市原聖曠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市原 聖曠
名前
本名 市原 聖曠
カタカナ イチハラ セイキ
ラテン文字 ICHIHARA Seiki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
監督歴
チーム
1981  日本
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

市原 聖曠(いちはら せいき、生年不明)は、日本の元サッカー指導者。元サッカー日本女子代表監督。

来歴[編集]

1981年6月に、1981 AFC女子選手権のために、初めてサッカー日本女子代表が編成された[1]。そして市原が日本代表の監督として指揮を執った。[2][3]大会では1試合目(6月7日)のチャイニーズタイペイ代表、2試合目(6月11日)のタイ代表に2連敗したが、3試合目(6月13日)のインドネシア代表には半田悦子の得点で1-0で勝利した[2]。この勝利が、日本代表の歴史での初勝利となった。その後、9月にイングランド代表イタリア代表との試合でも指揮を執ったが2連敗した[2]。イタリア代表との試合では0-9で敗れ、これは日本代表の歴史で最大の点差での敗戦である。

脚注[編集]