梁柱東

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梁 柱東(ヤン・ジュドン、1903年8月16日太陰暦: 6月24日〉 - 1977年2月4日)は、大韓民国詩人評論家国文学者英文学者翻訳家随筆家教授

梁柱東

本貫南海梁氏[1]済州梁氏)。无涯(ムエ、무애)。

生涯[編集]

梁柱東(後列左より3番目)

京畿道開城に生まれた。幼児期をいっとき平壌で過ごし、長淵で育った。京城中東高等普通学校を経て渡日し、1928年に早稲田大学英語英文学科卒業。1919年廉想渉と共同で『文芸公論』を発刊し、崇実専門学校(現・崇実大学校)教授を務め、1923年同人誌『金星』で文壇に登場した。1930年には詩集『朝鮮の脈拍』を出版した。その後、郷歌の研究をし、1942年に郷歌25首の解読を行った『朝鮮古歌研究』を出版した。1947年には高麗時代の歌謡に対する注釈を著した『麗謠箋注』を出版した。同年に東国大学校教授を務め、1954年からは大韓民国学術院の終身会員となった。1958年から61年までは延世大学校で教授を務めたが、のちに東国大学校に戻った[1]

1977年に自宅で脳溢血に倒れ、病院に搬送される最中に74歳で死去した[2]

建国実践員養成所1期授業記念写真

建国実践員養成所との関わり[編集]

建国実践員養成所では、親交があり講師を務めていた金正実厳恒燮とともに講師を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ a b 양주동(梁柱東)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年9月7日閲覧。
  2. ^ 경향신문: “국문학자 梁柱東(양주동)박사 別世(별세)”. NAVER Newslibrary (1977年2月5日). 2022年9月7日閲覧。