本郷館
本郷館(ほんごうかん)は、東京都文京区本郷六丁目20番3号(旧森川町)にあった下宿屋(御下宿)。
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[編集] 概要
1905年(明治38年)に建築された木造3階建ての建築物で、部屋数は70室前後。全体はL字型となっていた。木造建築物としてはかなり大規模なもの。関東大震災や東京大空襲で東京の古建築が壊滅的な打撃を受けた中で、2011年まで生き残った。
所在地は東大正門より200メートルほどの場所であった。この付近にはかつて学生相手の「賄いつき」、「共同炊事場」の下宿屋が数多く存在していたが、長年にわたって現役の下宿屋として使われてきた本郷館は、その名残を伝えるものとして、地域のシンボル的な存在になっていた。
2007年に老朽化のため取壊して建替える計画が公表された。建物の内部見学には応じず、敷地内への立ち入りも禁じられていたが、立ち入り禁止を告げる看板を無視して中へ入ろうとする者が後を絶たなかったため、その対応に苦慮していた。
2010年9月には「新建築家技術者集団東京支部」が文化庁長官、文京区長に宛てた本郷館の文化財指定に関する「要望書」および所有者への保存・活用・再生に関する「お願い」を提出し[1]、同年10月には「社団法人日本建築学会関東支部」が本郷館の所有者あてに、保存活用に関する「要望書」を提出[2]、「特定非営利活動法人木の建築フォラム」も本郷館の保存に関する声明文を発表した[3]。
2011年4月28日付の東京新聞によると、本郷館の保存・活用を求める署名活動等を行う「本郷館を考える会」が設立され、博物館明治村の鈴木博之館長らがその呼びかけ人となっていた[4]。
しかし建物の老朽化が激しいため、家主側の意向により、2011年7月末日を以ての解体が決定された[5]。解体工事は2011年8月1日から始まり、2011年12月現在、既に取り壊しが完了している[6]。
[編集] 本郷館の学術的価値
[編集] 本郷館の沿革
本郷館は、1905年(明治38年)、岐阜県で酒造業と庄屋を代々継承してきた名家によって創建された。その後、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)寄宿舎として使用された時期を経て、大正から昭和戦前期までは、賄付き下宿屋として経営された。戦中・戦後の本郷館は、所有者・管理人が各々幾度か変わったが、間貸しの形態を続けてきた。二つあった中庭の一つをつぶしての貸室の増築、水廻りの増設、等々相次ぐ増改築を経て様変わりしていった。
[編集] 本郷館の生活誌
本郷館はしばしば「本郷きっての高等下宿」と評され[誰によって?]、実際、戦前期の本郷館の女将は、本郷区内の下宿屋経営者としては屈指の納税者であった[要出典]。大勢の女中が居り、下宿人共用の風呂と電話があった[要出典]。下宿人の多くは地方の富裕な家庭に育った、東大・芸大の学生だったが、中には、東大の教官や医局医師も住んでいた[7]。また、下宿屋の賄いは、一般に悪評の立つことが多かったが、本郷館の場合は、豚カツや、土用の丑の日の鰻などが供されることがあり、下宿人には好評だったという[8]。戦後の住宅難の時代には家族連れの入居や相部屋がしばしばみられた。1970年代以降は、周辺の下宿屋がワンルームマンション等に建て替えられていくなか、明治の下宿屋の趣を逆に新鮮に感じる若い世代などから人気を博していた[要出典]。
[編集] 本郷館の建築学的評価
- 本郷館は明治期に建設された下宿屋の遺構として、その内外観・空間構成・集住形態いずれの面においても、その特質を現在まで存続してきたこと、とくに外装の下見板張り、中庭を囲んだ空間構成や客室の設えなどが度重なる増改築を経ながらも継承されていることが評価できる[誰によって?]。
- 3階建て、延べ400坪超、計70室余りを擁する巨大な木造下宿屋として、特筆に値する[9]。現存する下宿屋でこれだけの規模のものがないというだけでなく、下宿屋建築が隆盛をきわめた昭和初期の東京市においてさえ本郷館は最大規模を誇っており[10]、本郷でも名高い菊富士ホテルをしのぐ巨大建築であったと考えられる[11]。
- 本郷の土地柄として、昭和3年における東京市全体の下宿屋の3分の1以上が本郷区にあり[12]、近代にあっては本郷が下宿屋のメッカであった。その旧本郷区域で、現役の下宿屋が現在ほぼ絶滅しているというだけでも、本郷館は注目に値する。さらに、3階建て下宿の希少性については、現存する3階建て下宿が他にないのはもちろん、文献2によれば、本郷区の3階建ての下宿屋は文献上でさえ十数軒しか確認できていないことから、そのうちの一棟である本郷館が、いかに希少価値を持っていたかが窺い知れる[独自研究?]。実際、規模や形態の希少性から、国の重要文化財になる可能性を指摘する専門家もいた[13]。
- 東大西側に広がる旧森川町の丘状の台地の西北端に位置し、本郷の町並みを象徴する景観を作り出していた[独自研究?]。建物北西端の鋭角に縁取られた3層分のシャープなファサードや、言問通りから遠望できる長大な個室群の量塊は、日本近代に出現した集住形態の景観を都市的なスケールで表出していた[独自研究?]。
- 東京本郷において、本郷館は、下宿屋をルーツとする旅館 - 朝陽館・鳳明館・太栄館等 - や、やはり青年の生活の場であった求道学舎等と共に、東京大学の学生街ならではの、歴史的景観の構成要素となっていた[独自研究?]。
[編集] 総括
以上のように、本郷館は近代建築史学のみならず、建築計画学、生活史、都市史、都市景観など様々な側面での学術的な価値を擁していた。下宿屋は、同潤会アパートのような欧米化の発想から計画されたものとは異なる、日本独自の、自然発生的な集合住宅の原点ともいうべき建築形態であることを考えると、本郷館の建築的意義はさらに大きかった[独自研究?]。
[編集] 本郷館に逗留・居住した著名人
これまでに本郷館に短期・長期にかかわらず滞在した著名人は、もともと地方出身の裕福な帝大生や留学生のための高等下宿であったという建物の来歴から、多数にのぼると想定される[誰によって?]。ただ、本郷館の所有者が、旅館時代、集合住宅時代を通じて何度も変わっているため、宿帳等の一次資料による確認は困難である[独自研究?]。ゆかりのある著名人として流布している中で最も知られているのはおそらく[独自研究?]蒋介石であり、彼が本郷館に滞在したと記述する新聞・雑誌記事もいくつか見受けられる[要出典]。しかし、その根拠が示されているわけではなく伝聞の域を出ない[独自研究?]。同様に、小説家の伊藤左千夫、小林多喜二、政治家の松村謙三といった人々の名もしばしば本郷館と結び付けて語られることがある[誰によって?]。
一方、自伝、評伝等の記述や聞取り調査等で、本郷館に滞在・居住したことが確実である著名人は、以下の人々である[14]。
- 林芙美子(小説家。東洋大学学生と本郷館で同棲。その部屋は、島田清次郎がかつて住んでいた部屋だったという)
- 島田清次郎(小説家。大正期に『地上』でベストセラー作家になるも、驕慢な行動やスキャンダルで失意のうちに病没)
- 茅盾(小説家。日本亡命時代に本郷館に滞在。「茅盾文学賞」は、中国における長編文学賞の最高峰)
- 池田謙蔵(銀行家。元三菱信託銀行社長)
- 武藤清(建築家。建築構造力学の権威で耐震設計の実用化に貢献、霞が関ビルディングなどの構造設計を担当)
- 内藤寿七郎(小児科医。日本人初のシュバイツァー博愛賞受賞者)
[編集] メディア・芸術作品にみる本郷館
[編集] 映像
『雁』(1953年)、『足摺岬』(1954年)、『うず潮』(1965年)、『戦争と平和』(1970~1973)など、戦後いくつかの映像作品に本郷館が登場するほか、外観が日本酒のCMに用いられたこともある。 また、文京区教育委員会企画、岩波映画製作所製作の『文京区の史跡と文化財をたずねて』という教育映画には本郷館が登場し「住む人は何代も変わりましたが、本郷館の建物は、明治の名残をそのままとどめています。明治から今日まで、どれだけ多くの人たちが、この町で青春のひと時を過ごしたことでしょう」と紹介されている。
[編集] 写真
[編集] 脚注
- ^ 本郷館の文化財指定に関する要望書 新建築家技術者集団東京支部 2010年9月30日 (PDF)
- ^ 「本郷館」の保存活用に関する要望書 社団法人日本建築学会関東支部 2010年10月4日 (PDF)
- ^ 海外交流・支援活動 木の建築フォラム 2010年10月21日
- ^ http://hongoukan.blogspot.com/
- ^ asahi.com 2011年7月30日14時0分 築106年の下宿「本郷館」解体へ 「圧倒的な存在感」
- ^ 2011年12月21日に撮影された本郷館跡地
- ^ 文献2、第4章による。
- ^ 文献3および文献2、第4章による。
- ^ 建築評論家・植田実は、文献1において、本郷館を本郷の下宿・旅館街の「王者」と称している。
- ^ 文献2、5章1節「下宿屋の規模」の考察による。
- ^ 文献4によれば菊富士ホテルは延400坪とされている。
- ^ 文献5による。
- ^ 『朝日新聞』2007年4月26日付。
- ^ 高橋幹夫ブログ「下宿屋・公営住宅等 集合住宅歴史資料等」(2009年2月24日)による。
- ^ 木村伊兵衛/著・田沼武能/編・加太こうじ/文『木村伊兵衛の昭和』筑摩書房、1990など。
[編集] 参考文献
- 植田実『集合住宅物語』みすず書房、2004年(初出:植田実「集合住宅物語 18 本郷鳳明館」『東京人』1999年9月)
- 堀江亨、松山薫、高橋幹夫『日本の近現代における都市集住形態としての下宿屋の実証研究−東京・本郷・「本郷館」をケース・スタディとして−』第一住宅建設協会調査研究報告書、2002年
- 高橋幹夫『下宿屋という近代』住宅総合研究財団、2007年
- 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』講談社、1974年
- 東京市統計課『統計ニ表レタル下宿屋ノ種々相』1929年
