秋田季春

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秋田 季春(あきた すえはる、文政元年10月11日1818年11月9日) - 明治33年(1900年3月14日)は、江戸時代末期から明治維新陸奥国三春藩執政。幼名は安東孝松。通称は主税のちに千柄。静臥と号した。歌人としても知られる。

生涯[編集]

三春藩主秋田孝季の次男として生まれる。母は戒輪院。慶応元年(1865年)5月兄の肥季の死後、跡を継いだその子の秋田映季に執政として後見をし藩政をみる。戊辰戦争では当初奥羽越列藩同盟側にあったが戦い不利と悟り、密使を送り新政府側に帰順、藩主映季とともに板垣退助を迎えた。会津藩攻めに藩士松井惟睡を従軍させ、降服後の会津藩主松平容保父子の幽居を警護させた。明治2年(1869年)大参事となる。廃藩置県となり、東京に移住。明治33年(1900年)、83歳で没した。墓所は青山墓地。

参考文献[編集]

  • 日本人名大辞典(講談社)
  • 日本近世人名事典(吉川弘文館 2005)
  • 贈位諸賢伝 第1巻
  • 国事鞅掌報効志士人名録
  • 全国版幕末維新人物事典(歴史群像編集部編、学研パブリッシング)