斎藤第六

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斎藤 第六(さいとう だいろく、1916年(大正5年)12月1日[1] - 2000年(平成12年)2月1日)は、日本政治家、旧鶴岡市第11代市長栄典は、従五位勲四等旭日小綬章山形県出身。

人物[編集]

1916年(大正5年)山形県に生まれる。 1934年(昭和9年)小樽高等商業学校卒業する。 1949年(昭和24年)鶴岡市役所に入り、同市助役となる。1979年(昭和54年)無所属で鶴岡市長選挙に立候補し初当選した。1983年(昭和58年)11月20日の同市長選挙で佐藤俊次(共産党公認)を破り、2回目の当選をした。1987年(昭和62年)の同市長選挙で3回目の当選を果たした。1991年(平成3年)に市長を勇退2000年(平成12年)2月1日胃癌のため死去した[1]

叙勲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.265

参考文献[編集]

  • 『現代政治家人名事典』(日外アソシエーツ編集・発行、1999年
  • 山形新聞 2000年2月2日号
  • 『官報』 1992年11月4日 号外 164 叙位・叙勲
  • 『官報』 2000年3月13日 本紙 2827 叙位・叙勲
公職
先代
白井重麿
鶴岡市長
第11代:1979年 - 1991年
次代
富塚陽一