結城朝村

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結城朝村
時代 鎌倉時代
生誕 不明
死没 不明
別名 上野十郎[1]、網戸十郎[2]
氏族 結城氏
父母 結城朝光伊賀光泰[2][3]
兄弟 朝広平方朝俊寒河時光山川重光
朝村朝長宗政宗泰小磯時広
河原田朝綱
長広
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結城 朝村(ゆうき ともむら)は、鎌倉時代武将

略歴[編集]

嘉禎4年(暦仁元年とも[3])(1238年)5月16日[2]鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の前で籠からにげたを弓で射て生け捕りにし驚嘆させた[1]。その功で同20日、二条家御簡衆となる[2]仁治2年(1241年)11月29日、酔余の矢により三浦・小山両党の喧嘩のもとをつくった。弓の名手として幕府恒例の行事ではつねに射手を務めた。

康元元年(1256年)11月23日に北条時頼の出家に殉じて出家し、法名を蓮忍と号したが、自由出家の廉で出仕を一時停止される[2]文応元年(1260年)1月20日、宗尊親王の昼番衆となった[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『結城朝村』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f 安田 1985, 636頁.
  3. ^ a b 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『結城朝村』 - コトバンク

参考文献[編集]

  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027