岡安喜三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡安 喜三郎(おかやす きさぶろう)は、長唄唄方の名跡。代々岡安流家元。2代目は新内節の世界で活躍。

初代[編集]

(生年不詳 - 文政11年4月8日1828年5月21日))

江戸長唄岡安流流祖。旗本の子ともいわれる。幼名を松下鉄次郎。3代目岡安源次郎の門弟。後に杵屋家に入る。中村座都座で活躍。

2代目[編集]

安政6年(1777年) - 安政4年4月8日1857年5月1日))号は醒暁斎。

初代の門弟の岡安喜八1828年11月に2代目喜三郎を襲名。1835年に醒暁斎と改名。

3代目[編集]

寛政6年(1792年) - 明治3年11月29日1871年1月19日))

初代喜三郎の門弟で1821年には岡安喜代八。1829年冬に立唄、後に1850年に3代目喜三郎を襲名。1868年に喜翁を襲名。

1840年3月に江戸の河原崎座で初演された「勧進帳」で「人目の関」を唄い評価を得る。2代目富士田音蔵3代目芳村伊十郎(後2代目吉住小三郎)と共に、天保の三名人と称えられる。

実子が4代目喜三郎。

4代目[編集]

嘉永2年(1849年) - 明治39年(1906年9月4日

父は3代目喜三郎。最初は12代目杵屋六左衛門の門弟で唄方。後に三味線方に転じる。初名を岡安喜三太郎。明治元年に4代目喜三郎を襲名。主な作曲には「桃太郎」がある。

妻は岡安満寿、実子が8代目岡安南浦、5代目喜三郎、5代目杵屋巳太郎

5代目[編集]

(明治9年(1876年) - 大正3年(1914年3月8日

祖父は3代目喜三郎、父は4代目喜三郎。実の兄は8代目南浦、実の弟は杵屋巳太郎。初名を岡安喜久次郎。1906年に5代目喜三郎を襲名。

実子が6代目喜三郎。

6代目[編集]

(大正2年(1913年4月6日 - 昭和25年(1950年3月26日)本名は幸田嘉郎。

曽祖父が3代目喜三郎、祖父が4代目喜三郎、父が5代目喜三郎。1920年に6代目喜三郎を襲名。「旅ゆかば」「歌麿」などを作曲した。嘱望も夭折。

7代目[編集]

(昭和20年(1945年2月22日 - 2001年7月26日?)

実子が8代目喜三郎。

8代目[編集]

(昭和44年(1969年) - )

父が7代目喜三郎。岡安美幸が2008年に8代目喜三郎を襲名。

参考文献・出典[編集]

外部リンク[編集]