藤村トヨ

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藤村 トヨ(ふじむら トヨ、1877年6月16日 - 1955年1月18日[1])は、日本の体育教育者。

来歴[編集]

香川県阿野郡坂出村(現・坂出市)出身[1]。病気で東京女子高等師範学校を中退。その後、1902年に体操で健康を取り戻し、1904年に体操科教員の文部省検定試験で女性初の合格者となる[1]。同年に東京女子体操音楽学校(現・東京女子体育大学)に就職し、1908年に校長となる[1]。1915年に東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)に入学し、1920年卒業[1]。1928年から1931年まで海外を視察し[1]、帰国後にはドイツの体育教師G・ワルターとK・ブラントを招聘し、ドイツ体操を奨励した[2]

1950年に東京女子体育短期大学で初代学長となる[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 20世紀日本人名事典(コトバンク)
  2. ^ 長谷川洋子「藤村トヨの提唱した体操 (PDF) 」『女子体育研究所所報』No.2、東京女子体育大学女子体育研究所、2008年、pp.23 - 26
  3. ^ 学園の沿革 東京女子体育大学・東京女子体育短期大学