曹鍈

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曹 鍈
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1872年同治11年)[1]
死去: 1926年民国15年)3月19日
中華民国の旗 中華民国湖北省漢口
出身地: 直隷省天津府天津県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 曹鍈
簡体字 曹锳
拼音 Cáo Yīng
ラテン字 Ts'ao Ying
和名表記: そう えい
発音転記: ツァオ イン
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曹 鍈(そう えい)は清末民初の軍人。北京政府直隷派の軍人。子振。兄は曹錕曹鋭

事績[編集]

陸軍測量学堂を卒業後、東三省総督署参謀部で就職した。中華民国成立後の1912年民国元年)、陸軍測量学校校長に就任する。その後は参謀部で軍歴を重ね、1917年(民国6年)の張勲復辟の際には、討逆軍参謀長をつとめた。戦後に第4混成旅旅長、山海関防備司令などを歴任している。

1920年(民国9年)7月の安直戦争にも参戦し、同年10月に第26師師長となった。1922年(民国11年)10月の第1次奉直戦争にも参戦し、1923年(民国12年)に陸軍上将に昇進した。1924年(民国13年)1月、熱河林墾督弁に就任している。同年9月からの第2次奉直戦争では、討逆軍(討奉軍)第4軍総司令として奉天派と戦った。しかし直隷派は敗北に終わり、呉佩孚とともに漢口湖北督軍蕭耀南を頼って逃走した。

1926年(民国15年)3月19日、漢口の蕭耀南公邸で死去した。享年55。

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  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』1631頁による。Who's Who in China 3rd ed., p.739は1873年とする。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7