当麻清雄

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当麻清雄
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 延暦14年(795年
死没 貞観11年12月7日870年1月12日
官位 従四位下伊予権守
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 当麻真人
父母 父:当麻治田麻呂
藤原常行
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当麻 清雄(たいま の きよお)は、平安時代初期から前期にかけての貴族真人従五位下・当麻吉島の孫で、正六位上・当麻治田麻呂の子。官位従四位下伊予権守

経歴[編集]

左京の出身。清雄の姉は嵯峨天皇の代に女孺を務めていたが、天皇の寵愛を受け源潔姫源全姫の2皇女を産む。のちに潔姫は藤原良房正室となって藤原明子文徳天皇女御のち太皇太后)を産み、明子所生の惟仁親王(清和天皇即位に伴い、清雄も俄に昇進を遂げた。

仁明朝承和4年(837年織部佑に任ぜられたのち、安芸掾諸陵助を歴任する。

文徳朝に入って惟仁親王の立太子ののち、仁寿3年(853年)59歳にしてようやく従五位下叙爵する。天安元年(857年図書頭に任ぜられる。清和朝に入ると、貞観元年(859年従五位上、貞観6年(864年正五位下、貞観8年(866年従四位下と急速に昇進した。またこの間、伊賀守伊予権守と主に地方官を歴任している。貞観11年(870年)12月7日卒去享年76。最終官位は従四位下行伊予権守。

官歴[編集]

六国史』による。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』貞観11年12月7日条
  2. ^ 『尊卑分脈』

参考文献[編集]