本庄将明

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本庄 将明(ほんじょう まさあき、生没年不詳)は、戦国時代武蔵国本庄(現在の埼玉県本庄市北堀出身)の武将。東本庄館3代館主。官途名はなし。

児玉郡の北堀地内に東本庄館を築いた本庄(宮内少輔)信明の孫で、父は本庄(宮内少輔)為明。本庄氏の系図と見られる姓未詳の系図によると、子息は5人となっており、本庄(越前守)実明、本庄(三河守)泰業、女子、女子、彌七郎と記述している。一方、『四方田系図略図』には、将明の名はなく、代わりに時明なる人物の名が載っており、官位は左衛門尉と記載されている(子息も、実明、泰業、女子の3人のみ)。

系図には、将明の父も子息も官途名を有しているが、将明に限っては官途名が記述されていない。この事からも余り活躍をしなかった人物ではないかと見られる。生年考察に関しては、戦国(15世紀末)以前(15世紀中頃)の生まれと考えられる。

『四方田系図略図』の方では、子息の1人である泰業が、業と記述されており、子息の伝承には混乱が見られる。

参考資料[編集]

  • 『児玉町史 中世資料編』
  • 『本庄歴史缶』
  • 『本庄人物事典』