十六歳の戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
十六歳の戦争
監督 松本俊夫
脚本 山田正弘
松本俊夫
製作 山口卓治
出演者 下田逸郎
秋吉久美子
音楽 下田逸郎
撮影 押切隆世
編集 浦岡敬一
配給 サンオフィス
公開 日本の旗 1976年8月19日
上映時間 94分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

十六歳の戦争』(じゅうろくさいのせんそう)は、1973年製作1976年公開の松本俊夫監督の日本映画秋吉久美子の初主演の映画でもある。

あらすじ[編集]

1973年の夏のある日、有永甚はふと愛知県豊川という町で、埴科あずなという十六歳の女子高校生と出逢う。お互い好意を持ち、彼女の薦めで彼女の実家で過ごすこととなる。あずなの父は工場を経営している。

埴科あずなは突然、ガス栓を開けて自殺を図ったり、甚の目の前で全裸になり川で泳ぐこともするような、とても個性的な女の子であった。甚は、彼女の母親の保子が、甚の亡くなった母親とほぼ同じ年齢であることを知る。

ある日突然、あずなの叔父である岡治芳男が有永甚を襲う。叔父は精神を病んでいて、終戦記念日が近づくと暴れだす。

8月7日、豊川市では恒例の慰霊祭が行われていた。1945年8月7日、アメリカ軍により豊川海軍工廠が爆撃され、学徒動員された女学生も含め二千四百人以上の工員が亡くなったという悲劇があり、豊川空襲として伝えられている。このことを記憶に留め慰霊する催しであった。

甚は、保子が豊川女子挺身隊の一員で、甚の母親である有永みずえの友人であったことを知る。みずえの霊は自身に顔のそっくりなあずなに憑依し、甚と語りあう。そのとき甚は、みずえもまた豊川空襲の際、十六歳で赤ん坊を残して無念ながらに死んだこと、また、その時残された赤ん坊が自分であることを知る。

スタッフ[編集]

  • 製作:山口卓治
  • 監督:松本俊夫
  • 脚本:山田正広、松本俊夫
  • 撮影:押切隆世
  • 音楽:下田逸郎

キャスト[編集]

エピソード[編集]

  • 映画『十六歳の戦争』は、豊川空襲の犠牲者の慰霊のため豊川市が出資して1973年に撮影され、1974年に公開の予定であった映画であったが、難解という理由で公開が1976年にずれた。
  • 主な舞台は1973年ではあるものの、1945年の豊川空襲の場面のシーンがある。
  • 秋吉久美子がヒロインとして登場する第一作目の映画である。脚本でヌードシーンがあるのを知り、納得して演技したとしている。
  • この映画の完成時の1973年の時点では主演者の下田逸郎のほうがフォーク歌手として知名度があったが、公開された1976年には、秋吉久美子は『バージンブルース』『赤ちょうちん』などの出演で知名度があった。
  • 挿入歌「16才の悲しみ」は、制作当時にNHK総合テレビで放送されていた音楽番組『ステージ101』のレギュラー出演グループのヤング101に在籍していた青木マスミ(八月真澄)が歌っている[注釈 1][1]

DVD[編集]

  • 十六歳の戦争 エスピーオー(販売元) 2004年2月27日発売 ASIN: B000194U10

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15)。

注釈[編集]

  1. ^ 1973年12月に青木ますみ名義のシングルとして発表された(コロンビア、P-325)。

参考文献[編集]

  • 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15)

外部リンク[編集]