小柳冨太郎
小柳 冨太郎(こやなぎ とみたろう、1904年(明治37年)9月24日[1] - 1983年(昭和59年)10月25日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴[編集]
長崎県北高来郡諫早村原口名(現諫早市)で生まれる[3]。1918年、諫早高等小学校を卒業[4]後、西南学院で学ぶが中退した[3]。
1940年、上海で江南工業 (株) 社長に就任[3][4]。1951年4月、富陽建設 (株) を設立して社長に就任[3][4]。1977年に引退した[4]。
政界では、1937年に長崎市会議員に当選[4]。1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に長崎県から出馬して当選し衆議院議員を一期務めた[2]。1951年、長崎県議会議員に当選し一期在任した[1][4]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新現代長崎の百人 : 青少年への座右銘』〈県人シリーズ62〉育英出版、1981年。
- 長崎新聞社編『長崎県人事年鑑 1960』長崎新聞社、1959年。