第4期名人戦 (将棋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第5期名人戦 (将棋)から転送)
第4期 名人戦
開催期間 1942年 - 1944年
前名人 木村義雄(通算3期目)
第4期名人 木村義雄(通算4期目)
名人戦
第3期第5期 >
テンプレートを表示

第4期名人戦(だい4きめいじんせん)は、1943年度、1944年度の名人戦である。ここでは、開催が途中で中止となった第5期名人戦についてもあわせて記述する。

概要[編集]

1942年から開始された第4期名人戦の挑戦制度は、以下のように変更となった。

  • 16名の棋士による予選トーナメントを、半年に1回ずつ計4回実施する。
  • 予選トーナメントの優勝者は、木村義雄名人と半香[注 1]手合いで三番勝負を行い、勝ち越した棋士を挑戦権の有資格者と定める。
  • 有資格者が2名以上の場合は改めて決戦を行い、勝ち上がった棋士を挑戦者とする。

太平洋戦争戦時体制の適用や、常勝を誇る木村義雄名人への対策が、挑戦制度の変更の理由とされている[1][2]

予選トーナメントの結果、第1回は萩原淳八段、第2回は大野源一八段、第3回は花田長太郎八段、第4回は坂口允彦八段が、木村義雄名人との予備手合に進出した[1]

予備手合三番勝負では、予選トーナメントを勝ち抜いた4名全員が木村義雄名人に勝ち越すことができず失格となった[3]。その結果、木村が名人位を留位し、名人戦4連覇となった[1][3]

第1回[編集]

第1回予備手合三番勝負[編集]

対局者 第1局 第1局
指し直し
第2局
香落 香落 平手
木村義雄 名人 勝ち越し
萩原淳 八段

第1回予選[編集]

1回戦 2回戦 準決勝 決勝
土居市太郎 八段
塚田
塚田正夫 八段
坂口
坂口允彦 八段
坂口
渡辺東一 八段
坂口允彦 八段
斎藤銀次郎 八段
斎藤
花田長太郎 八段
大山
金易二郎 八段
大山
大山康晴 五段
村上真一 七段
村上
神田辰之助 八段
大野
木見金治郎 八段
大野 予備手合三番勝負進出
大野源一 八段
萩原淳 八段
萩原淳 八段
萩原
金子金五郎 八段
萩原
小泉兼吉 八段
山本
山本樟郎 七段


第2回[編集]

第2回予備手合三番勝負[編集]

対局者 第1局 第2局 第3局 第3局
指し直し
香落 平手 平手 香落
木村義雄 名人 勝ち越し
大野源一 八段

第2回予選[編集]

1回戦 2回戦 準決勝 決勝
土居市太郎 八段
斎藤
斎藤銀次郎 八段
斎藤
梶一郎 八段
金子 予備手合三番勝負進出
金子金五郎 八段
大野源一 八段
坂口允彦 八段
坂口
金易二郎 八段
大野
大野源一 八段
大野
山本樟郎 七段
塚田正夫 八段
花田
花田長太郎 八段
小泉
木見金治郎 八段
小泉
小泉兼吉 八段
小泉兼吉 八段
渡辺東一 八段
大山
大山康晴 六段
村上
村上真一 七段
村上
萩原淳 八段


第3回[編集]

第3回予備手合三番勝負[編集]

対局者 第1局 第2局
香落 平手
木村義雄 名人 勝ち越し
花田長太郎 八段

第3回予選[編集]

1回戦 2回戦 準決勝 決勝
土居市太郎 八段
村上
村上真一 七段
村上
金易二郎 八段
小泉兼吉 八段
塚田正夫 八段
塚田正夫 八段
塚田
梶一郎 八段
塚田
大山康晴 六段
大山
山本樟郎 七段
坂口允彦 八段
坂口
木見金治郎 八段
坂口
斎藤銀次郎 八段
斎藤 予備手合三番勝負進出
萩原淳 八段
花田長太郎 八段
渡辺東一 八段
大野
大野源一 八段
花田
花田長太郎 八段
花田
金子金五郎 八段


第4回[編集]

第4回予備手合三番勝負[編集]

対局者 第1局 第2局
香落 平手
木村義雄 名人 勝ち越し
坂口允彦 八段

第4回予選[編集]

1回戦 2回戦 準決勝 決勝
小堀清一 六段
萩原
萩原淳 八段
花田長太郎 八段
梶一郎 八段
梶一郎 八段
飯塚勘一郎 七段
飯塚
山本樟郎 七段
加藤
金易二郎 八段
加藤
加藤治郎 七段
塚田正夫 八段
塚田
大和久彪 七段
塚田
斎藤銀次郎 八段
村上 予備手合三番勝負進出
村上真一 七段
坂口允彦 八段
坂口允彦 八段
坂口
小泉兼吉 八段
坂口
大山康晴 六段
大野
大野源一 八段


第5期名人戦[編集]

第5期 名人戦
開催期間 1944年 - 1945年
前名人 木村義雄(通算4期目)
第5期名人 木村義雄(通算5期目)
名人戦
第4期第6期(第1期順位戦) >
テンプレートを表示

第5期名人戦(だい5きめいじんせん)は、1945年度、1946年度[注 2]名人戦である。

第5期名人戦の挑戦制度は、以下のように変更となった。

  • 7人の成績優秀者を選抜する。
  • 順に木村義雄名人と三番勝負を行い、指し分け以上の成績を取った棋士を挑戦権の有資格者と定める。
  • 有資格者が2名以上の場合は改めて決戦を行い、勝ち上がった棋士を挑戦者とする。

三番勝負の手合いは、木村義雄名人から見て、香落、平手、振り駒の順で行われる。挑戦者が一局目の香落で敗れた場合、その時点で失格となる[3]

大野源一八段、金子金五郎八段、萩原淳八段、塚田正夫八段、花田長太郎八段、坂口允彦八段、加藤治郎七段の7名が成績優秀者として選抜された[3]

1944年の秋から対局が開始されたが、1945年に入り太平洋戦争の戦況が絶望的となったのに伴い、対局が中止となった[3][4]。名人位は木村義雄名人が留位し、名人戦5連覇となった[3][4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 左香落と平手を交互に指す手合い[1]
  2. ^ 第5期名人戦は途中で中止となったため、1946年度に対局は行われていない。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 田辺(2006), p. 11
  2. ^ 山本(1966), p. 80
  3. ^ a b c d e f 日本将棋の歴史(24)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2022年2月3日閲覧。
  4. ^ a b 田辺(2006), p. 12

参考文献[編集]

  • 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6 
  • 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年。ASIN B000JA9I5Y 

外部リンク[編集]