紀信

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紀 信(き しん、? - 紀元前204年)は、中国末の武将劉邦に仕えた。

紀元前207年鴻門の会で、劉邦が項羽から逃れた際に、樊噲夏侯嬰靳彊らとともに参軍として劉邦を護衛した[1][2]

紀元前204年、項羽率いる十万の軍勢が滎陽城(河南省)の漢軍を包囲した。食糧が尽き落城寸前に陥った時に、紀信は劉邦に対して、紀信が劉邦に化けて楚に降服するふりをして、その隙に劉邦が逃亡する策(金蝉脱殻の計)を進言した。献策通り、劉邦は陳平ら数十騎と共に成皐城に脱出した。囮となった紀信は項羽によって火刑に処された[3]

脚註[編集]

  1. ^ 史記』項羽本紀による。
  2. ^ 漢書』高帝紀では、紀信ではなく「紀成」と記されている。
  3. ^ 紀元前180年に呂氏の専横を防がんとした太尉周勃に旌節を授け、これを助けた紀通(後の襄平侯)は『史記張晏註では「紀信の子」と述べているが、『漢書』が引く晋約註および顔師古註ではこれを否定している。