松島剛

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松島 剛(まつしま こう、嘉永7年10月2日1854年11月21日) - 1940年昭和15年)1月6日)は、日本明治時代における教育者東京市会議員

概略[編集]

嘉永7年(1854年10月2日紀州藩松島欽右衛門の子として江戸に生まれる。慶應義塾中退。慶応義塾幼稚舎茨城県立水戸中学校埼玉県立不動岡中学校などで教員を務めたのち、東京英和学校(現在の青山学院大学教授などを歴任。1884年明治17年)に翻訳刊行したスペンサーの「社会平権論」は自由民権運動に大きな影響をあたえた。人文地理学の立場から初期の地理教育につくした。1940年昭和15年)、死去。享年87(満85歳没)。

訳書[編集]

出典[編集]