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このウィキでページ「十三の眼」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 松田定次 (カテゴリ すべてのスタブ記事)国定忠治(1946年) 七つの顔(1946年) 闇を走る馬者(1947年) 十三の眼(1947年) 宵祭八百八町(1947年) 三本指の男(1947年) 木曾の天狗(1948年) 二十一の指紋(1948年) 五人目の目撃者(1948年) にっぽんGメン(1948年) 黒雲街道(1948年) 三十三の足跡(1948年)…15キロバイト (1,825 語) - 2024年3月12日 (火) 12:16
- お葬式 (カテゴリ 伊丹十三の監督映画)『お葬式』(おそうしき)は、1984年公開の日本映画。伊丹十三の初監督作品。 厳粛な儀式であった葬儀を取り上げた作品で、初めて出す葬式に右往左往する家族と周囲の人びとの姿をコミカルに描き、暗いタイトルにもかかわらず作中には笑いが溢れるギャップが大きな話題を呼んだ。そのタイトルだけでメジャー映画会社…18キロバイト (2,745 語) - 2024年4月1日 (月) 00:07
- 喜多川千鶴 (カテゴリ 日本の女優)槍おどり五十三次(1946年) 七つの顔(1946年) 闇を走る馬者(1947年) 天下の御意見番を意見する男(1947年) 田之助紅(1947年) 十三の眼(1947年) 宵祭八百八町(1947年) 東京の夜(1947年) 素浪人罷通る(1947年) 博多どんたく(1947年) 木曾の天狗(1948年)…8キロバイト (1,133 語) - 2022年12月6日 (火) 02:45
- ノー・ガンズ・ライフ (カテゴリ 漫画作品 の)復興庁拡張者対策局(EMS)局長の女性。十三とは顔馴染みであり、十三の起こした問題を揉み消す度に十三に言うことを聞かせる取り決めをしている。士官学校を首席で合格している。父親は軍警察に勤めていた。頻繁に開封している缶詰めは強烈な臭いを発するものであり、自身も臭いと思ってはいるもののストレス発散の…51キロバイト (6,256 語) - 2023年10月22日 (日) 22:54
- 『七つの顔の男』(ななつのかおのおとこ)は、1967年10月29日から1968年1月21日まで、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列にて放映されたテレビドラマ。全13話、モノクロ作品。 片岡千恵蔵主演により、大映、東映で製作された映画『多羅尾伴内』シリーズの内、第1作『七つの顔』、第2作『十三の眼…6キロバイト (371 語) - 2023年9月24日 (日) 04:10
- 『十三支演義 〜偃月三国伝〜』(じゅうざえんぎ 〜えんげつさんごくでん〜)は、アイディアファクトリー(オトメイト)より2012年5月24日に発売されたPlayStation Portable専用恋愛アドベンチャーゲーム。中国の古典『三国志』をテーマにしている。 2014年4月17日に続編『十三支演義…23キロバイト (2,916 語) - 2023年11月15日 (水) 03:16
- 少年倶楽部 (カテゴリ 講談社の雑誌 (休廃刊))の臨時増刊には、四六倍判やB5判もあった。1924年からの十年余、斎藤五百枝が、表紙を描いた。 1933年、須藤憲三が編集長になってからも一本調子に、1936年の75万部まで伸びてダントツになったのには、漫画と組み立て付録の人気もあった。 田河水泡の『のらくろ』を1931年から、島田啓三の…15キロバイト (2,085 語) - 2024年3月12日 (火) 13:50
- 南部彰三 (カテゴリ 出典を必要とする記述のある記事/2022年8月)(1929年、日活太秦) - 村井直哉 霧の夜の客間 (1932年、日活太秦) - 君村 受難華 (1932年、日活太秦) - 守山 青春よいづこ (1933年、日活太秦) - 松村孝一 シンガポール總攻撃 (1943年、大日本映画京都) マライの虎 (1943年、大日本映画東京) - 安田 十三の眼 (1947年、大映京都)…12キロバイト (1,397 語) - 2023年10月17日 (火) 10:19
- 坂東三十三観音(ばんどうさんじゅうさんかんのん)は、神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県の1都6県にまたがる33か所の観音霊場である。 源頼朝によって発願され、源実朝が西国三十三所を模範として札所を制定したと伝えられている。第一番札所の杉本寺から第三十三番札所である那古寺までを巡拝すると、その道程は約1…13キロバイト (335 語) - 2024年5月6日 (月) 21:31
- 修心流居合術兵法 (カテゴリ 出典のページ番号が要望されている記事)九本目 冠落(表・裏) 十本目 鐔留(表・裏) 十一本目 巻上(表・裏) 十二本目 袈裟崩(表・裏) 十三本目 抜落(諸手・片手) 一本目 中住別剣(順・間) 二本目 清眼左足(表・裏) 三本目 清眼右足(表・裏) 四本目 両手切 五本目 浦之波 六本目 清明剣 七本目 突風 八本目 奪刀 一本目 払上…7キロバイト (1,168 語) - 2023年8月2日 (水) 23:23
- のは13教派だったので、かつては神道十三派(しんとうじゅうさんぱ)とも表現された。 広義には、戦後に「教派神道連合会」に新たに加入した「大本」も含む。(戦後に「大本」が「教派神道連合会」に新たに加入し、逆に「天理教」と「神道大成教(英語版)」が離脱したため、現在「教派神道連合会」所属の教派は、12教派となっている。)…35キロバイト (5,575 語) - 2024年5月9日 (木) 21:21
- 片岡千恵蔵 (カテゴリ 戦前の日活の俳優)多羅尾伴内(藤村大造) 七つの顔(1946年、大映) 十三の眼(1947年、大映) 二十一の指紋(1948年、大映) 三十三の足跡(1948年、大映) 片目の魔王(1953年、東映) 曲馬団の魔王(1954年、東映) 隼の魔王(1955年、東映) 復讐の七仮面(1955年、東映) 多羅尾伴内 戦慄の七仮面(1956年、東映)…54キロバイト (8,255 語) - 2024年5月7日 (火) 10:06
- 多羅尾伴内 (七つの顔を持つ男 多羅尾伴内からのリダイレクト)の顔』『十三の眼』『二十一の指紋』『三十三の足跡』の4作品で打ち切りとなった。たしかに批評家たちがいうように、「多羅尾伴内」ものには荒唐無稽な印象がある。しかしながら、大戦後の貧しい復興期にあって、多くの観客は映画に対して理屈っぽさよりもむしろ理屈抜きの痛快さを求め、それが多羅尾伴内の大ヒットにつながったと考えられよう。…40キロバイト (4,767 語) - 2023年8月16日 (水) 07:18
- 辰巳ヨシヒロ (カテゴリ すべてのスタブ記事)密林巨人(鶴書房、1954年) ビックと豆の木(鶴書房、1954年) 南海のQ島(鶴書房、1954年) 七つの顔(日の丸文庫、1954年) 鉄腕げん太(東光堂、1954年)※大和義郎名義 十三の眼(日の丸文庫、1954年) ピカドン先生(日の丸文庫、1954年) 21の指紋(日の丸文庫、1954年) 木刀先生(日の丸文庫、1955年)…26キロバイト (3,660 語) - 2023年12月3日 (日) 00:35
- 伊達三郎 (カテゴリ 日本の男優)素浪人罷通る(1947年) 十三の眼(1947年) - 溝部刑事 壮士劇場(1947年) - 森健吉 婦人警察官(1947年) 生活の樹(1947年) 三十三の足跡(1948年) 手をつなぐ子等(1948年) 地下街の弾痕(1949年) 待っていた象(1949年) 月よりの使者(1949年) 天狗飛脚(1947年)…33キロバイト (4,788 語) - 2023年11月13日 (月) 10:40
- 静かな生活 (カテゴリ 伊丹十三の監督映画)の連作小説である。『文藝春秋』1990年4月号に掲載された表題作をはじめ6編からなり、同年10月に講談社より刊行された。のち講談社文芸文庫。 『新しい人よ眼ざめよ』で描かれたテーマであるイーヨーとの共生を、あらためて妹の視点から照射している。 「静かな生活」『文藝春秋』1990年4月 「この惑星の捨て子」『群像』1990年5月…8キロバイト (1,156 語) - 2023年6月7日 (水) 08:30
- 名古屋市 (カテゴリ 1889年設置の日本の市町村)荒子観音 - 尾張四観音、尾張三十三観音霊場 第12番 栄国寺 円通寺 圓頓寺 円福寺 大須観音 - 尾張三十三観音霊場 第1番 笠寺観音(笠覆寺) - 尾張四観音、尾張三十三観音霊場 第3番 久国寺 - 尾張三十三観音霊場 第29番 建中寺 興正寺 - 尾張三十三観音霊場 第33番 香積院 光通寺…379キロバイト (36,095 語) - 2024年5月8日 (水) 08:38
- 大見正 (カテゴリ 日本の市区町村長選挙の立候補経験者)のパイプをアピールしたが、自民系市議が大見派と神谷派に分かれたことが票に影響を及ぼし、2月3日、現職の神谷に大差で敗れた。同年3月、大見が支部長を務める「自由民主党愛知県第十三選挙区支部」は解散した。 憲法9条の改正に賛成。 新規制基準を満たす原発は再稼働すべきと主張。 北朝鮮との…13キロバイト (1,628 語) - 2024年5月8日 (水) 17:34
- wikisource:宗教 > シリヤの聖イサアク全書 ← 第十二説教 第十四説教 → シリヤの聖イサアク全書 第十三説教 << 或(ある)兄弟(けいてい)の問(とひ)。 >> 同(どう)神(しん)父(ぷ)は曾(かつ)て或(ある)兄弟(けいてい)の問(とひ)を受(う)けたり、曰(いは)く『予(よ)
- の理科知識に驚かされることが、しばしばある。(海野十三「電気看板の神経」)〔1930年〕 「しばしばの~」の形で名詞を修飾できる。 それに最近、親しい二、三の作家とのしばしばの往来は、私の思想に一層明らかな影像を投げるに至った。(柳宗悦「工藝の道」)〔1928年〕
- 大伴旅人 『万葉集』巻三・344。「讃酒歌十三首(酒を讃むる歌十三首)」の第七首。 世の人はさかしらをすと酒飲みぬあれは柹くひて猿にかも似る -- 正岡子規「明治三十年十月二十九日天田鉄眼宛書簡」から 鉄眼和尚に柿十五個を貰った返礼の短歌五首の一。 葡萄の美酒夜光の杯 飲まんと欲すれば琵琶を馬上に催す 酔ひて沙場に臥す君笑ふなかれ
- したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。 親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達