坊城俊賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坊城俊賢

坊城 俊賢(ぼうじょう としよし、1897年明治30年)2月2日[1] - 1984年昭和59年)6月5日[1][2])は、大正末から昭和期の農林技師政治家華族貴族院男爵議員

経歴[編集]

東京府[3]伯爵坊城俊章の五男として生まれ、はとこの男爵坊城俊延の養子となる[1]。養父の死去に伴い1910年(明治43年)6月4日、男爵を襲爵[1][4]学習院高等科を経て[5]1922年(大正11年)東京帝国大学農学部を卒業[2]1924年(大正13年)以降、東京市技手、埼玉県技手、農林技手、富山県農林技師などを務めた[2]

1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[2][6][7]公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。この間、農林省委員、農商省委員などを務めた[2]

戦後、全国米菓協同組合連合会理事長を務めた[3]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』472頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』83頁。
  3. ^ a b 『ジャパン WHO was WHO 物故者事典』548頁。
  4. ^ 『官報』第8085号、明治43年6月6日。
  5. ^ 『人事興信録 第14版 下』ホ6頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
  7. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 日外アソシエーツ編『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。ISBN 4-8169-0763-7
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
坊城俊延
男爵
坊城家(分家)第2代
1910年 - 1947年
次代
華族制度廃止