荒田重之

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荒田 重之(あらた しげゆき、1917年大正6年)9月20日[1][2] - 1994年平成6年)8月22日[2])は、昭和から平成時代の政治家東京都武蔵村山市長。

経歴[編集]

東京府北多摩郡村山村(村山町を経て、現武蔵村山市)に生まれる[3]。戦後、22歳にして製飴工場を設立[3]1955年(昭和30年)村山町議会議員に当選し、1期目では工場誘致特別委員長に就任し、日産自動車を誘致した[3]

1959年(昭和34年)の選挙でも再選し、副議長に就任。ほか、監査委員、人権擁護委員などを歴任[4]。その後、1971年(昭和46年)から1982年(昭和57年)まで武蔵村山市長を3期務めた[2]

市長在任中は主要河川の改修、自治消防団の再編成、長期総合計画審議会の設置、休日急患診療の開始、土地開発公社の設立などに尽くした[4]。ほか、東京都農業共済組合連合会長、八市一町新青梅街道交通対策協議会長などを兼ねた[4]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。 
  • 『多摩の人物史 古代より現代まで800人』武蔵野郷土史刊行会、1977年。 
  • 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X