飯沼長実

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飯沼長実
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長5年8月21日1600年9月28日
別名 勘平、十郎左衛門
主君 前田利家豊臣秀吉織田秀信
氏族 飯沼氏
父母 父:飯沼長継
長資
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飯沼 長実(いいぬま ながざね)は、安土桃山時代武将織田氏家臣

生涯[編集]

父長継は天正11年(1583年)に織田信孝に内通したとして豊臣秀吉に処刑されたため、家督を継いだ[1]。長実は前田利家に仕えたが、金沢で殺人を犯したため前田家から出奔する。その後は豊臣秀吉、織田秀信に仕えた[1]。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは主君・秀信と共に西軍に属し、東軍の池田輝政福島正則らとの岐阜城の戦いにより、岐阜城外で戦死した[1]。子の長資は岐阜城の戦いの前日の米野の戦いで討ち死にしている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』新人物往来社、1990年、71頁。