大岡忠真

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大岡忠真
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永14年(1637年
死没 元禄13年4月10日1700年5月28日
別名 忠右衛門、権四郎(通称
戒名 真院起誉勇進[1]
墓所 神奈川県茅ヶ崎市堤の浄見寺
幕府 江戸幕府書院番駿府城定番、徒歩頭
主君 徳川家光家綱綱吉
氏族 大岡氏
父母 父:大岡忠世
兄弟 忠種忠真
主馬、珠荘院(大岡忠相室)、
養子:忠相
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大岡 忠真(おおおか ただざね)は、江戸時代中期の旗本。大岡忠世家第2代当主。大岡忠世の次男。大岡忠相の養父。

経歴[編集]

兄の忠種が伯父の旗本・大岡忠行の養子となったため、父である忠世の世子となり寛永18年(1641年)に父が亡くなるとその遺跡を継いだ。

万治2年(1659年)、書院番となり、江戸赤坂一ツ木の邸宅に居住した。忠真は実子の主馬が早世していたため、貞享3年(1686年)、一族の奈良奉行を務めた旗本・大岡美濃守忠高の四男・忠相に娘(珠荘院)を嫁がせ養子とした。元禄7年(1694年8月28日駿府城定番に就任。元禄13年(1700年)に病没。享年64。1920石の遺領と家督は養子の忠相が継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 『系図纂要』
先代
大岡忠世
大岡宗家第4代当主
1641年 - 1700年
次代
大岡忠相