野崎貞澄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野崎貞澄

野崎 貞澄(のざき さだずみ、1840年2月22日天保11年1月10日[1] - 1906年明治39年)1月8日)は、日本の陸軍軍人華族。最終階級は陸軍中将男爵

経歴[編集]

薩摩藩士野崎貞門の嫡男として生まれる。戊辰戦争に従軍し、明治維新後は御親兵として上京する。明治4年9月3日1871年10月16日)、陸軍少佐として一番大隊長に就任。1873年(明治6年)4月、名古屋鎮台大弐御用取扱。1874年(明治7年)1月、近衛歩兵第1連隊長として佐賀の乱に出動した。その際、帝国陸軍最初の軍旗拝受を栄に浴している。1878年(明治11年)9月、仙台鎮台参謀長、同年11月、歩兵大佐、翌月、熊本鎮台参謀長、1881年(明治14年)1月には中部監軍部参謀に就任した。

1882年(明治15年)2月、陸軍少将に進級して広島鎮台司令官に就任。1885年(明治18年)5月、歩兵第12旅団長、次いで歩兵第2旅団長へ異動。1887年(明治20年)5月24日、軍功により男爵位を授けられて華族となった[2]

1889年(明治22年)8月、将校学校監1890年(明治23年)6月、陸軍中将に進み、第6師団長に親補された。1892年(明治25年)12月に休職。1894年(明治27年)8月、留守近衛師団長として復帰し、留守第1師団長に転じ、1895年(明治28年)6月に休職。1900年(明治33年)6月、予備役に編入された。1903年12月1日、後備役となる[3]。墓所は青山霊園1-イ13-18。

孫に作曲家の岩井直溥がいる。

栄典[編集]

位階
勲章等

脚注[編集]

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.341
  2. ^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日。
  3. ^ 『官報』第6174号、明治37年2月3日。
  4. ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
  5. ^ 『官報』第2094号「叙任及辞令」1890年6月24日。
  6. ^ 『官報』第5089号「叙任及辞令」1900年6月21日。
  7. ^ a b 『官報』第6756号「叙任及辞令」1906年1月10日。
  8. ^ 『官報』第1476号「叙任及辞令」1888年6月2日。
  9. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  10. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。

参考文献[編集]

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
野崎(貞澄)家初代
1887年 - 1906年
次代
野崎貞義