諸葛尚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
この項目に含まれる文字は、オペレーティングシステムブラウザなどの環境により表示が異なります。

諸葛 尚(しょかつ しょう、245年263年)は、中国三国時代末期の軍人。(蜀漢)に仕えた。蜀の丞相諸葛亮の孫で諸葛瞻の長男。母は諸葛瞻が17歳のときに娶ったという記録がある劉禅の娘か。

263年、鄧艾が間道を通って蜀の防衛網をかいくぐることに成功し、成都をめざして侵攻してきたとき、父と共に迎撃にあたった。しかし先鋒隊が涪で敗れたため後退し、綿竹に立て籠もって抗戦し、一時的に敵を撃退するが、鄧艾の前に遂に追いつめられた。

このとき、諸葛尚は「さっさと黄皓を斬らなかった為に敗北を招いてしまった。生きていて何になろう」と嘆いて魏軍に突撃。父とともに戦死した。

鄧艾は2人を葬りそのまま成都に進撃し、蜀は滅んだ。

諸葛京は後に王朝に仕えている。現在も蜀の諸葛氏の子孫を自称する家は存在する。

小説『三国志演義』でも、ほぼ同様の結末である。墓所は父と同じ綿竹に存在し、また、武侯祠には諸葛尚の像も建てられている。

家系図[編集]

●
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
諸葛珪                                                              諸葛玄
┣━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━┓                    ┃
諸葛瑾             諸葛亮                        諸葛誕                 諸葛均
┣━━━┳━━━┓     ┣━━━━━━━━━━━┓
諸葛恪 諸葛喬 諸葛融   諸葛瞻              諸葛懐
      ┃            ┣━━━┳━━━┓
      諸葛攀         諸葛尚 諸葛京 諸葛質
      ┃
      諸葛顕