根来組

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根来組(ねごろぐみ)は江戸幕府における百人組の一つ。他に伊賀組甲賀組二十五騎組が存在した。 小牧・長久手の戦いでは根来衆として雑賀衆雑賀孫市とともに大阪を攻撃し、豊臣秀吉の心胆を寒からしめた。 その後、根来衆頭目の根来大膳は伊勢に逃れ家康の配下となる。天正13年(1585年)には、後の百人組の原型として最も早く設置され、50名が成瀬正成の組下に置かれた。また、鉄砲師範には後の牛久藩主、山口重政が任ぜられている。 関東討入後は内藤新宿に配備され、四谷の成瀬正成の指揮下で甲州路の防衛に当たった。 関ヶ原の合戦では成瀬正成の指揮の下、最前線で活躍する。 正成が尾張藩附家老として犬山城に異動した後も成瀬氏の影響力が残ったといわれている。

当時鉄砲の技術は特殊技能であったことから、伊賀、甲賀、根来の鉄砲隊を忍者とみなすこともあり、根来忍術を駆使して諜報活動にも従事していたと言う説もあるが、根来衆はあくまで鉄砲隊であると思われる。