検索結果
このウィキでページ「続変化大名」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 素浪人日和(1954年) 母の秘密(1954年) 爆笑天国 とんち教室(1954年) 暗黒街の脱走(1954年) 快傑まぼろし頭巾(1954年) 変化大名(1954年) 続変化大名(1954年) 一寸法師(1955年) 息子の縁談(1955年) のんき裁判(1955年) 青龍街の狼(1955年)…9キロバイト (1,197 語) - 2024年5月16日 (木) 17:45
- かくて夢あり(1954年、日活) 国定忠治(1954年、日活) やくざ囃子(1954年、東宝) お坊主天狗 前・後篇(1954年、東映) 変化大名(1954年、東映) 続・変化大名(1954年、東映) 恋天狗(1955年、東映) 隠密若衆(1955年、新東宝) 大利根の対決(1955年、日活) のんき裁判(1955年、新東宝)…12キロバイト (1,380 語) - 2023年11月15日 (水) 14:38
- この時代は、牢人となって幾つもの大名家を渡り歩く武士が多く、中には大名にまで出世する者もいた。藤堂高虎はその生涯に10の主家に仕えている。 豊臣秀吉が天下を統一して、戦乱の時代が終息すると、牢人をとりまく状況が変化した。各大名家は多くの家臣を召抱える必要がなくなってきた。関ヶ原の戦いで東軍の徳川家康が勝利すると、西軍についた大名…11キロバイト (1,909 語) - 2024年1月26日 (金) 11:43
- 大名は、外様大名として扱われ、広大な領土を持つ者もいたが、関東や近畿地方などの要地からは遠ざけられ、従前の武家政権のように幕政に関与することはなくなった。徳川氏一門の親藩大名は大領を持ったが幕政には関与せず、関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた譜代大名…115キロバイト (17,507 語) - 2024年5月17日 (金) 07:25
- 義教の急死により息子の義勝が幼少にて7代将軍となるが、在職1年で早世した。義勝の死後、8代将軍足利義政が就任する。幼少の将軍が続いたため有力大名による合議で幕政が運営された。 関東で鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺したことに端を発し享徳の乱が勃発すると、義政は成氏への対抗策と…52キロバイト (9,174 語) - 2024年5月8日 (水) 08:51
- 0余町の内、町方分1200余町、寺社門前地分400余町で、他に大名上屋敷265ヶ所、中屋敷・下屋敷466ヶ所、「神社凡そ200余社」「寺院凡1000余所」との記述がある。 町奉行の管理領域だけでなく、「江戸御府内」の範囲も時代によって変化があり、特に寺社門前地をどう取り扱うかについては幕府役人の間で…55キロバイト (8,642 語) - 2024年3月3日 (日) 23:52
- 『雪之丞変化』(1959年、演:阿部九州男) 『わんぱく公子』(1960年、演:志摩靖彦) 『雪之丞変化』(1963年、演:尾上栄五郎) 『女犯破戒』(1966年、演:菅貫太郎) 『大奥絵巻』(1968年、演:田村高廣) 『色暦大奥秘話』(1971年、演:神山勝) 『徳川セックス禁止令 色情大名』(1972年、演:田中小実昌)…40キロバイト (5,159 語) - 2024年4月12日 (金) 02:04
- れるようになっていった。このような一元的支配を一円知行というが、こうした動きは室町時代に入ると一層加速していき、守護大名による守護領国制が形成され、さらに戦国時代の戦国大名による大名領国制へ発展していった。 その中で、様々な主体が担っていた所領支配は、武士の手中へと収まっていき、「知行」の語は、武…6キロバイト (1,087 語) - 2022年5月31日 (火) 04:35
- 69年7月25日)の行政官達第五四二号で公卿(公家の堂上家)と諸侯(大名)の称が廃され、華族と改められた。この時以降華族令制定以前に華族に列した家を「旧華族」と呼ぶことがあった。また旧公家の華族は「堂上華族」、旧大名の華族は「大名華族」と呼ぶこともあった。 旧華族時代には爵位は存在せず、世襲制の永…157キロバイト (25,449 語) - 2024年5月12日 (日) 15:53
- 黒い潮(1954年、日活) - 院外団の男・小磯 赤穂義士(1954年、大映) - 大石内蔵助 大名シリーズ(東映) 変化大名(1954年) - 大和田外記 やくざ大名(1956年) - 松平兵部 あばれ大名(1959年) - 本多佐渡守 近松物語(1954年、大映) - 大経師以春 いれずみ判官シリーズ(東映)…32キロバイト (4,281 語) - 2024年3月23日 (土) 13:17
- 徳川家康 (カテゴリ 戦国大名)徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体:德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名、江戸幕府初代将軍。徳川氏(将軍家、御三家など)の祖。三英傑の1人に数えられる。誕生時に高祖父の松平長親が存命であり、家康自身の存命中には三保姫や蜂須賀忠英や小笠原長次や有馬康純などの沢山の玄孫がい…274キロバイト (45,179 語) - 2024年5月15日 (水) 07:58
- 佐竹氏 (カテゴリ 外様大名の氏族)突入した後も佐竹氏の常陸統一は困難を極め、戦国大名化も遅れた。 戦国時代になると、佐竹氏第15代当主で「中興の祖」と呼ばれた義舜が現れ、佐竹山入家を討ち、佐竹氏の統一を成し遂げ久慈川以東の常陸北部の制圧に成功した。しかし、相変わらず江戸氏は不穏な動きを続け、更に山入家との戦いの間に独自性を強めた小場…49キロバイト (4,689 語) - 2024年5月3日 (金) 08:49
- 織田信長 (カテゴリ 戦国大名)織田 信長(おだ のぶなが)は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。戦国の三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)出身。織田信秀の嫡男。家督争いの混乱を収めた後に、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、勢力を拡大した。足利義昭を奉じて上洛し、後には義昭を追放することで、畿内を中心に独自の中…285キロバイト (44,065 語) - 2024年5月16日 (木) 08:24
- 後に領主は国という形態が自己組織化の圧力もあって、次第に極大で各々の民衆の想像を絶するほどの政治的システムに変化する過程で取り込まれていったが、その多くは幾らかの自治権を保持し続け、地域の様々な産業に関与、地域の繁栄も困窮も領主の腹一つで決まる部分も根強く残った。…12キロバイト (1,973 語) - 2023年2月20日 (月) 08:57
- 『紅顔秘帖』同人社 1957 『紅顔夜叉』光文社 1957 のち春陽文庫(山手)「姫さま変化」コスミック時代文庫 『巷説水戸黄門』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1957 のち春陽文庫(山手) 『大名囃子』東京文芸社 1957 のち春陽文庫(山手)、双葉文庫、「若さま人情剣」コスミック時代文庫…29キロバイト (4,165 語) - 2023年11月20日 (月) 04:06
- ← 女がた 滝夜叉譚 → 『雪之丞変化』(ゆきのじょうへんげ) 新しき敵 作者:三上於菟吉 底本:昭和35年8月5日新潮社発行『雪之丞変化(上)』 脇田一松斎道場は、森閑としていた。 丁度、昼間の稽古(けいこ)が済んで、夜稽古は、まだ始まらぬのであろう。 雪之丞が訪うと、直ぐに、書斎に通された。武芸
- ります。この時代を「戦国時代」と言います。 戦国時代にあっては、世襲の守護大名に対して、実力のある家臣などが大名の地位を乗っ取ることがしばしば見られました(下克上)。このように実力で大名となり、周囲の大名と争った大名を戦国大名と言います。また、長槍・投石など単純な兵器を軽装で扱う兵士(足軽)を大量に