Sayaca
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1996年よりタンゴを唄い始め、2002年より単独でブエノスアイレスに在住、2008年に帰国。これまで世界各地のタンゴフェスティバルに出演。
現在は、企業向け英語・異文化等のグローバル研修講師業を兼ねながら、独自のペースとスタイルで音楽活動を続けている。
人物・来歴[編集]
東京都出身。商社マンの父親の仕事で、幼児期よりニューヨークや北中南米の国々、リマ(ペルー)、メキシコシティで過ごす。父親の影響で、タンゴやジャズ等を聴きながら育つ。
文化学院高等課程英語科、および上智大学比較文化学部卒業。
クラシックバレエ、絵画、バイオリン、ピアノ、フラメンコ舞踏に親しんだ後、1996年京都のタンゴアンサンブル ‘アストロリコ’ にスカウトされ歌手 デビュー。
1996年9月ウルグアイで行われた、‘第3回世界タンゴサミット’及び南米4カ国に渡るツアーにアストロリコと共に出演。
1999年より、‘小松真知子とタンゴクリスタル’との活動を開始。
国内外での様々なライヴ、コンサートに参加後、2002年から2008年までブエノスアイレスに在住。
その期間、ピアソラ元夫人アメリタ・バルタール、パトリシア・アンドラーデ、ギジェルモ・フェルナンデス、リディア・ボルダ、ノラ・ファイマンに師事。
2004年‘ 第6回ブエノスアイレス タンゴフェスティバル’ 出演。
2005年 ‘第1回世界タンゴフェスティバル’(アルゼンチン、サンルイス)出演。
2006年 初のソロアルバム ’Cada vez que me recuerdes’(邦題:私を想いしてくれる度に)をディエゴ・スキーシー(pf)、カルロス・コラーレス(bn)と共に現地録音。 アルゼンチンのタンゴレーベル最大手 ’EPSA music’と契約。
2007年1月 ’第7回世界タンゴサミット’(チリ、バルパライソ)出演。
同年2月 ‘第9回ブエノスアイレス タンゴフェスティバル’ 出演。
2008年 タンゴユニット ‘2 x 4 Tokio’ (ドス・ポル・クワトロ・トキオ) のリードメンバーとして、ブエノスアイレス市内 ’ La Casa del Tango’ 、‘フェルナンデス・ブランコ博物館’ でのコンサートに参加。
2009年 ’第8回世界タンゴサミット’(アルゼンチン、バリローチェ)に、‘2 x 4 Tokio’ として出演。
同月ブエノスアイレス市内の ‘Bar Sur’ 及び ‘Biblioteca Nacionál’ でのライヴ、コンサートに参加。
帰国後、一時活動を休止するものの、2011年より活動再開。
2011年 バンドネオン演奏者 小松亮太 が挑んだ ’ブエノスアイレスのマリア' (ピアソラ/フェレール)の マリア代役に抜擢されるが、公演は延期。
2013年より 小松亮太 ’ブエノスアイレスのマリア’ 公演 日本人キャスト版 マリア役で参加。
2016年 テレビ朝日「題名のない音楽会」に出演。 Trio Celeste とのユニットアルバム 'Trio Celeste & Sayaca' 録音、発表。
2018年 ソロアルバム'Cada vez que me recuerdes' の日本盤「私を想い出してくれる度に」を再リリース。
ディスコグラフィー[編集]
アルバム[編集]
参加作品
- '日本からブエノスアイレスへ... '(オルケスタ・アストロリコ)
- 'Baile de Tango' (小松真知子&タンゴクリスタル)
- 'Tierra querida' (青木菜穂子)
- 'Trio Celeste & Sayaca' (Trio Celeste & Sayaca)
自作作品
- 'Cada vez que me recuerdes' (Sayaca)
- '私を想い出してくれる度に' (Cada vez que me recuerdes 日本盤) (Sayaca)