藤本亀

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藤本 亀(ふじもと ひさし、1904年7月4日 - 1989年2月14日)は、日本経営者山陽放送社長を務めた。

経歴[編集]

岡山県出身[1]1925年関西大学法学部法科を卒業し、1927年朝日新聞社に入社[1]1945年に合同新聞(のちの山陽新聞社)に転じ、1947年に取締役に就任し、1958年には山陽放送常務に就任し、1964年に専務を経て、1974年5月には社長に就任した[1]1981年6月に会長に就任し、1983年に取締役相談役を経て、1984年6月に相談役に退いた[1]

1979年5月に勲三等瑞宝章を受章[1]

1989年2月14日呼吸不全のために死去[2]。84歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1985, ふ134頁.
  2. ^ 1989年 2月14日 日本経済新聞 夕刊 p19

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。