多治比名負

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多治比 名負(たじひ の なおい)は、奈良時代貴族真人官位従五位下能登守

経歴[編集]

光仁朝初頭の宝亀2年(771年)正月に従五位下叙爵され、閏3月に刑部少輔に任官する。なお同時に、藤原浜成が刑部卿に補せられている。

宝亀5年(774年)3月に能登守に任ぜられるが、同年9月には早くも巨勢馬主官職を交替している[1]

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』宝亀5年9月4日条

参考文献[編集]