渡辺修二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺修二

渡辺 修二(渡邊 修二、わたなべ しゅうじ、1888年明治21年)12月12日[1] - 1977年昭和52年)12月30日[1][2])は、大正から昭和期の検察官政治家華族貴族院男爵議員

経歴[編集]

本籍・愛知県[2]。旧尾張藩家老・渡辺半蔵家13代当主、渡辺綱聡の二男として生まれた[1][3]1917年(大正6年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[2][3][4]。同年、司法官試補に任官[2]。以後、千葉地方裁判所区裁判所検事東京地方裁判所兼区裁判所検事を務めた[2][3]

父の隠居に伴い、1922年(大正11年)1月30日、男爵を襲爵した[1][3][5]1925年(大正14年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで3期在任した[2]。同年の第1回参議院議員通常選挙全国区からで立候補したが辞退した[8]

資料[編集]

尚友倶楽部の所蔵で「渡辺修二貴族院公正会政務資料」がある。内容は公正会政務調査室の配付資料[9]

親族[編集]

  • 先妻:幾(いく、松本重敏二女)[1]
  • 後妻:徳子(のりこ、中山孝麿三女)[1]
  • 長男:明綱[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』860-861頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』88頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ワ37頁。
  4. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正6年 至大正7年』東京帝国大学、1924年、学士及卒業生姓名109頁。
  5. ^ 『官報』第2847号、大正11年1月31日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、34頁。
  7. ^ 『官報』第3871号、大正14年7月18日。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』540頁。
  9. ^ 『近現代日本人物史料情報辞典 2』239頁。

参考文献[編集]


日本の爵位
先代
渡辺綱聡(半藏)
男爵
尾張渡辺(半蔵)家第2代
1922年 - 1947年
次代
華族制度廃止