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'''チェスター伯爵'''(チェスターはくしゃく、 |
'''チェスター伯爵'''(チェスターはくしゃく、{{lang-en-short|Earl of Chester}})は、[[イングランド王国]]、のち[[イギリス]](連合王国)の[[伯爵]]位。 |
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== 歴史 == |
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[[チェスター]]は[[イングランド]]西部の都市である。元々は土着の有力豪族が支配しており、11世紀半ば過ぎに伯爵領として独立した。12世紀には国王をしのぐほどの勢力を誇ったが、[[1237年]]に当主の{{ |
[[チェスター]]は[[イングランド]]西部の都市である。元々は土着の有力豪族が支配しており、11世紀半ば過ぎに伯爵領として独立した。12世紀には国王をしのぐほどの勢力を誇ったが、[[1237年]]に当主の{{仮リンク|ハンティンドン伯爵|en|Earl of Huntingdon|label=ハンティンドン伯}}{{仮リンク|ジョン・オブ・スコットランド (ハンティンドン伯)|en|John of Scotland, Earl of Huntingdon|label=ジョン・オブ・スコットランド}}が子なくして死すと、[[イングランド王]][[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]領となる。4代オマール伯{{仮リンク|ウィリアム・ド・フォーツ (第4代オマール伯)|en|William de Forz, 4th Earl of Albemarle|label=ウィリアム・ド・フォーツ}}が一時支配権を主張したが領地替えで納得させ、[[1254年]]、エドワード王太子(後の[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]])の所領となる(爵位なし)。[[1264年]]、[[第2次バロン戦争]]でエドワードが他の王族らと共に拘束されると、実権を掌握した[[シモン・ド・モンフォール]]がチェスター伯爵となったが、翌年に敗死。爵位も再び空位となった。 |
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エドワード1世は外征を繰り返し行ったが、チェスターは[[ウェールズ]]侵攻の足掛かりとして重宝された。[[1301年]]、王太子エドワード(後の[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]])が[[ウェールズ大公]]とともにチェスター伯爵となり、爵位が復活する。エドワード2世即位の後、[[1312年]]にエドワード王太子(後の[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]])が叙爵されるとこれが慣例化し、以降、イングランド王太子(後に連合王国王太子)はウェールズ大公とチェスター伯爵をセットで名乗るようになる。[[1398年]]、[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]の命によって一時独立して公国となったが、翌年新国王[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]によって伯爵領に戻されている。以降、チェスター伯位は主に王位継承者が保持した。 |
エドワード1世は外征を繰り返し行ったが、チェスターは[[ウェールズ]]侵攻の足掛かりとして重宝された。[[1301年]]、王太子エドワード(後の[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]])が[[ウェールズ大公]]とともにチェスター伯爵となり、爵位が復活する。エドワード2世即位の後、[[1312年]]にエドワード王太子(後の[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]])が叙爵されるとこれが慣例化し、以降、イングランド王太子(後に連合王国王太子)はウェールズ大公とチェスター伯爵をセットで名乗るようになる。[[1398年]]、[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]の命によって一時独立して公国となったが、翌年新国王[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]によって伯爵領に戻されている。以降、チェスター伯位は主に王位継承者が保持した。 |
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その叙爵の経緯から、伯爵としては比較的高い権威を持っており、現在もチェスターには常任の[[紋章官]]({{仮リンク|チェスター・ヘラルド・オブ・アームズ|en|Chester Herald}})が在任する。 |
その叙爵の経緯から、伯爵としては比較的高い権威を持っており、現在もチェスターには常任の[[紋章官]]({{仮リンク|チェスター・ヘラルド・オブ・アームズ|en|Chester Herald}})が在任する。 |
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=== チェスター伯爵(1071年) === |
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| {{仮リンク|ラヌルフ・ド・ブロンドヴィル (第6代チェスター伯爵)|en|Ranulf de Blondeville, 6th Earl of Chester|label=ラヌルフ・ド・ブロンドヴィル}} || [[file:Ranulf de Blondeville.jpg|100px]] || 1181年 - [[1232年]] || |
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| {{仮リンク|ジョン・オブ・スコットランド (ハンティンドン伯)|en|John of Scotland, Earl of Huntingdon|label=ジョン・オブ・スコットランド}} ||[[file:John the Scot.svg|100px]] || 1232年 - [[1237年]] || |
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=== チェスター伯爵(1264年) === |
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| [[シモン・ド・モンフォール]] || [[file:Simon de Montfort bas-relief in the U.S. House of Representatives chamber.jpg|100px]] || [[1264年]] - [[1265年]] || 1265年剥奪 |
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=== チェスター伯爵(1301年) === |
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| [[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード・アンジュー]] || [[file:Edward2 of England.jpg|100px]] || [[1301年]] - [[1307年]] || のちイングランド王エドワード2世。 |
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=== チェスター伯爵(1312年) === |
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| [[エドワード3世 (イングランド王) |エドワード・アンジュー]]|| [[file:EdwardIII-Cassell.jpg|100px]] || [[1312年]] - [[1327年]] || 先代の長男。<br/>のちイングランド王エドワード3世。 |
| [[エドワード3世 (イングランド王) |エドワード・アンジュー]]|| [[file:EdwardIII-Cassell.jpg|100px]] || [[1312年]] - [[1327年]] || 先代の長男。<br/>のちイングランド王エドワード3世。 |
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| [[エドワード黒太子|エドワード・アンジュー]] || [[file:Plantagenet, Edward, The Black Prince, Iconic Image.JPG|100px]] || [[1343年]] - [[1376年]] || 先代の長男。<br/>通称エドワード黒太子。 |
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| [[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード・アンジュー]] || [[file:Richard II of England.jpg|100px]] || 1376年 - [[1377年]] || 先代の次男。<br/>のちイングランド王リチャード2世。 |
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| [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー・ランカスター]] || [[file:Henry V of England.jpg|100px]] || [[1399年]] - [[1413年]] || 先代の従弟の次男。<br/>のちイングランド王ヘンリー5世。 |
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| [[エドワード・オブ・ウェストミンスター|エドワード・ランカスター]] || [[file:Edward of Westminster.jpg|100px]] || [[1453年]] - [[1471年]] || 先代の孫。 |
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| [[エドワード5世 (イングランド王)|エドワード・ヨーク]] || [[file:King-edward-v.jpg|100px]] || 1471年 - [[1483年]] || 10代目の来孫(5代の子孫)。<br/>のちイングランド王エドワード5世。 |
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| [[エドワード・オブ・ミドルハム|エドワード・ヨーク]] || [[file:Edward of Middleham (geograph).jpg|100px]] || 1483年 - [[1489年]] || 先代の従弟。 |
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| [[アーサー・テューダー]] || [[file: Anglo-Flemish School, Arthur, Prince of Wales (Granard portrait) -002.jpg|100px]] || 1489年 - [[1502年]] || 先代の従姉の長男。 |
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| [[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー・テューダー]] || [[file:Henry-VIII-kingofengland 1491-1547.jpg|100px]] || [[1504年]] - [[1509年]] || 先代の弟。<br/>のちイングランド王ヘンリー8世。 |
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| [[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード・テューダー]] || [[file:Portrait of Edward VI of England.jpg|100px]] || [[1537年]] - [[1553年]] || 先代の長男。<br/>のちイングランド王エドワード6世。 |
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| [[ヘンリー・フレデリック・ステュアート]] || [[file:Henry Prince of Wales after Isaac Oliver.jpg|100px]] || [[1610年]] - [[1612年]] || 先代の従兄の曾孫。 |
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| [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ・ステュアート]] || [[file:Charles I (Prince of Wales).jpg|100px]] || [[1616年]] - [[1625年]] || 先代の弟。<br/>のちイングランド王チャールズ1世。 |
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| [[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ・ステュアート]] || [[file:Charles II when Prince of Wales by William Dobson, 1642.jpg|100px]] || [[1638年]] - [[1649年]] || 先代の長男。<br/>のちイングランド王チャールズ2世。 |
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| [[ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート]] || [[file:Prince James Francis Edward Stuart by Alexis Simon Belle.jpg|100px]] || [[1688年]] || 先代の甥。 |
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| [[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ・ハノーヴァー]] || [[file:King George II by Charles Jervas.jpg|100px]] || [[1714年]] - [[1727年]] || 21代目の姉の曾孫。<br/>のちグレートブリテン王ジョージ2世。 |
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| [[フレデリック・ルイス (プリンス・オブ・ウェールズ)|フレデリック・ハノーヴァー]] || [[file:Frederick Lewis, Prince of Wales by Philip Mercier.jpg|100px]] || [[1729年]] - [[1751年]] || 先代の長男。 |
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| [[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ・ハノーヴァー]] || [[file:George IV bust1.jpg|100px]] || [[1762年]] - [[1780年]] || 先代の長男。<br/>のち連合王国国王ジョージ4世。 |
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| [[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ・ウィンザー]] || [[file:George V of the United Kingdom01.jpg|100px]] || 1901年 - [[1910年]] || 先代の次男。<br/>のち連合王国国王ジョージ5世。 |
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| [[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ・マウントバッテン=ウィンザー]] || [[file:Prince Charles 2012.jpg|100px]] || [[1948年]] - [[2022年]]|| 先代の弟の孫。<br />現連邦王国国王チャールズ3世。 |
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| [[ウィリアム (プリンス・オブ・ウェールズ)|ウィリアム・マウントバッテン=ウィンザー]] || [[file:William Submarines Crop.png|100px]] || [[2022年]] - || 先代の長男。 |
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エドワード3世が即位した後、チェスター伯爵位を有する人物は全員[[プリンス・オブ・ウェールズ]]の称号も有する。以降の一覧は[[プリンス・オブ・ウェールズ#プリンス・オブ・ウェールズ一覧]]のうち[[エドワード黒太子]]およびそれ以降の人物を参照。 |
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2024年5月16日 (木) 14:23時点における最新版
チェスター伯爵(チェスターはくしゃく、英: Earl of Chester)は、イングランド王国、のちイギリス(連合王国)の伯爵位。
歴史[編集]
チェスターはイングランド西部の都市である。元々は土着の有力豪族が支配しており、11世紀半ば過ぎに伯爵領として独立した。12世紀には国王をしのぐほどの勢力を誇ったが、1237年に当主のハンティンドン伯ジョン・オブ・スコットランドが子なくして死すと、イングランド王ヘンリー3世領となる。4代オマール伯ウィリアム・ド・フォーツが一時支配権を主張したが領地替えで納得させ、1254年、エドワード王太子(後のエドワード1世)の所領となる(爵位なし)。1264年、第2次バロン戦争でエドワードが他の王族らと共に拘束されると、実権を掌握したシモン・ド・モンフォールがチェスター伯爵となったが、翌年に敗死。爵位も再び空位となった。
エドワード1世は外征を繰り返し行ったが、チェスターはウェールズ侵攻の足掛かりとして重宝された。1301年、王太子エドワード(後のエドワード2世)がウェールズ大公とともにチェスター伯爵となり、爵位が復活する。エドワード2世即位の後、1312年にエドワード王太子(後のエドワード3世)が叙爵されるとこれが慣例化し、以降、イングランド王太子(後に連合王国王太子)はウェールズ大公とチェスター伯爵をセットで名乗るようになる。1398年、リチャード2世の命によって一時独立して公国となったが、翌年新国王ヘンリー4世によって伯爵領に戻されている。以降、チェスター伯位は主に王位継承者が保持した。
その叙爵の経緯から、伯爵としては比較的高い権威を持っており、現在もチェスターには常任の紋章官(チェスター・ヘラルド・オブ・アームズ)が在任する。
一覧[編集]
チェスター伯爵(1071年)[編集]
代数 | 受爵者 | 画像 | 受爵期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ヒュー・ダヴランシュ | ![]() |
1071年 - 1101年 | |
2 | リチャード・ダヴランシュ | ![]() |
1107年 - 1120年 | |
3 | ラヌルフ・ル・メシン | ![]() |
1120年 - 1129年 | |
4 | ラヌルフ・ド・ガーノン | ![]() |
1129年 - 1153年 | |
5 | ヒュー・ド・キヴェリオク | ![]() |
1153年 - 1181年 | |
6 | ラヌルフ・ド・ブロンドヴィル | ![]() |
1181年 - 1232年 | |
- | マティルダ・オブ・チェスター | 1232年10月 - 11月 | 1か月で息子に爵位を譲る。一般的には代数に数えられない | |
7 | ジョン・オブ・スコットランド | ![]() |
1232年 - 1237年 |
チェスター伯爵(1264年)[編集]
代数 | 受爵者 | 画像 | 受爵期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | シモン・ド・モンフォール | ![]() |
1264年 - 1265年 | 1265年剥奪 |
チェスター伯爵(1301年)[編集]
代数 | 受爵者 | 画像 | 受爵期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | エドワード・アンジュー | ![]() |
1301年 - 1307年 | のちイングランド王エドワード2世。 |
チェスター伯爵(1312年)[編集]
代数 | 受爵者 | 画像 | 受爵期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | エドワード・アンジュー | ![]() |
1312年 - 1327年 | 先代の長男。 のちイングランド王エドワード3世。 |
エドワード3世が即位した後、チェスター伯爵位を有する人物は全員プリンス・オブ・ウェールズの称号も有する。以降の一覧はプリンス・オブ・ウェールズ#プリンス・オブ・ウェールズ一覧のうちエドワード黒太子およびそれ以降の人物を参照。