荒久古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒久古墳
墳丘現状
所在地 千葉市中央区青葉町
青葉の森公園
位置 北緯35度35分44.5秒 東経140度08分16.1秒 / 北緯35.595694度 東経140.137806度 / 35.595694; 140.137806座標: 北緯35度35分44.5秒 東経140度08分16.1秒 / 北緯35.595694度 東経140.137806度 / 35.595694; 140.137806
形状 方墳
規模 一辺9メートル
埋葬施設 横穴式石室
出土品 琥珀製棗玉・馬具人骨
築造時期 7世紀
被葬者 不明
史跡 千葉市指定史跡
地図
荒久古墳の位置(千葉県内)
荒久古墳
荒久古墳
千葉県内の位置
地図
テンプレートを表示

荒久古墳(あらくこふん)は、千葉県千葉市中央区青葉町の県立青葉の森公園の一角にある、古墳時代終末期(7世紀)ころに築造された古墳[1][2]1960年昭和35年)に千葉市文化財(区分:記念物、種別:史跡[2])に指定された。南に横穴式石室が開口するため「石の唐戸」ともいわれる[3]

概要[編集]

墳丘はかなり改変されているが、方墳である。現状では1辺が9メートル。周溝部をみると、一辺20メートルに達していたと思われる。石室は凝灰質性砂岩の切石積みで、短い羨道と玄室からなる。玄室は、長さ2.07メートル、奥壁の幅1.4メートル、入り口の幅1.2メートルである。内部には凝灰質砂岩製の横穴式石室を設け[2]、床面は粘土を敷いて両隅に排水口を開ける[1]

1891年明治24年)の発掘で見つかった出土品は散逸してしまったが、1959年(昭和34年)に再度発掘された時には、琥珀製の棗玉(なつめだま)3個のほか、馬具破片や人骨1体分が発見された[1][2]

墳丘の外形、石室の構造など、大陸墓制の影響を強くうけており、古墳時代最終末の様相を示しているともいえる[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 荒久古墳 - 千葉県公式観光情報サイト-まるごとe!ちば-、2019年3月18日閲覧。
  2. ^ a b c d 荒久古墳(市指定文化財) - 千葉市・文化財の紹介、2019年3月18日閲覧。
  3. ^ 千葉県文化財センター 1989.
  4. ^ 千葉市史編纂委員会 1974.

参考図書[編集]

  • 千葉市史編纂委員会『千葉市史 第一巻』千葉市、1974年3月31日。 
  • 千葉県文化財センター『千葉県文化財センター調査報告第153集 千葉市荒久遺跡(1)-千葉県立中央博物館野外観察地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-』千葉県教育委員会、1989年3月31日。 

関連項目[編集]