源簾子

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源 廉子(みなもと の れんし/やすこ、生没年不詳)は、平安時代の女性。中宮女房・女官。大納言の君とも。

略歴[編集]

『御産部類記』後一条院条『不知記』Bに「以源廉子<左大弁扶義朝臣女子也>奉仕御迎湯」とあることから、早世した源時通が実父で、その兄弟の源扶義の養女になったとされる[1]。『栄華物語』巻八「はつはな」によれば、源則理の妻であったが、離婚して彰子後宮に出仕、藤原道長召人となり、「(道長は)御こころざしありて思されければ、まことしう思しのたまはせたまひけるを、殿の上(源倫子)は『こと人ならねば』と思しゆるしてなむ」と嫡妻・倫子も黙認していたとある。紫式部と親しかった小少将の君の実姉である[2]

中宮彰子女房として後一条天皇誕生の際の迎え湯を担当[3]

参考文献[編集]

  • 『榮花物語 - 第 1 巻』(岩波書店、1964年、510p)
  • 上原作和「i女房一覧」『紫式部伝-平安王朝百年を見つめた生涯』勉誠社、2023年10月
  • 福家俊幸『紫式部 女房たちの宮廷生活』平凡社新書、2023年11月
  • 服藤早苗・東海林亜矢子『紫式部を創った王朝人たち-家族・主・同僚・ライバル』明石書店、2023年12月

脚注[編集]

  1. ^ 女房一覧 平安時代中期(4)”. 2023年9月30日閲覧。
  2. ^ 安藤重和「大納言の君・小少将の君をめぐって―紫式部日記人物考証―」(『中古文学』63号、1999年5月) 20-28頁
  3. ^ 紫式部日記(黒川本)渋谷栄一校訂”. 2023年9月30日閲覧。