宣言した上で実施した方が適切かと思います。--背番号9 2008年7月24日 (木) 05:51 (UTC)
合理的な期間を「原則168時間」として「それに対する意見交換が活発な場合」に短縮を諮ることができる、とかにしてみます?諮った結果にも文句が出てしまいそうではあるのですが…。--Springtide 2008年7月24日 (木) 06:53 (UTC)
コメントします。「原則168時間」規定は有用かもしれませんが、その例外規定「意見交換が活発な場合」に関しては、短縮する必要があるのかという正当性がないような気がします。「急ぐ必要がある、だから急ぐ」としないと、合意形成の承認期間の短縮に関しては、常に反対意見がともなうかと存じます。--背番号9 2008年7月24日 (木) 08:26 (UTC)
確かに、168時間待ちましょうというルールにした場合にはほとんどの議論ケースにおいて「待てばいいじゃないか」で終わる気はしますね。--Springtide 2008年7月27日 (日) 00:45 (UTC)
原則ではなく必ず168時間待ちとするか、それより短い時間で実行する場合には背番号9氏の言われているように予告することが適切かと思いますので、「その案件がどの程度重要かは編集者の判断にもよるため、168時間より短い時間で実行する場合には、予め予告を必要とする」というような一文を挿入すること、このどちらかが妥当だと思います。--春日椿 2008年7月29日 (火) 01:34 (UTC)

それではここでの議論を踏まえ、合理的な期間を「通常は168時間程度(約7日間)が妥当でしょう」と改めようと思います。しばらく時間をおいたのち、反対意見が出ない場合にはこのように変更いたします。--Springtide 2008年8月5日 (火) 15:16 (UTC)

反対意見が出ませんでしたので合理的な期間を通常168時間程度として変更いたしました。--Springtide 2008年8月14日 (木) 07:56 (UTC)
対処確認しました。--春日椿 2008年8月14日 (木) 16:27 (UTC)

「合意の尊重」と「議論の再提起」について[編集]

文中に「合意の尊重」と「議論の再提起」についてが抜けていると思われます。議論の末になされた合意は尊重され、その合意の変更には十分に合理的な理由の提示と慎重な議論が必要であると記載しておいた方がよろしいかと思われます。--Los688 2008年9月26日 (金) 15:09 (UTC)

合意形成の説明の置き換え案[編集]

en:Wikipedia:Consensusの"Consensus-building"を訳してみました。重要な変更点として「多数決方式」を認めないことがあります。いろいろな意見をお願いします。--Sweeper tamonten 2009年6月15日 (月) 09:49 (UTC)

(セクション)合意形成

合意は関与する人たちの同意から生れます。それは議論、編集いずれか単独の作業より、その両方を連携させた作業で得られる機会が多くなります。合意は共同作業について礼儀正しく誠実な努力を行う編集者間のみに役立ちます。合意を形成している際には中立性に対して特に注意しなくてはなりません。つまり、誰もが同意できる案になるように活動する際には中立を維持するということです。

編集者が相違を解決するためにいくつかの処理が求められます:

一度に多すぎる編集者を勧誘しないようにしてください。

透明性を確保するため、合意はウィキペディアの議論のページ以外では成されることができません。別のウェブサイト、ウェブ・フォーラム、あるいはインターネット・リレー・チャットなどといったウィキとは別の場所における議論は合意を決定する際に考慮されません。

(サブセクション)編集作業の結果としての合意

編集が行われた際には他の編集者はその編集を承認するか、変更するか、あるいはリバートするかの選択肢を持っています。これらの選択肢は必要な場合に議論されます。

誰かがページを編集するとそのページの閲覧者には3つの選択肢があります。つまり、その編集を承認するか、変更するか、あるいはリバートするかということです。記事を中立で理解しやすいものとするために合意の繰り返しが何回も行われます。他の編集者があなたの意図をすぐに認めないならあなたと他の編集者の意図を統合できるような合理的な変更を考えて編集するか、あるいはそれらの意図について議論してください。これは編集の要旨として記事ページのノートページで、あるいは他の編集者への伝言として利用者ページに用意されたノートページもしくは井戸端のような他の広く読まれるページで実行できます。

要約欄は有用であり、編集による記事への変更の要約あるいは編集者が行った変更の理由の説明が含まれるべきです。短い要約は要約のないことよりましです。編集の理由がはっきりしないと編集者がリバートを行うこともよくあることですし、特に記述が加筆されたり削除されたりする場合にはその傾向が顕著です。長い説明を提供するためにはノートページを利用して要約欄に「ノートページ参照」と書き残してください。

編集合戦は記事の成長ではなくページ保護の原因となります。

(サブセクション)ノートページにおける合意形成

編集は大胆に行ってください。ノートページは記事の成長を議論したり、記事の編集に関係する合意形成のためにも利用することができます。この大胆な編集、リバート、議論の三つの繰り返しはウィキペディアに共通するテーマです。ウィキペディアは基本方針とガイドラインの変更には他の記事より多くの参加と合意を要求します。合意が難しい時には独立の、あるいは経験を積んでいる編集者がその議論に参加する必要がある場合もあります。編集合戦あるいは破壊的な編集が記事の編集を妨げる時、あるいは合意が不可能な時には論争の解決が利用できます。

(サブセクション)コミュニティの議論

合意は共通の目的のために積極的に作業する関係者間の協力です。

— ウィキペディアの共同創始者ジミー・ウェールズ

コミュニティの議論はお知らせコメント依頼などのページで起こされます。これらは合意を形成し、その合意に基づく妥当な行動をするためにその参加者による協力的取り組みとよく考えられた入力を求めます。

合意を決定するには、最終的な立場の変化、賛成しない人たちの反論、および利用できるならプロジェクトの名前空間内の既存文書を含めて論点の重要性と品質を考慮してください。少数意見は典型的に本物の懸念を反映し、その(厳格な)論理は大多数の論理(考え方)に勝ることがあります。合意について慣れていない新しい利用者は投票が行われるなら、それは議論の終わりより、むしろ始まりに頻繁に行われるという傾向を理解しなくてはなりません。編集者は議論の中で成果を決定します。

調査投票は投票ではなく、構造化された議論です。単なる投票というものではない調査投票の機会において論拠が提供されると意見の重要性が増します。他の人にあなたの意見を納得させてください、そして彼らにあなたを納得させる機会を与えてください。単に論争的であるだけでは他の人を納得させることは滅多にありません。

(サブセクション)合意は多数側のものではありません
編集者はフォーラム・ショッピングによって合意が変化している様子を演出することが簡単にできます。 つまりフォーラム・ショッピングによって問題を議論する異なった、しかもより共感するグループを求めることが再度行われます。これは合意を変更する間違った例であり、ウィキペディアの活動方法の対極にあるものです。ウィキペディアはその決定を参加し投票する人の数に基づかせることはありません。我々は正当な理由によるシステム運営を行います。

同時に、新たな見識と議論を求めてより多くの人々を議論に招くことは普通のことです。しかし、その招待の表現は中立であり、合理的に中立なグループに通知されなくてはなりません。例えばその議題に対して活動的な編集者全てに通知するか、関連するウィキプロジェクトの伝言板に掲示することです。(fr. en:Wikipedia:Consensus)

一週間待ちましたが異議が出ないので本文に反映させました。--Sweeper tamonten 2009年6月24日 (水) 02:51 (UTC)

議論の期間について[編集]

もしも私の不勉強であればお許しください。2009年6月22日 (月) 01:24時点における版までコンセンサスのとりかたが記されておりその中に「提案に異論が投げかけられた場合には議論のプロセスに入ります。合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」という文言がありました。しかし現在の版には以前記されていた「合理的な期間」が記されておりません。この「合理的な期間」が定められてしまうのは不都合があるのでしょうか?できればこの「合理的な期間」が復帰できればと思いますがいかがでしょうか?--Tokyodesert 2009年11月19日 (木) 10:56 (UTC)

上の節に参加していたものです。読み返しましたが、期間に対して疑問は出ているものの、特に2回目以降の議論について、たまたま不在だった間にひっくり返されてはたまらないというものであり、その議論は止まったまま。一部英語版の文章に置き換える提案(いつのまにかそんな提案になっていたんですね)内でも、期間を除去するという話は出ていませんでした。なので、再度記述することは問題がないと考えます。
あとは、それをどこに書くのが良いかということですが、「合意形成」の節の、別のページについて語っているところの前が良いと思います。--春日椿 2009年11月19日 (木) 17:02 (UTC)
以降ご意見がありませんので、「合理的な期間」の復活について反対がないものと認め、本文へ復活したいと思います。--Tokyodesert 2009年11月30日 (月) 11:22 (UTC)