永野忠一

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永野 忠一(ながの ただかず、1901年1月 - 2003年10月24日[1])は、日本民俗学者、歌人教員[2]

来歴[編集]

1921年に、大阪府天王寺師範学校を卒業し、1925年に大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国ヶ丘高等学校)教諭となる。

1963年に、三国ヶ丘高等学校を定年で退職した。

1981年の宮中歌会始に自作の歌が選歌されている[3]

子に比較言語学者の永野芳郎

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 旧職員・永野忠一氏が他界、享年満102歳”. 三丘同窓会 (2003年10月29日). 2022年3月7日閲覧。
  2. ^ TAKAISHI きらり NO.650” (PDF). 高石市 (2018年4月). 2022年3月7日閲覧。(p.24の「なんでも高石学入門」の箇所を参照)
  3. ^ 昭和56年歌会始お題「音」”. 宮内庁. 2022年3月7日閲覧。