高嶺御殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高嶺御殿
目付き右一つ勾玉巴に二つ引き
本姓 向氏第二尚氏
家祖 浦添翁主
種別 琉球王族
出身地 琉球王国首里
主な根拠地 琉球王国・首里
著名な人物 高嶺朝教、高嶺朝光
支流、分家 向氏当間殿内、向氏屋宜殿内
凡例 / Category:日本の氏族
浦添翁主の父・尚恭

高嶺御殿(たかみねうどぅん)は、尚恭・浦添王子朝良(尚豊王長男)の娘・浦添翁主(1629年12月9日(崇禎2年10月25日) - 1646年3月16日(順治3年1月29日))を元祖とする琉球王族第二尚氏の分家。五世から高嶺間切(現・糸満市高嶺地区)の按司地頭を務めた琉球王国の大名

概要[編集]

尚豊王の長男・朝良は王世子であったが、二十歳で早世したため王位を継ぐことはなかった。その娘・浦添翁主が父の浦添間切(現・浦添市)を継承して高嶺御殿の元祖となった。浦添翁主は、小禄御殿支流・向氏内間殿内六世・勝連按司朝賢(羽地王子朝秀の実弟)に嫁ぎ、長男・朝式を産んで2週間後に亡くなった。高嶺御殿は朝式が継いだ。

朝式は尚質王の三女・与那嶺翁主を妻に迎えたが翁主との間に男子ができなかったため(妾との間に庶子はいたが)、本部御殿の朝卓(本部王子朝平次男)を次女・思亀樽金の入婿に迎えて跡目とした。五世・朝兼のときに高嶺間切(現・糸満市高嶺地区)に転任し、それ以降高嶺御殿と称するようになった。六世・朝京の長女・真鍋樽金は尚哲の妃になった。廃藩置県後は、十一世・朝教が沖縄銀行初代頭取、十二世・朝光は沖縄タイムス社長に就いている。

系譜[編集]

  • 一世・浦添翁主
  • 二世・浦添按司朝式(母・浦添翁主の家統を継ぐ)
  • 三世・浦添按司朝卓(本部御殿一世・本部王子朝平の次男。朝式の養子となる)
  • 四世・浦添按司朝基
  • 五世・高嶺按司朝兼
  • 六世・高嶺按司朝京
  • 七世・高嶺按司朝庸
  • 八世・高嶺按司朝用
  • 九世・高嶺按司朝義
  • 十世・高嶺按司朝長
  • 十一世・高嶺朝教
  • 十二世・高嶺朝光

参考文献[編集]

  • 沖縄県氏姓家系大辞典 編纂委員会『沖縄県氏姓家系大辞典』角川書店、1992年(平成4年)。ISBN 978-4040024707 
  • 宮里朝光(監修)、那覇出版社(編集)『沖縄門中大事典』那覇出版社、1998年(平成10年)。ISBN 978-4890951017 
  • 比嘉朝進『士族門中家譜』球陽出版、2005年(平成17年)。ISBN 978-4990245702 

外部リンク[編集]

関連項目[編集]