尾張弓張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尾張 弓張(おわり の ゆみはり、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての官人氏姓は小塞連のち小塞宿禰、尾張宿禰。小塞近之里の孫。官位従五位下主油正

経歴[編集]

本貫左京光仁朝宝亀8年(777年)弓張ら5人が小塞連姓から小塞宿禰姓に改姓する。宝亀11年(780年従五位下に叙せられた。

天応元年(781年桓武天皇即位後に内掃部正に任ぜられる。延暦元年(782年)以下を言上し、小塞宿禰から尾張宿禰に改姓した。

弓張の二世の先祖である近之里は庚寅の年(持統天皇4年〔690年〕)以降、居住地(尾張国中島郡小塞か)の地名に因んで小塞姓を称したが、どうか庚午年籍天智天皇9年〔670年〕)に従って小塞姓を改めて尾張姓を賜りたい。

延暦2年(783年伊賀守として地方官に転じるが、桓武朝半ばは内兵庫正主油正と京官を歴任した。内兵庫正在任中の延暦15年(796年)には佐比川橋の築造を行っている[1]

愛知県一宮市浅井町小塞神社にある前方後円墳は弓張の墳墓と伝えられている。

官歴[編集]

六国史』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本後紀』延暦15年8月10日条

参考文献[編集]