山背小林

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山背小林
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
主君 天武天皇
氏族 山背
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山背 小林(やましろ の おばやし[1])は、飛鳥時代の人物。

壬申の乱672年)のとき大海人皇子(天武天皇)の舎人で、皇子と共に吉野宮から東国に出立した二十数人の中の一人。

出自[編集]

山背氏(山背直)は山背国造家で、天津彦根命の後裔とされる天孫系氏族[2]

経歴[編集]

壬申の年(672年)の6月24日、吉野宮に隠棲していた大海人皇子は、兵を集めさせている東国に向かうため妻の鸕野讚良皇女(持統天皇)と共に急いで出発した。このとき従うものは、草壁皇子忍壁皇子舎人二十数人、女官十数人しかいなかった。山背直小林は舎人の中の一人であった。

天武天皇12年(683年)9月、山背直は連姓を賜与されているが、この時に小林も賜姓されたかどうかは明らかでない。

脚注[編集]

  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「やましろのをばやし」
  2. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年